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エッセイ

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2023年4月の記事一覧

【エッセイ】見て覚える

【エッセイ】見て覚える

子どもの頃にテレビドラマで見た、職人さんが親方に、
「馬鹿野郎! 仕事は見て覚えろ!」と言われているシーンが、とても嫌いだった。
大きな声と、言葉で訊くのを許されない、張りつめた雰囲気が苦手で、
自分が社会に出るときは、しっかりと言葉で教えてもらえる仕事に就こうと思ったものである。

ひととおりの解説を添えてからの「実際に見てみましょう」「やってみましょう」の形だと、理解しやすくてありがたかったし

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【エッセイ】小さいほど、大きいもの

【エッセイ】小さいほど、大きいもの

帰宅して何気なく目をやると、ソファの上に、子どもたちのぬいぐるみが、おしりを向けて置かれていた。
まるまるとしたぬいぐるみのおしりが並ぶさまは、なんとも言えない癒やし感がある。

肌寒かったので、温かいお茶を飲むことにする。
おやつに小さなクッキーを手にとり、ふと思い立って、レンジでほんのり温めてみた。
焼き立てのクッキーみたいになって、口の中でさくりと溶ける。

うん。楽しい。満たされている。

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【エッセイ】育ての天才

【エッセイ】育ての天才

病院の待合室に、生後5ヶ月ぐらいの赤ちゃんを連れた、若いお母さんが座っていた。

赤ちゃんの脇を抱き上げ、膝の上で、足をぴょこぴょこと突っ張るようにジャンプさせて遊んでいる。
赤ちゃんは、お母さんと目線を合わせて、きゃっきゃと笑う。
見ているこちらも、幸せしかない。

ちょうど、首がすわり体つきがしっかりしてきて、抱き上げやすくなる頃。
表情が出てきて、あやすとニコニコと、ときには声を出して笑う。

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【エッセイ】交通安全のすゝめ

【エッセイ】交通安全のすゝめ

夕方、車を走らせていたときのこと。
信号のない交差点を、小学生の列が渡ろうとしていた。

ちょうど下校時刻にさしかかる頃である。
小さな体に、大きなランドセルが重そうに揺れているところを見ると、低学年の子どもたちだろう。

当然ながら、私は停まった。
お先にどうぞ、と軽く手を振る。

すると、道を渡り終えた小学生が、ひとりずつ律儀に、ぺこりと頭を下げていくのだ。
可愛らしく丁寧な姿に、ほっこりした

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【エッセイ】雑然とした整然

【エッセイ】雑然とした整然

名だたる文豪の書斎は、どこか雑然としている印象がある。

古びた家具のすき間を縫うように、本がうず高く積まれ、執筆道具が散らばり。
独特の空間の中で、唯一無二の物語が生まれる。

昔は、そんな住まいに憧れていた。
そのような場所でなら、私も何者かになれるかもしれないと、無意識に思っていたのだろう。
私が憧れていたのは、その文豪の作品と人生と哲学が体現された空間であり、雑然とした住まいそのものではな

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【エッセイ】コーヒーを買った日

【エッセイ】コーヒーを買った日

コーヒーバッグを買った。

私は普段、コーヒーを飲む習慣がない。
自宅ではもっぱらお茶だし、食後のお飲み物はと訊かれたら、紅茶を選ぶことがほとんど。
ごくたまに、気まぐれに頼んでみる程度である。

香りは好きだけれど、苦味や酸味が得意ではないため、ちびちびといただく。
そんな私が、コーヒーを買った。
広いフリースペースやシェアオフィスのある商業施設の一角で、いつも素敵な香りを漂わせている、珈琲焙煎

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【エッセイ】拝啓、いつだって本当の私を探していた私へ

【エッセイ】拝啓、いつだって本当の私を探していた私へ

「本当の私は、こんなんじゃない」。

それは、子どもの頃の私にとって、お守りの言葉でしたね。
だめな子だと叱られていたとき、友達の輪に入れずぽつんと佇んでいたとき。
何も言い返せず悔しかったとき、理不尽さに負けそうになったとき。
自分を守り、奮い立たせるための、鎧のような言葉だった、はずでした。

いつの間にか、言い訳の言葉になっていたと気がついたのは、大人になってからでしょうか。
失敗したとき、

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【エッセイ】私の友だち

【エッセイ】私の友だち

大好きな友だちがいる。
「ご近所さん」でも「ママ友さん」でもない、大好きな「友だち」だ。

私は結婚と出産のため、退職と同時に、旦那さん以外に知り合いのいない土地に引っ越した。
さらに、新しい環境に慣れる間もなく、妊娠トラブルで数ヶ月の入院生活を送っていた。
気を許せる繋がりがまだ何もない場所で、仕事にも行っていない私の社会は、あまりにも狭い。
新しい人間関係を築くきっかけは、近所に住んでいるか、

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【エッセイ】雨の日

【エッセイ】雨の日

大人になってから、雨の日の外出が苦手になった。
今でも、雨の音や粒や匂いは、楽しい。
雨そのものが、というよりは、それについてくる日常生活が苦手なのだ。

濡れた靴を乾かす、体を拭く、傘を干す。
自分のぶんと、子どものぶんと。
ひとつひとつは小さなことなのだけれど、人数と回数とが重なると、生活リズムを圧迫してくる。

だから、雨を楽しむ余裕がなくなる。
だから、雨が苦手になる。

高校生のとき、美

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【エッセイ】小さな本屋さん

【エッセイ】小さな本屋さん

noteは、小さな本屋さんのようだ、と思っている。

書店好きな方には共感していただけることが多いのだけれど、本屋さんに行く目的は、目当ての本を買うだけではない。
じっくりと時間をかけて、店内を回遊するのが、至福のひとときなのである。

書店員さんのお薦め本や、ベストセラー、お店独特の特集コーナー。
整然と並ぶ書棚から、ふと目に止まった一冊を抜き出して、ぱらぱらとめくる。
そのまま読んだり、買うた

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【エッセイ】語彙の壁打ち

【エッセイ】語彙の壁打ち

子どもたちと、しりとりをする。
まだ小さかった頃は、「答えやすく」「繋ぎやすく」「子どもも知っている」言葉を探す、という縛りが、親に課せられていた。
私の語彙は、決して貧しくはないはずなのに、その中から、誰にでもわかるようにパスを出すのは、実に大変な試練だった。

大きくなって、知らない言葉に「それは何?」と興味を抱いてくれるようになってからは、
なじみのある言葉に、いい塩梅で新しい言葉を混ぜてゆ

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【エッセイ】「おはようございます」に込めて

【エッセイ】「おはようございます」に込めて

40代になり、自他ともに「おばちゃん」という呼称に違和感がなくなってきた。
しかし私はいまだ、地域の子どもたちに、気さくに話しかけるおばちゃんになれないのである。

まず、相手が不快にならない距離感がつかめない。
私自身が人見知りな子どもで、近所のおばちゃんに話しかけられるのがプレッシャーでしかなかったため、
適切な親しさというものがわからないのだ。

さらに、子どもという生き物が謎である。
わが

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【エッセイ】やさしい世界はどこにある

【エッセイ】やさしい世界はどこにある

車を走らせて、目的地に向かっていたときのこと。
道中、のぼりや横断幕を掲げたデモ隊が、2列で車道を歩いていた。
とっさに思ったことが、
危ないなあ、車の走行の邪魔だなあ。せめて1列になるか、歩道を使えばいいのに。
だった。

警察等の許可や安全管理がどの程度だったのかまでは確認できなかったけれど、正直なところ、不快な気持ちが大きかった。
主義主張の内容を感じとり、考える以前に、思いがそこで止まって

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【エッセイ】本好きの哀愁

【エッセイ】本好きの哀愁

本を読むのが好きだ。
読書友だちと、「年老いて不自由になりたくないのは、目か耳か」という会話になったときは、本を読むために即断で「目!」と答えた。
友だちも同じだったので、ふたりで笑った。

読み上げた書籍を耳から入れる方法もあるけれど、やはり自分のペースで文字を追いたいのである。
本の手触りや厚み、重さも感じながら、丁寧にページをめくりたい。

もしも将来、認知症になったら、読んだことを忘れて、

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