小さいメモ⑦ 最終回

鼓動は早く、夏の暑さもあって、僕は汗ばんでいた。呼吸も荒かった。

ゆっくりと広げたメモ用紙、その文字を見て、僕は、一気に汗が引いた。

見覚えのあるその文字「嘘だろ・・・」涙が溢れてきた。苦しかった。僕はドアをたたいた。

「ね、いるんでしょ?・・・お、お願い、う、そだ・・・」

それは、まぎれもなく彼女からの、僕へ宛てた手紙だった。

『やっぱり来たんだね。私は、あなたの前から、姿を消します。私は、あなたのためにはならないみたい。あなたがダメになってしまう。短い間だったけど楽しかった、ありがとう。良い思い出にします。あなたは、どうか、私のことはきれいに忘れてください。あなたのために消える事を選んだのです。あなたは、あなたのために勉強を頑張ってください。ご両親が安心するような人と結ばれてください。祈っています。』

「ね・・・いるんでしょ?・・・あっ・・・開けて、あっ、あっ、」そのまま、泣きながら、僕は、苦しくて、力が抜けて、ドアの前にしゃがみこんでしまった。

じっとそのまま待っていた。夜中になっても、彼女は戻ってこなかった。部屋も、気配を感じなかった。

固いドアにもたれかかり、座り込んで、僕はそのまま眠ってしまった。

明け方の新聞配達の音で、意識が戻った僕は、いったい何が起きたのかを考えた。一階の集合ポストに行ってみると、彼女の部屋番号のポストには名前の札が無くなっていた。引っ越したのか?この短期間で?

一人で出来るわけないだろ・・・金持ちの男が出来たんだ。金持ちの男のところへ行ったんだ。

「くっそ・・・」今度は悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。

そして涙でぐしゃぐしゃのまま駅へ向かい、始発の電車に乗り、家へ帰った。地元の駅に着くころあの手紙を読み返し、現実に彼女が消えてしまったことに絶望を感じた。朝日が眩しくて暑かった。自然と溢れる涙・・・通勤の人たちはこちらを見てはいるけど、誰も、僕が泣いていることに気が付かない。僕が、深く傷ついていることなんて知らない。

誰も知らない。僕たちのこと、僕たちが付き合っていた事実を、誰も知らない。

僕の記憶から、彼女が消えていくのだ・・・。

僕は、しばらくの間、意気消沈していたが、両親の暖かさに助けられた。二人とも何も言わないんだ。むしろ放っておかれた。ただ、食欲なんて無いのに、母親が作る料理のいい匂いが僕を食卓へ向かわせた。

「座りなさい、もうすぐご飯よ」「うん」


そう、高3の夏だった。

あのことで僕は絶対に金持ちになろうって思ったんだ、勉強も頑張って巻き返して、少しでもいい大学を目指して、今の仕事に就いて、がむしゃらに働いた。

そして、結婚をして、家も車も買った。

この思い出話は武勇伝にはならないだろ?

僕のこの話を聞き終えた、お調子者のちょい美人の新人君が、こういった。「彼女さんの願いが叶ったわけですね」

僕は、ハハハと笑い、しばらく言葉が出なかった。

つい流れで懐かしのバーに来たけど、もう経営者も店の雰囲気も全然変わっていた。「あ、もう遅いから帰りなさい、俺はもう少し飲むよ、あと払っておくから」「課長、雰囲気のいいお店でした、ありがとうございました、ごちそうさまでした」

僕は、もう一杯ウイスキーを注文し、一気に飲み干して、

目の前の、カウンターテーブルに、顔をうつ伏した。


fin



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