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やりきれない青春分の屈折はしないように生きたい。

ごきげんよう。本日は雨。
雨の日は喫茶店に行きたくなります、ウツノミヤサトミです。

さて、11月といえば学祭シーズン。
私も大学4年目でありながら、後輩の活躍を楽しみに学園祭に行ってきました。

学祭に行って思ったことがあります。
それは、「自分が味わいきれなかった青春があると、人は屈折した考えになるのではないか」ということです。


私は大学に入り、元々通っていたレッスンに加え、憧れのダンスサークルに所属しました。今まで触れたことのないジャンルに触れたくて、魅了される度に積極的にナンバー(イベント)に参加しました。

中でも学園祭は熱量が半端なく、夏から3ヶ月間の練習に暇のない夏休みを送るような目まぐるしい日々でした。

私も大学1年生の頃にステージに立ったときは、大学生でも青春ができるのか…!と思うほどの感動を今でも覚えています。


しかし様々な事情で踊る頻度を減らすようになり、翌年からは学祭には出ない選択をするようになりました。


それ以来、学生のダンスをみると胸がキュッと締め付けられる気持ちになるのです。


舞台の素晴らしさに感動しつつも、心のどこかで後悔している自分がいる。


あの時がんばって続けていたら・・・

あの時あの選択をしなかったら・・・



自分自身、意思決定に自信があったため後悔などしないと思っていたのですが、それも言い聞かせでしかありませんでした。純粋に彼らの舞台をみて青春してていいな、すてきだな、と思い、

そこで初めて嫉妬をしている自分を認めることができました。


"様々な事情"の中には、お金や時間などの問題もありました。
私はそこを言い訳にして、青春を選ばなかった。


中学・高校と、行事ごとには積極的なタイプだったため、人並みの青春は味わってきた方だと思います。

それを大学でも味わえたのだから、十分じゃない、

そう、私は十分なほどに青春をしてきた。


ただ、大学で一度味わったからこそ、必死で屈折しそうな自分を抑えていた気がしました。



さらにこの話は、中卒や高卒の人からの「見られ方」にも通ずるものがあるのではないかと思いました。

それはつまり、【なりたかった自分に対する屈折した妬み】なのだと思いました。自分が仕事をしていたり忙しくしている時に、同世代の人間が楽しそうに生きているのを横目でみると、根本の羨ましさから「世間知らず」や「お金の無駄遣い」など、現役の学生に対しのうのうと生きている人間として見るようになるのではないかということです。

文系の大学生が授業をサボって遊んでばかりいると思われるのもそうで、若くしてお金のことを考えたり現実を見ている人は、親にお金を出してもらっていることのありがたみを強く感じるものです。

だからその分、「当たり前」に払ってもらっている人たちを「甘えている人間」とみているのかなとも思いました。


しかし、実際に大学に通ってみると境遇は様々です。自分で学費を稼いでいる人、十分な仕送りをもらいアルバイトをしない人、体が弱くて学校もバイトもままならない人、もちろん、どこからお金が沸いてるのかわからないほどブランド品を纏っている人も。自分が被る側の目線になってしまうと、相手を受け入れる心にも鍵をかけてしまうのかもしれないです。


当たり前ですが、その人が抱えている本当の問題は、人が付け込めない部分にあったりします。どんなに楽しそうでも、やりたいことをやっていたとしても、誰しも悩みや苦労はあるはずです。

だからこそ私は、学生のダンスを見るたびに、後悔の念を抱いたとしても、素直に楽しみ、決して羨ましさから生じる妬みは持つべきではないなと心がけています。

いつかまた自分も楽しんで踊ることができればいいし、あの場を思い出すだけで初心に戻れるので、気が締まるいいエモさでもあります。

学生は存分に青春すべき時間です。間違ってもいいし、無茶できる。それを己の指標に偏り屈折して見るようなことはしないようにしたいです。



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