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詩的表現の余白について

定さん

定さん、お元気ですか。お変わりなくお過ごしですか。
最近は、新型コロナの影響で、いろんな「普通」がくつがえっていますが、定さんの生活はいかがですか。まあ、地球上のいかなる秘境にも身一つで飛び込んでらっしゃる定さんの生命力を案ずるのは杞憂かもしれませんが…でもやはり、ウイルスは人を選びませんので。

定さん…あ、最後にお会いした時、あなたが「定、あるいは鳴木戸と呼び捨てにしてください、その方がやりやすいので」とおっしゃったのは確かに私も覚えているのですけど、なんせ手紙にまでその呼称を適用させるのは居心地が悪くて…定さんとこのまま呼ばせてください。すみません。

改めて、定さん。単刀直入に申し上げると、あなたに手紙を書くためにパソコンを開いたのには、ある理由があります。それは、言語的(特に、詩的)な表現とその余白について、私の考えを聞いていただきたかったからです。そしてできることなら、定さんの考えを聞かせていただきたかったからです。私の周りに言葉を生業とする方は他にも何名かいらっしゃいました。しかし、定さんのされている編集のお仕事は、作家の言葉を読者に届ける、(その反対方向の矢印もあり得るかもしれませんが、いずれにせよ)いわば仲介のようなものであると解釈しており、その身体に染み込んだ仲介の視点から、お話を聞いていただきたいと思ったのです。少し長くなってしまうかもしれませんが、お付き合いいただけますと幸いです。


言語的な表現には、必ず読み手のための余白が存在します。あるいは、読み手は言語的な表現に余白を見出し、そこに読み手固有の色を塗ります。

今まで生きてきて、あまりにも当たり前であるこのことを、身を以て何度も感じてきました。

わたしの言葉の選び方はちょっと独特だと言われ始めたのはいつごろでしょうか。それは小学校の頃であったかもしれないし、あるいはもっと前からかもしれません。覚えていないくらい昔から、(他の誰もと同じように)わたしは言葉に、あるいはこの世界に、自分なりのリズムのようなものを感じていました。そして自分が構成する世界には、いつだって自分一人と、人格を持った愛らしい対象(それは金魚だったり、カナブンの幼虫だったり、猿のぬいぐるみだったり)だけがいました。自分がいつもいる「現実」と呼ばれる世界のことは何も考えずに、ただ大人たちから「空想」と呼ばれるような世界に揺蕩っていました。
当然勉強は落ちこぼれ。小学校6年生の最後のテストでは学年で下から2番目の点数をとって、合格点がもらえるまで担任の先生と何度も面談と再試をしました。何度も怒られたはずですが、わたしには怒られた記憶がありません。ただ、馬鹿にするような担任の口角だけは覚えていたりします。いずれにせよ、その時のわたしは大して傷つきませんでした。自分の世界があること、それに抱かれるように生きていること。それが全てだったのです。

しかし、中学校に入ってそれはコンプレックスに変わりました。規律を重んじる部活に入ったことが大きな要因だったように思います。
わたしの部活では、同期と何度も対話を重ねることが大切にされていました。「懸命とは」「厳しさとは」「本心とは」「謙虚さとは」「責任とは」「思いやりとは」など…抽象的だけれども看過できない概念について、小娘たちなりに、ありったけの時間をかけて話し合い続けました(この時に培った物事を真摯に見つめる態度は確実わたしの糧となりました)。わたしはこの時も、(今振り返ってみれば)自分のリズムを以って、物事を見ようとしていました。例えば、先日同期と話していた時に言われたのですが、当時のわたしは「責任って、ショートケーキに似てるよね」などと言っていたようです、わたし自身覚えていませんが。今となっては真意もわかりません。
でも、自分だけの世界や言葉に溺れていては、誰も相手をしてくれません。上下関係を重んじ、規律を大切にする(扉の開け方、雑巾の置き方一つとってもルールがありました)部活では、自分勝手に振舞うことは許されませんでした。
生憎、当時のわたしには自分の言葉を他人でもわかるような言葉に翻訳する力があまりありませんでした。そのため、目上の人や顧問の先生と話す際には、なるべく最大公約数的な言葉を使うように、自分を訓練するようになりました。「まともな」言葉を使えるようになるのと引き換えに、小学校の頃あれだけ愛していた世界はどんどん縮小し、脆弱なものとなってゆきました。そして中高一貫の部活で、6年をかけてじっとりと起こったこの変化に、わたしは無自覚でした。

大学に入って、さあ何をしようと思い立ったわたしはなぜかブログを始めました。noteではない、別の媒体でのブログです。しょうもないことを書きました。あるとき、それを目に留めてくださったある会社が、わたしにライターの仕事を依頼してくれるようになりました。わたしは商業的な物書きになりました。ただ、もちろん契約関係があります。「言葉を買われる」ためには、相手に「言葉を買うに値する」と思わせなくてはなりません。相手が求めている言葉を、文意を書かなければ。わたしはこの思想に縛り付けられてしまい、だんだんとそれが苦しくなっていきました。お金のために、薄っぺらい言葉を吐き出す自分が許せませんでした。

はっきり言います、そんなわたしにとって、詩は、わたしを赦すためにありました。

商業的な物書きに苦しさを覚えていたわたしは、もっと、自由に言葉を紡ぐための、保証、あるいは安全地帯を欲していました。もっと自由に書きたい、そして、その自由が認められていたい。

そんなおりに、ある友人が最果タヒという人を紹介してくれました。

彼女のサイトのページ「詩句ハック」を見た時、わたしは「やられた」と思いました。何に何がやられたのかはよくわかりませんが、とりあえずやられる感じの衝撃を体が感じました。ノックアウトされました。彼女が、言葉に遊んでいる姿が、眩しく見られました。

そして、彼女が「詩」という界で生きている、もっとなまなましくいうのであれば「詩」で生計を立てているのだと知りました。
「詩」。急にその可能性が目の前に開けました。小学校で教わったくどうなおこの『のはらうた』くらいしか引き出しがなかったわたしにとって、詩は牧歌的でほのぼのとした印象以上でも以下でもありませんでした。でも、それはもっと個人的で、具体的で、手触りのはっきりした言語表現であるのだということを、この時わたしは知りました。
そして同時に、自分の幼少期を思い出しました。あの時の自分が赦された気持ちになったのです、個人的な言葉が、世界が、リズムが、存在していいのだということ。

こういうわけで、わたしは詩を好きになりました。

一度休憩。こんなに自分語りする必要があったのかいまいちわかりませんね…大切なのはここからであるというのに。長々とすみません。定さんはいつもわたしの話を静かに、じっと聞いてくださるので、ついその時の調子で、手紙でもぺらぺら書きすぎてしまいました。ごめんなさい。ようやく本題に入ります。

詩を好きになったわたしは、様々な詩集に手を出しました。ですが、何本も読むというよりは、お気に入りの一つの詩を繰り返し読む方が好きなのだ、ということにだんだん気付いてゆきました。「読む」と言っても、ただ目で追いかけるだけではなくて、朗読してみたり、全文カタカナで書き写してみたり、詩から連想してコラージュを作ってみるのです。からだ全体を使って一つの詩を「読む」ことは、わたしにとっての幸せです。
わたしが好きなのはたとえば、谷川俊太郎の「世の終わりのための細部」です。この詩を初めて読んだ時、詩の向こう側では、世の終わりに際して様々な物事が通常の原理とは違うように蠢いていて、そのあまりにも不吉な手触りにからだが固まりました。読んでいる最中から、ざざん、ざざん、という砂利道を引き摺るようにして歩く音に似た波が耳にこびりついて、読み終わった後もしばらく離れませんでした。「詩を体験する」とはこういうことをいうのだと思いました。

他にも、詩の世界に浸り、詩人の生み出した個人的な言葉に触れるたびに、わたしは赦されたような気持ちになってきました。そして同じくらい個人的な言葉を使おうとする自分を、認められるようになってきました。余裕がなくなればなくなるほど分裂的になる話し方、何度も推敲しなければうまく纏まらない文章、時々頭に浮かぶわたし自身でさえよくわからない単語。言語表現に関するありとあらゆるコンプレックスを、詩が吸収してくれました。

そんなあるとき、「てやいてやい事件」なるものがおきました。
わたしは普段、現代芸術にも傾倒しています。昨年の夏、サイトスペシフィックアートとして発表されたある作品、さらにはそれを制作した作家に、わたしは心を奪われました。そして、あまりにも素敵であったゆえに、もっとみんなに知ってしてほしいという思いを込めて、twitterにて以下のような言葉をつけて引用リツイートしました。

「てやいてやい 大尊敬」

この「てやい」はわたしの造語でした。「いけいけゴーゴー!!」か「いえい!!」に似たような気持ちを表す言葉として、パッと出てきたオノマトペを、そのまま文字に起こしてみたのです。
程なくして、作家本人からわたしにメッセージが届きました。それは以下のような内容でした。

「てやいてやい、ってどういう意味ですか?馬鹿にするのはいいけど、誰でも見れるところに書くのは、ちょっと考えが足りないんじゃないですか?」

寝耳に水。臓器が縮んで、冷や汗が出ました。大好きで、だから書いたつもりなのに、相手はなぜか怒っている。「馬鹿にする」?どうしてそんなように思われてしまったのか。
わたしは弁明しました。制作をとっても尊敬していること、「てやい」はその気持ちを表すために作った造語であること、曖昧な表現を使ってしまったのは申し訳ないが、馬鹿にするつもりは一ミリもなかったこと。それでも、相手は納得しないようで、蟠りは解消されないまま時だけが過ぎていってしまいました。
これは後からわかったことなのですが、「てやい」という言葉は、三重県四日市市四郷地区の方言で、「あいつら」や「連中」という意味を持つようだったのです。茨城出身でいらっしゃるその作家の方はきっと、耳慣れない響きの「てやい」をインターネット検索で照らし合わせ、侮蔑の表現だと解釈したようだったのです。

言葉で現象を過不足なく言い当てることはできません。漸近はしますが、絶対に到達しません。そして、それが個人的な言葉であればあるほど、莫大な余白を残すことになります。あるいは、理解できない言葉であればあるほど、言葉の受け手は自分なりの色をそこに見出していかなければなりません。結果として、時に作者の意図と受け手の解釈との間に大きな乖離をもたらすことがあります。「それが言語表現の面白さだ」と言ってしまえばそれまでなのですが、もし先述したように、相手を怒らせてしまったら。さらに言えば、相手を傷つけてしまったら。悲しみの淵に追い込んでしまったら。そう考えると、わたしは途端にまた、個人的な言語表現が怖くなってしまったのです。

定さんは、この問題をどうお考えでしょうか。臆病なわたしを、時々乗り越えられなくなります。詩がこんなに好きなのに、詩を心の底から楽しめずにいます。定さんのご意見を聞かせていただきたいです。

長々と失礼いたしました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。季節の変わり目ですので、ご自愛くださいね。

追伸:実は、通っている大学でこの春から「人文科学特論」という授業を受ける予定です。詩についての授業です。履修者や先生との関わりの中で、今まで述べたような内容に関する、わたしなりの折り合いの付け方を探していきたい所存です。

敬具

あなたに言葉の花束を差し上げたいです。 ちなみにしたの「いいね!」を押すと軽めの短歌が生成されるようにしました。全部で10種類。どれが出るかな。