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仕事を手放し、志事で生きる

『志事で生きる』とは、志しが持てるコトに時間を使い、お金が入る仕組みを創って、生きていくことである。

志事を目指す起源

どうしてこのような生き方を僕は目指すのか。それは今(2020年)から8年前の2012年5月14日まで遡ることになる。当時、僕の姿は東京の八王子にあった。会社の一室で「高志さんに、お任せする仕事はこの会社にはもうありません」と、当時の社長から直接告げられた。人生初のクビである。

今まで自分から会社を辞めた経験はいくつかあった。しかし、会社から宣告されるのは、初めてだった。僕が長い間やってみたい業界への就職だった。私財を全て投げ打ってでもやりたいことだった。一念発起して、上京したが、わずか2ヶ月という期間で「ジ・エンド」。言葉には表せない辛酸を舐めた。

こんなことで実家には戻れないと思った。セカンドチャンスを信じて、都心での生活、立て直しを試みたが、当時は運も無かった。追い討ちをかけるように病魔が襲う。右目が白内障になり、みるみる視界が薄曇りな状態。『まさかこの年齢で、しかも片目だけ』。2週間ほどで視界はほとんど無くなった。とても次の就職を勝ち取る体制が取れなかった。

しばらくして、実家へ戻った。見慣れた景色を見た瞬間。人生で初めて、大粒の涙が頬を辿ったのを感じた。悔し涙という感情が僕の中にもあることを知れた。

今は手術をして、視力は回復し、視界も良好だ。しかし、僕の人生の視界は良好ではない。辛酸を舐めた瞬間から8年も経っているのに、未だ非正規雇用で未来に夢の持てない日々を過ごしている。長くなってしまったが、これが『志事で生きる』を決めた根元である。8年も経過して、良好な未来を築けていないのだ。

モノを減らし得られたコト

では、この8年間を何もしないで過ごしてきたのかというと、そうでもない。『もがいていた』というのが、僕的にはしっくりくる。ある年には、仕事を4つほど抱え、休みなく過ごすことが心地良かった。この期間を機に、なんとなくだが気持ちが上を向けるようになった。

昨年の夏頃からは、今後の人生設計をどうするかを真面目に考えるようになっていた。そうした模索の中、ミニマリストさん達の存在を知る機会があり、大好きなモノに囲まれる生活という響きにとても魅かれた。

まずは彼らの生き方の真似からと『減らす』にスポットを当てて、生活に取り入れた。実感としては、棚や収納があるため、見た目にスッキリしていただけで、想像以上に物で溢れ、それらの管理(掃除や整理整頓)で時間を費やしてきたことを実感した。

ショックだった。無駄なコトやモノに溢れていることに。『こうした生活をこれからも続けるのか?』と自問自答する日々の中で、次の目標が私の心に浮かぶ。

【目標】仕事を手放し、志事で生きる

『志事』とは、シゴトと読む。繰り返しになるが志ざしが持てる事だ。皆様にもあるんではないだろうか。僕が志ざしを持って取り組めること、時間が過ぎるのも忘れて熱中すること、それはDIYであり、趣味の釣り。これらにお金が入る仕組みが加われば、シゴトが成立する。この『志事』を創りたい。成就まで持って行ければ、仕事は手放せるはず。

仕えるコトの価値

では、その手放したい仕事の価値とは何か。これは生活の糧にはなっている点。残念ながら、これだけと言い切っても過言ではない。

僕はまだまだサラリーマンをする。いわゆる仕事である。仕える事なので、どこかに属さなければならない。日々の仕事さえすれば確実にお金がもらえる。しかし、面白みは全くなく、自分の未来を考えると、時間だけが過ぎ、充実感のない人生になっている。日々を消耗しているのだ。

つまり、楽しくない時間を生活のためだけに過ごしていることになる。これは生き地獄ではないか。しかし、それを選んでいるのは僕自身だから、今は仕方がない。

実力主義に挑む

ただ、今後は日本型雇用と呼ばれる終身雇用は崩壊を迎えそうだ。いつなのかはわからない。むしろ、世界ではすでに実力主義は当たり前で、日本が取り残されている感がある。今だから客観視できるが、実力不足でクビを宣告されたあの日あの時。まだまだ世間は終身雇用が安泰な日本だった。ところが、年俸制を採っていた当時の会社。実力なければ解雇すると、時代の先端を走っていたのかもしれない。アメリカ社会で数年間過ごした経験のある社長のスタイルだったのだ。

その社長から今日、年賀状が届いた。今年で20年目を迎えるという。僕もこの8年間で個人事業主として、独立をした経験もある。1年半で看板をたたむことにはなった。だから、余計にこの20年目という年数に凄みを感じた。実力さえあれば、あの社長イズムを学ぶことごできたのかと思うと、日々の鍛錬を怠ったことを猛省した。

こう振り返ることができるほど、気持ちに余裕が出てきたのは去年のミニマル生活を取り入れ始めたころだ。気づきには、時間がかかることもある。

繰り返すが、人生初の苦い経験と、現時点の世の中の情勢を客観視。もっともっと、自己のbrushupをしておけば良かった。ここで、これから何をしようかと昨年の夏頃から探して、探して、昨年末にようやくぼんやり見えてきて、2020年を迎えている。

目標を実現するには、お金を稼ぐという最低限の条件をクリアしなければ、スタートすらできないと思っている。お金を勝ち取るには、これまでのようにボヤボヤしていてはいけないし、生活も考えると、今のままではとても生き残っていけない。自己の鍛錬する日々。これに挑戦をする。

志事を創ることは容易ではない。自己を鍛錬した先に見えてくるものがあると信じて、今日を過ごす。


〜編集後記〜

新年明けましておめでとうございます。今日から2020年がスタートしましたね。私自身、今年は①noteと、②YouTubeを始めることにします。『志事』で生きていきたいと思い、そのために何をしていく必要があるかを考えた結果です。

2020年。どうぞ宜しくお願い致します。

高志(Takashi)



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