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noteをはじめてみて思う事

一番最初の投稿で周りに勧められてと書きましたが、書いたものを読み返してみてふと思った事。
僕はこれを一体誰に向けて書いてるのだろうか?と。

そこでハードコア交友(交遊)回顧録【札幌編】に入る前に少し自分の中で整理しておこうと思います。

ここ数ヶ月、中国・武漢から始まった新型コロナウイルスCOVID-19の猛威はとどまる事を知らず世界は一変してしまいました。
それは正に付いていた電気をいきなりバチンと切られたかのように、本当に一瞬にして目の前を変えられてしまったような衝撃。
見えている世界は同じなのに明らかに今までとは違う世界になってしまった。

僕はそんな一変してしまった世界を最初なかなか受入れられず、心のどこかでいつかまた以前の世界に戻るのではないだろうか、と思っていました。

だけど当然一ヶ月経っても二ヶ月経っても戻る事はありませんでした。

或る友人が今回の事を祭りの後のようだと言っていました。
いくら続けてくれと叫ぼうがまだ終わらせたくないと泣こうが待ったなしで片付けは進んでいくのだと。飾り付けの提灯は外され出店や屋台も店仕舞。

その話を聞いたとき、僕はまるで自分は祭りが終わって欲しくないと泣き続ける子供のようで、あるいは皆が後片付けをしている時に抜け殻のようにぼーっとしている、学祭が終わった後の高校時代のあの感覚に近いものを感じていました。

初めて気付きました。これまでnoteで書いてきた回顧録、それは僕が僕自身のために書いていたんだなと。
自分の過去を、コロナ禍以前の取り戻したくても取り戻せないあの日々を言葉に書き記す事によって懐かしみ、残念だけどあの時代と訣別し自分自身を前に進ませようと無意識のうちにしていたのだと。

そしてずっと後ろを下を向いていた目線を前にやった時、もがきながらも何とか前に進もうとしている友人達が沢山居る事に気付きました。

これから僕は僕のやり方で彼らをサポートしようと思ってます。

スミマセンがこれからもしばらく交友録・回顧録を続けます。それは僕自身が納得する為に。

今までの人生の中で得た知識や経験をもう一度顧みて、今後生きていく為のヒントを探り、仲間を助ける手段を見つける機会にしたいと思ってます。









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