愚痴より自分の心に目を向けてあげてもいいかもしれない。
生きていると愚痴りたくなる時もあります。
しかし、時々思うのが、愚痴を言いたい時は「相手への不満」が言いたいというより「辛い、やるせない、悲しい」みたいな気持ちを本当は言いたいのではないかということ。
辛いのをわかってほしいけど、伝え方がわからないから、長めの愚痴になってしまう。
でも、それは、ネガティブな言葉を自分で自分に刷り込んでいく事なのではないかと思う。
加えて、愚痴って聞く側はそんなに楽しくなかったりするし、繰り返すと「愚痴っぽい人」というレッテルも貼られたりしてしまう。
しかも、愚痴で原因は解決しない。
愚痴は「伝えられない不器用さ」の結果なのかなと思う。
だから、そう言う時は「自分の心」に目を向けてあげたら良いのではないかと思う。
幸せも辛さも嬉しいも悲しいも、その100%を相手に感じ取ってもらうことは出来ない。
だからこそ、自分が「そうか、私は辛かったんだな」と気づいてあげたら良いのではないか。
そして、「こういう事があって、ちょっと悲しかったんですよね」と話したらどうだろうか。
「愚痴」としてではなく「気持ち」として表出すると、もう少しプラスなものになるような気がする。
と、愚痴の多めの人の話を聞いて思った、今日この頃。
でも、愚痴は、ある意味「自分の弱い部分を安心して晒してくれている」という状況なので、傷つけず相手にどう伝えるか、悩み中。
愚痴を言わせないようにしたい訳じゃない。
ただ、私は相手の楽しい話も悲しい話も両方聞きたいし、楽しく生きてほしいとは思っている。
難しいのだけれど。
おわり。
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