恋人の有無を聞かないで

久々に参加した飲み会で、いつもどおり場が温まってきたころに聞かれる話題。
恋愛について。

私は半年前まで長く付き合っていた恋人がいたので、それまでは「普通に仲良くやってるよ」と返していたけれど、いざ恋人がいなくなってみて、その話題が初めてとても不快なものに感じてしまった。

理由は大きく二つある。

一つ目としては、誰しも別れにはネガティブな感情が少なからず伴うもので、それをあまり思い出したくなかったから。
特に自分の場合は相手の浮気が原因なので、自分から振ったとはいえ惨めな気持ちがあり、そこまで親しくない人がいる場で話したい内容ではなかった。もちろん、友人たちも理由を根ほり葉ほり聞いてくるようなデリカシーのない人たちではないのだけれど。半年たっても悲しみは消えないもので、飲みの話題として提供するには、そこまで弱さを見せられるほどの関係性ではなかった。

もう一つは、自分でもこの時はじめて気づいたのだが、心のどこかで恋人がいる方が上だとおもっている節があったのだと思う。
恋人ののろけ話を(聞かれてもいないのに)声高に語ってくる友人が隣にいて、余計にそう感じたのかもしれないが。(彼は学生ながら社会人の彼女と1年以上同棲しており、ペアリングや待ち受け画面(ツーショット)をよく見せてくれる。)
この表現が適切かわからないが、いままでの地位から都落ちしたかのような気持ちであった。
いままで恋人がいない人を見下していたつもりは全くなかったが、無意識のうちにそう思い込んでいたのかと思うと、ショックだった。
結婚をし、子どもを産み育て、理想の家庭を築くことが正しい生き方で、その前段階として「恋人がいること」が必要だという、固定観念に自分はまだまだ潜在的なところで縛られている。
家庭やパートナーを持つこと以外に、明確な生きがいや人生の目標、充実した未来像が想像できないので、いまのところ社会が提示してきているこれが正解になってしまっているのかもしれない。
この正解を超える別解のビジョンが沸かないのだ。

そもそも、将来の正解を考える以前に、現時点で自分は恋人がいたときの方が幸福度、充実度が高かったと感じている。途中式の部分で前者の圧勝なのだ。
恋人以上に何でも話せる、自分をさらけ出せる友人は自分にはいない、恋人が一番の親友であった。
恋人と別れて、それまで恋人と過ごしていた時間を何か有効に利用できているわけでもない。

この固定観念から脱却するためには、今を充実させることが必要だと感じる。
それも、新しい恋人によってではなく、自分の手で、自分を幸福にしたい。


QuizKnock河村さんと篠原さんの結婚報告

個人的にとても衝撃だったし、最近の嬉しかったニュースの一つ。
だが、驚いたのはサブチャンネルの方。

QKメンバー(少なくとも動画出演していた河村さんを除く8人全員)が、河村さんの結婚相手が誰なのかを知らなかったことである。
メインチャンネルの動画や過去の伊沢さんの発言によれば、プライベートな恋愛の話はほとんどしない、恋人の有無などについてはお互い知らないらしい。

仕事仲間として、日中長い時間を共有しているだけでなく、彼らは学生時代からの友人であり、そういったプライベートな話題にいつ触れてもおかしくないと思うのだが。
(少なくとも、私は自分が友人と呼べるくらいの関係性の人達と食事に行った際などの会話で、たいてい一度は恋愛の話になる。)
あれだけ長い時間を共有しておきながら、恋人の有無さえ知らないであろうことが衝撃だった。

そして、少し羨ましくもあった。

仕事仲間にプライベートな話をしないことが健全だとか、とか、逆にそこまで仲がいいのに恋人の話題を避けるのは不健全だとか、そういう話はいまはおいておく。

きっと彼らは恋人の有無にかかわらず、人生の幸福度や充実度の高い人間であり、生きがいのある人間たちだ。
そして、恋愛なんかよりも面白い会話の種はいくらでもあるのだろう。
意識して恋愛の話を避けているのかもしれないが、それ以前にそんなもの彼らにはあってもなくてもいいものなのかもしれない。

今は恋人よりも’’それ’’が欲しい。

そして、そういうセンシティブな話題にずけずけ入り込むべきではないという彼らの教養と理性を尊敬する。
この話題はデリケートだからこそ、面白くもあるのだが、今日の私のように不快に感じる人も少なからずいる。

ある程度の信頼関係があれば完全に避ける必要はないかもしれないが、少なくとも今後しばらく自分から恋愛の話題を出すことは控えたい。
自分がこの固定観念から解放されるまでは。

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