ひとりぼっちの僕を救ってくれたHCシーン
東京都北区王子。3D CLUB BIRTH。
そこで月に一度行なわれていたライブイベントが【SUNDAY SCHOOL OF HARDKNOX】でした。
主催していたのはSUNDAY SCHOOL OF HARDKNOX POSSE(通称SSOHK POSSE)という集団。僕よりちょっと歳下の子達がメインだったと思います。
バンドやDJ、ディストロ、ファンジン、カメラマン。
皆それぞれ自分のやりたい事、出来る事を好きなようにやっていてカッコ良かった。就職で仕方なく上京して来た僕とはまるで違う人間の様にキラキラと輝いて眩しかったです。
イベントはライブ+DJに物販(ディストロ)といったスタイル。出演バンドは毎回2〜3バンドくらい。
当時既に人気絶頂だったヌンチャクや、いち早くUS HARDCOREスタイルを打ち出していたBLIND JUSTICE(後のENVY)、現toeのGt山㟢氏のSMELLING CUNTS(しっかし酷いバンド名だぜ、山ちゃん笑)など今思えば錚々たるメンツ。
更には大阪からTJ MAXXやDUG REVENGEなんかもやってきてました。
そうそう、ライブはやってなかったけど浜松のSTANDING POINTのトクちゃん(現BEYOND HATE Vo.)と初めて会ったのもこの場所でした。
そして何より僕が衝撃を受けたバンドがSWITCH STYLE。
当時メンバー皆10代だった(はず)けど、とにかく堂々としていてステージングが半端無くカッコ良かった。それまで僕が抱いていたハードコアのイメージを打ち破るくらいインパクトありました。SSOHK POSSEの中心的存在、というかSSOHK自体がSWITCH STYLE クルーだったのよね。
当時クルーだった連中の中には途中からPROTECTにGt.として加入するコウキ(KICK BACK ZINEもやってた)やREBIRTHのカツミ(Vo.)、イッセイ(Gt.)、ZONE ZEROのカメちゃん(Vo.)などその後の東京ニュースクールシーンを支えるメンバーが勢揃いでした。
ディストロは大江君(SSOHK ディストロ。後のOUT TA BOMB)、SWITCH STYLEのDr.でもあるYOUxSUCK(START TODAY。皆さんご存知のあの人ね)。ゲストとして半田さん(半田商会)も来てくれていました。
特に半田さんは同じ北海道出身という事もありすごく良くしてくれましたね。一番最初に仲良くなったのも半田さん。
今でこそ大手のHCレーベルという印象のVICTORY RECORDSですが、当時は日本に正規代理店が無く半田さんが窓口だったはず。おかげで半田さんから買うVICTORYモノはめちゃくちゃ安かった(3枚で1,000円とか!)。
オールナイトイベントのため当然翌朝の始発まで帰れない訳で、今思えば良く一晩中ひとりで過ごしてたなと思いますね(笑)
そんなぼっちの僕に声を掛けてくれたのが現NUMBのセンタ(Vo.)とナツオ(Gt.)でした。
特にナツオとは毎週末一緒に遊ぶ程仲良かったですね。知り合ってからほとんどの週末を彼と過ごしていた気がします。
ちなみに記念すべきNUMBの初ライブはSSOHKのラストイベントでした。
あの頃からセンタのライブパフォーマンスはカッコ良かった。
なんていうか、独特のグルーヴ感があるんですよ。それは恐らく彼のルーツの一つである90’s HIP HOPが根底にあるからだと思います。
センタやナツオと仲良くなってからは会うと挨拶したり話したりする知り合いが少しずつ増えていき楽しかったです。
NUMBが本格的に始動してからはとにかく行けるライブには顔を出すようにしていました。当時から色んな場所でライブしていましたが、一度船橋のザウスって室内スキー場でやった事があってめちゃくちゃ寒かったですね、色んな意味で(笑)
全国的に同じようなスタイルのバンドが増えて来た事もあり、大阪のTJ MAXXや名古屋のTAKE THE LEAD(後のWITS END)、神戸のJOHN HOLMEZといった素晴らしいバンドを東京で観られる機会も増えました。
STATE CRAFTのコハマ(現LOYAL TO THE GRAVE Gt.)や大貫(Vo.)、ヒロテクト(PROTECT Vo.)、KEN-ONE(ETERNAL B Vo.)、スワちゃん(AT ONE STROKE Vo.)なんかと知り合ったのもこの頃。
行く度に新しい仲間が増えていく喜びや嬉しさはひとりぼっちで上京した僕にとっては何にも代え難い宝物でした。
SWITCH STYLEがシーンから去った直後は集客が激減した時期もありましたが、その後の地道な活動の甲斐もあり徐々に活気を取り戻していきました。
僕もナツオとMOVE STRAIGHT AHEAD ZINEを作ったりMINIMUM RECORDSというカセットテープ専門レーベルを立ち上げたりと、シーンの中で自分のやりたい事、やれる事を模索しながら楽しんで活動してました。
このDO IT YOURSELF(DIY 自分たちのやれる事は自分たちで)な活動こそが僕の原点となった訳であります。
そしてその後の人生の様々なシチュエーションで深く大きく影響を与えていく事となるのでした。
最初はあんなに嫌で仕方なかった東京(千葉だけど)がいつの間にか楽しくて仕方ない街へといつしか変貌を遂げていました。
気がつけば上京から既に三年半の月日が経過してました。
(つづく)
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