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いじわるのためのいじわる

今思えば、可愛いもんだと思えるんだけど、当時は急にいじわるになったばあばが怖くてたまらなかった。

こういう書き方をすると誤解を招いてしまうかもしれないんだけど、サバサバした性格だったばあばは、5歳くらいの女の子の黒い部分を抽出して煮詰めたような、ねちっこいキャラになってしまった。

ヨクバリで、エバリンボウで、シッタカブリ、そしてすっごくイジワル・・・いや、これは飽くまで自分が幼い頃、そういう部分があったから思うだけであって、一般論ではないのだけど。

それに大人の知恵と経験が変な具合に加味されるから、本当にタチが悪いのだ。

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「あなた、なんで〇〇(孫の名前)にお金を持たせないで学校に行かせるの!」

と、怒りに満ちた謎の電話がかかって来る。

「お金?学校に持っていく必要もないし、持っていけないよ」

「何言ってるの!毎日500円持たせるってことになってるでしょ。私、お金を集めるためにマンション中駆け回って、大恥かいたわ。」

ますます謎・・・でも、何を言っても、聞く耳を持たず、怒りはさらにエスカレートして「またそうやって嘘ばっかついて!お金返しなさい!!マンションの人たちに謝りなさい!!」と一方的に罵られる。

後で夫に話すと、「もしかすると、俺たち兄弟が高校生の頃の話と混じっているかも」とのこと。

夫とその弟が高校生の頃、お弁当だけだと足りないので、毎日500円ずつ持たせてくれていたという。

【子ども+学校=500円】なのか?とにかく、色々な記憶と現実が、不思議なところで結びついてしまい、それはばあばにとって、絶対的な真実になる。

マンション中を駆け回った、というのは話を盛っていただけのようだけど、付き合いのある隣人にお金を出させたことはあったようで、その時に「嫁がちゃんとしないから困っている。あの世代の人たちは無責任」などと話したらしい。

当時、小学校の低学年だった息子は、ばあばから「はい、今日の500円」と渡され、「よくわからないけど、ラッキ~☆」くらいの気持ちでもらっていた。(←おいっ!)

しかもそのときに「ママは全然ダメねえ。本当に何にもしない。〇〇ちゃんかわいそう」とか余計な一言を付け加えるらしい。

現在と過去がごちゃまぜになっているだけじゃなくて、「お前は母親として失格」ということを突き付けたいがための言動なんだよな・・・と思う。

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ばあばには子育てで本当に協力してもらってきたし、私が比較的のほほんと子育てできていたのは、認知症になる前のばあばの、サバサバした性格によるところも大きいと思う。

例えば、息子が赤ん坊の頃、全然寝なくて、泣き止まなくて途方に暮れてしまうような時に、「本当に赤ちゃんって全然寝ないのよね。パパも小さいときそうだった。泣き止まないと、なんだか自分が情けなくなってくるのよね」と言って、しんどさに共感してくれた。

やっと寝ると「おお、やっとくたばったか~。手強いのお。」と、笑いながら茶化してくれる。ばあばの存在のおかげで、子育てで孤独になったり、追い詰められるようなことは、あまりなかった。

でも、そんなばあばに、私も夫も、少し頼りすぎているところがあって、ばあばからすると、そこにモヤモヤがあったようだ。(そこは今更ながらに本当に反省・・・甘え過ぎていたと思う)

私が仕事をしていることを応援してくれていたけれど、心の奥底では「母親は家で子育てすべき」という気持ちがあったように思う。

私の雑で手抜きだらけの家事育児は、昭和に専業主婦として子育てしてきたばあばから見ると、なっとらんし、けしからんし、しんじられん、ってことばかりだったんだろうな・・・

「私たちはあんなに苦労して一人で子育てしてきたのに、あなた達は、仕事を言い訳に、夫にも親にもやらせて、好き放題やっていいわね!」と、世代間の呪いみたいなことも言われた。

認知症になる前は、そこを大人の理性で押さえていたんだろうけど、そのタガが外れた途端に、許せない存在として私を攻撃するようになった。

いくら根拠のない一方的な罵倒だったとしても、心はズブズブと抉られていく。これはいじめだ、このままじゃ自分が壊れる、そう思った私は、ばあばから逃げることにした。




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