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私と書くこと

 私がキノと名乗る旅人と出会ったのは、まだ私が生まれた国に住んでいた頃、私が十一歳の時だ。
 その時私は何て呼ばれていたのか、実はもう覚えていない。何かの花の名前で、読み方を少し変えると、とてもいやな悪口になっていたことだけはぼんやりと覚えている。よくそれでからかわれたから。

時雨沢恵一著『キノの旅Ⅶ』(電撃文庫)の中の引用だ。小学生の頃、とても好きでよく読んでいたライトノベルである。
当時この作品が好き過ぎて、引用した文章は空で言えるほどであった。笑

幼い頃から本が好きで、毎朝ご飯の前に読書をするような小学生だった。
書くことに興味を持ったのは、小学校高学年の頃である。

『キノの旅』との出会い

冒頭で紹介した『キノの旅』は、友人の勧めで読んだ本だった。
この本はこれまで読んできた小説とは違う、独特の世界観や、表現技法、言葉の使い方があるように感じた。それはそれは衝撃的な出会いだった。
そして、黒星紅白の美しすぎる扉絵も魅力的であった。ヲタクという文化(沼)にハマったのは別の話である。

話を戻そう。
こんなにも人を引き込むような世界を、私も創造してみたい、発信してみたいと思うようになった。

そこで私は、父のパソコンを使って短編小説のようなものをたくさん作った。
それは他者が読めば場面同士の繋がりなどなく、何を伝えたいのか全く分からないようなクオリティであったと思う。だが、当時の私は完成させたことに満足感を得ていた。

そして余談だが、この当時は旅人が出る話や、拳銃が出る話を作っていた。勿論、主人公は黒髪短髪の中性的な顔立ちである。笑

友人たちとの交換ノート

父のパソコンのWordで、ひたすらに小説のようなものを作っていた頃。
きっかけは忘れてしまったが、当時の友人と交換ノートをすることになった。テーマはリレー小説。何人かで1つの物語を作るのだ。

1日2ページ(文章+挿絵)というのが最低ノルマであったが、友人が紡ぐストーリーの展開が面白くて、自分の番がくるのが楽しみであった記憶がある。

この当時、友人たちの間で流行っていたのは『テイルズオブシンフォニア』や『ダレン・シャン』、『FINAL FANTASY』。
と、いうことで、2~3作品まで続いたリレー小説は、複数人パーティで冒険し、黒魔法とか白魔法とか登場していた。
好きなものに影響されやすい、素直な小学生であったようだ。笑

他者に自分の文章を見せる、これを元に他者が今後の展開を紡いでいく。リレー小説の成立は、それぞれの文章力が大切だ。
この経験があったおかげで、父のパソコンで小説を作っていた頃よりも、文章力がついてきたように思う。

その後、私たちはA4ノート3冊分くらいの作品を2〜3つ作り、私の引越しと共に自然消滅した。

そして暗黒時代へ

中学校に入り、私は大きな病を抱えた。厨二病である。
病を抱えたことで、私の文章には厨二要素が加わり、ライトノベルを模倣した小説のようなものを、時間を見つけては作成していた。

インターネット上でホームページを作り、夢小説の作成に明け暮れていたのもちょうどこの時期である。
厨二病を発症してから、高校の勉強が忙しくなるまでの短期間が書くことのピークであった。
「将来はライトノベル作家になる!」が口癖の時期もあった。
しっかり自己表現していたのか、今となっては分からない。だが、書くことが好きだったのは覚えている。

おわりに〜文章力・漢字能力の低下

大学に進学してからは、レポート以外で文章を書くことがなくなった。
スマホでSNSやゲームにハマり、文章力だけでなく、漢字能力も低下していった。
そして、社会人の今も文章力は変わらず衰えている。

書くことに明け暮れていたあの頃よりも、きっとこのnoteの文章は下手くそであるだろう。
だが、当時から15年以上経つものの、こんなにもあの頃を覚えていられている。

それは、私が書くことが好きだったのは紛れもない事実だからなのである。


終わり


ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
スマホで長文うつの疲れたので、次回は短めにします。笑

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