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寂しさの行方

わたしは稲垣えみ子さんと大原扁理さんの本が好きで、ほとんどを読んでいてます。


7月に発刊された『シン・ファイヤー』はなんとその2人の対談本ということで、さっそく購入して読んでみました。


わたしはファンなのは確かなのですが、読後「かつてほど面白く読めなくなってきているな」と感じました。


それはたぶん、今のわたしは「もう少し苦しい部分」に興味があるからだと思います。

「小気味いい、希望のあるメッセージ」ではなく、人が本来抱えている矛盾だとか悲しみ。


今、インターネットには「メッセージ」が溢れており、それらはブランディングとかマーケティングとかでラッピングされています。

それが悪いわけじゃないけど、もう少し人間らしい本音に近い部分の文章を読みたいという希望が、ここ最近の自分にはある。


それを一昔前は本に求めていたのですが、最近は「本」もずいぶんと「メッセージ」が増えてきた気がします。


例えば今回の対談本でも、お二人は「広告」に対して批判的な目を向けている。

一方で、稲垣さんが連載を掲載する雑誌やウェブメディアは間違いなく広告で利益を上げており、ひいては稲垣さんのギャラもそこから捻出される。

もちろん、テレビでも同じ。


またお二人ともパッケージングされた「旅行」ではなく、「暮らすように旅する」ことを提案されるが、大原さんがやっていたトラベルライターは、おそらく「旅行」を提案する仕事であろう。

そういった「生活者」としての自分と「社会人」としての自分の矛盾について、わたしは聞いてみたいと思う。


これはずいぶんと意地の悪い質問なんだけど、何を隠そう、わたし自身がひとりの生活者として、書き手として、思い悩む部分であるからだ。


正直、お二人に共感するところは多い。

っというか、少なくない影響を受けている。

だからこそ「稲垣流」「大原流」の生き方をした時に自然とぶつかる矛盾や困難について興味がある。

『家事か地獄か』というよりは、その間に潜む難しさについて聞いてみたい。


多分、お二人も悩んでいると思う。

ただ編集が加わると、やっぱり少なからず言葉がメッセージ化する。

この本は太字(マーカー)の文字装飾が、ちょっと多い。


その点からも言葉をメッセージ化する意図がみてとれました。

っということは、編集によってこぼれ落ちた「矛盾」も、実際の対談の中にはあったのだろうなと想像します。

(ちなみに編集を批判しているわけではありません。その意図、目的はすごくよくわかります)


あとはFIREをとっかかりにした本だけあって「投資」という言葉がよく出てくる。

お二人の言う「投資」は金融投資と言うよりも、人間関係への投資や自己投資の意味合いが強い。


そこで思うのは「結婚」や「子育て」についてである。

人間関係における投資で言うと、やはりそれが王道的であると思うからだ。


お二人は結婚されておらず、お子さんもいらっしゃらない。

その道を選んだ理由、あるいは経緯を聞いてみたいと思う。


しかし、今日びそんな質問は失礼に値するだろう。

あまりに内面に深く関わりすぎていて、そう簡単に答えたいと思える事柄ではない。

っというか、わたしも結婚していないし、自分が聞かれたら嫌だし(笑)

しかしそんなタブーに切り込むのも、「本だからこそ…」と思わなくもない。


話を進めていくと「ってかおまえ、コスパで結婚するのか?」という指摘も出てきそうである。

それはそれで、おもしろい話になりそうだけど。


またお二人が生来持っている(と思う)「反骨精神」についても聞いてみたい。

マスメディアの影響力が弱まっていく世の中で、(わたしたちが)反骨すべき対象も力を失っていっている。


分断の時代とは言うが、「あいつさえ倒せばいい」というRPG的な思考は、現実にそぐわなくなっている。(と思っている)

それで言うと、本書での「サラリーマン」に対する見立ては、少しシンプル過ぎる気がした。


言うまでもなく「サラリーマン」にも色々ある。

そして結局はサラリーマンが作ったプラットフォームの上で生きるのがフリーランスであるという見立てがわたしにはある。


サラリーマンやエッセンシャルワーカーの仕事の上に、ほとんどのことが成り立っている。(というのが今のわたしの世界観)

その仕事に対するリスペクトを加味すると、今回の「サラリーマン」に対する感想は、少しシンプル過ぎる気がした。


シンプルすぎる「反骨精神」は、近頃は簡単に「なにか良くないもの」に吸収されてしまう懸念がある。

「〇〇ってそうだよね」という簡単な見立ては、世界と自分を切り離すベクトルを持つだろう。


それは、本書でたびたび指摘されている「世界と関係を結ぶ」ことの障害になると思う。

世界と約束するには、世界を信じて、外に出る必要がある。


しかし反骨精神は、それとは逆に世界を自分に都合が良いように書き換え、そこにとどまらせるエネルギーになっているように思えてならない。

それこそVRの世界へと。


わたしも20代ずっと音楽をやってきたような人間だから、それはもう「反骨精神」を持っている(笑)

反骨精神を生み出しているものは何かというと、それは「寂しさ」だと思う。


世界と約束を結べなかった寂しさ。

だからその寂しさについて深く聞いてみたいなと思う。

行き場のない寂しさと反骨精神について、聞いてみたいと思う。


なんだか「わたしの悩みを聞いて欲しい」という恥ずかしい書評になってしまった(笑)

この本は300ページほどあって分厚いけど、対談から読みやすいです。

実際、文字数はそう多くないと思います。


お二人に興味ある人は読んでみるのもおすすめです。


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