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一生付き合っていくのに。

自分が何を考えているか分からない、

自分ってどんな人間なんだろうか。

自分のことを考えるのが嫌だ。


はあ?

正直その考えてることこそ理解できんわ。

人間関係は、自分が身を置く環境を変えて

いけば自然と変わるけど、自分が自分で

あることって死ぬまでずっと変わらない。

昨日、進路について考え始める折角の

良い機会をもらって、今日はそこで得た

情報をもとに子どもたちに自分の

「できる・できない」をリストアップ

していく作業をHRでやらせることにした。

「得意なこと」とかって言い回しにしちゃうと

「得意」であると言えるレベルまで達する

ものなどないと思ったからあえてハードルを

下げる意味でも「できる・できない」にした。

でもまだ下げていかないと意見が浮かびにくい

かなと思って「人並み程度にできるレベルで

良い」なんて話をした。

自分も見本にできること・できないことを

10個近く考えて見本で提示したけど、

一人全く書こうとしない生徒がいた。

正確には二人だけど、片方は緘黙の子

だからそこは多少仕方ない。

最終的に書いたのはできることに「ゲーム」、

できないことに「勉強」だった。

ムカついたから「本当にあなたはその程度の

価値しかない人間なのか」って問をぶつけた

けど、まともに答えられるわけもなく。

過去にも似たようなことをやらせたことが

あったし、基本的にその子は自己分析系で

手が止まることが多かった。なんでそんなに

書けないのかが気になって考えても分からない

のか、自分のことを考えるのが嫌なのかと

聞いてみたら両方と言ってきた。

そんな現実逃避しているような人間が卒業後の

進路を考えていくとか到底あり得ない。

「このままじゃ卒業してもお先真っ暗だよ」と

吐き捨ててその場を切り上げた。

でもできるなら、彼にもう少し自分自身が

どういう人間なのかと言った理解をしていこう

とする姿勢を根付けさせたい。

明日のHRで何か今日のこのやりとりを

きっかけに今後に繋げていけるような良い話

ができると良いけど、肝心の本人はそんな

話をされても右から左に流れていくのかも。

自分に自信が無いとか、自分のことが好きに

なれないとかその辺は共感できる部分は

あるんだけど、ずっと死ぬまで自分と付き合い

続けることを考えたらただ「自分が嫌い」って

だけで考えることを放棄するのは愚かでしかない。

自分のことは大して好きじゃ無いけど、でも

たとえば他人と比べた時にここは良いとか、

そういうちょっとでも評価できるポイントを

作っていかないとしんどいだけ。

自分だけじゃ無いと思うけど、口には出さない

だけで結構生きてく上で、自分で自分のことを

決めていかないといけないってなった時とか

自分の心に問いかけることがある。

自分と対話できるってもの凄く大事なこと

だと思うし、それができるからこそ自分一人で

いろいろ決断できるようになっていったり

するものじゃないのかな。

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