ゆさぶる
こんばんは。
もうベッドに入ってうとうとしているのに落ち着かなくてパソコンを開いてしまった。
今日はこのまま投稿せずにうつらうつらと書いて寝てしまってもいいやと開き直って眠いのか眠れないのかは知らない。
人の文章を読んで泣きたくなったことが久しぶりだった。
今日読み終えた本に対して『共鳴した』と表現したけど、それとは違う感情。
心がどうしようもなく動くことが多くて、親しく慕っている人に『あなたは考えすぎ。見ていて可哀想(こんな言い方じゃなかったはずなのにこう言われた記憶が擦り付いてる)』と言われたことが忘れられない、あたかも何年もずっと前から私のことを見られていて何か見透かされていて裸にされそうになった。
好奇心のままに目をやって耳を傾けてってしてしまうと、とんでもなく振り回されて疲れる。だから他人との壁があって(それは壁なのか区別なのか)心を動かさないようにしてる休憩時間があるように思う。そんなときの揺さぶり。
共感がしたい訳じゃないのに、私もわかるよなんてアンサーとしてふさわしくないと頭から否定してしまうから正しい感想は分からない。分からないって言って逃げたいだけなんだと、自覚していたとしても目をつぶってしまう。アンサーはそもそも必要?
でも、自分なら答えが欲しいと思うし、誰かの目に止まって欲しいと誰よりも強く願って願って止まないから書くんじゃないだろうか。と答えを持つ癖も気づけばついていて、返答のない人間になりたくない自分がいる。
書きながら自問自答しているけど、泣きたくなった理由は底から分かるよと言いたかったからなのかもしれない。
多分後悔のないようにここに書くだけで口には出せないままだろうなー。
グレン・グールドの[Beethoven:piano Sonata Nos.30-32]を聴いている。
ショパンの、高音がキラキラとして水面の上を駆けるような気持ちになる別のアルバムは元気な時に聞くことが多くて、これは気持ちが定まらないときにふらふらしながら没頭できるから夜に聴くことが多い。
パンっと弾けるような、目が覚めそうな音もたくさん現れるけど着地が優しい、心地よい。最後に向かって、ちゃんと終わりを告げてくれて安心する。放り出された心が元ある場所へ帰っていくように・・・
クラシックに詳しくないくせに何様な感想だとか、今となってはどうでも良いな。
こんなに繰り返し聴いているのに初めて聴くより、もっと、揺さぶられる。
眠るのが下手くそなので、音楽を聴きながら瞼の奥の誰かを追いかけるように眠りにつくことが増えた。幸せな夢って起きると切なさだけ置いてくくせに思い出せないよね。
おやすみ
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