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ミニマリズムとキリスト教

ミニマリズムを禅やヨガなどと結びつける人が結構いますが、ミニマリズムはアジア文化に由来しているわけではありません。

ましてや、一部のミニマリストが主張するような、「日本から世界に広がりつつある!」ようなものでは決してありません。「清貧」や「ものに執着しない」という考えは、多くの国、文化、思想、宗教において、昔から見うけられます。

また、芸術や建築の分野では、ミニマリズムの潮流は、戦後まもなく欧米で起こりました。今のように、「ミニマリズム」が、シンプルな生き方をする、という意味で世間一般に知られるようになった発端はアメリカです。

日本ではあまり話題になりませんが、欧米では、クリスチャンでミニマリストという人が結構多いです。アメリカ人のミニマリストとして有名なジョシュア・ベッカー (Joshua Becker) もクリスチャンです。

それは、本来のミニマリズムが、キリスト教の精神に通じるものをもっているからかも知れません。(もちろん、他の宗教に通じる点もあります)

あえて「本来の」と書くのは、ブームとしての日本のミニマリズムは、その一部がもはや、「物やお金に執着しない」という主旨からかけ離れたものになっているからです。

ミニマリズムの定義があるわけでもないので、べつに何をもってミニマリズムと言うかは個人の勝手かもしれません。

でも、ブームに踊らされるのではなく、一度たちどまって、自分で考えを深めることも必要です。

聖書の中のミニマリズム

ジョシュア・ベッカーは、彼のブログにおいて、
「自分にとって、ミニマリストという生き方は、主イエスが生きたであろうと思われる生き方と、より調和するように感じる」と書いています。

では、キリスト教の聖典である聖書は、どんな生き方をせよ、と書いているのか。

これはもう、聖書のいたるところに清貧の精神が記されているので枚挙にいとまがありません。以下に、ほんの一部を紹介します。

例えば、イエス・キリストはこう言っています。
『あらゆる貪欲(どんよく)に注意を払い、用心しなさい。たとえ有り余るほど物を持っていても、人の寿命は財産によってはどうすることもできないからである。』(ルカの福音書、12: 15)

聖書の中でもとりわけ有名な、イエス・キリストの「山上の垂訓」には、こう記されています。

『自分の命のことで、何を食べようか何を飲もうか、また、自分の体のことで、何を着ようかと思い悩むな。(中略)あなた方のうちの一体だれが、思い煩ったからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。』(マタイの福音書、6:25, 27)

また、伝道者パウロの言葉にはこうもあります。

  • 『金銭に執着しない生活をし、いま持っているもので満足しなさい。』(ヘブライ人への手紙、13: 5)

  • 『私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことはできないのだから』(テモテへの手紙、6: 7)

クリスマス・セールやボーナスの時期だけに、今こんな言葉は聞きたくない、と感じる人が多いかも知れませんが。

クリスマスだからこそできること

クリスマスは言うまでもなく、イエス・キリストの誕生を祝う日です。

救世主の降誕を天使に告げられた羊飼い達が、馬小屋で飼葉おけに寝かされたイエス・キリストを訪れる場面は、日本でもよく知られていると思います。

特筆すべきは、生まれたばかりのキリストに、(その両親であるマリアとヨセフ以外で)最初にまみえる光栄に預かったのは、贈り物をたずさえた東方の三博士ではなく、貧しい羊飼いであったという点です。いわば、人々が休んでいる間も仕事に従事していた労働者たちです。

そして、彼らは何も持たずに、ただキリストの御顔を仰ぎたいという一心で、御許に駆けつけました。

物質的なものではなく、労力や愛情を誰かのために捧げる。あるいは、可能な限り共にすごす時間を優先的にもつ。これこそ、クリスマス本来の過ごし方だと思います。

金銭的に余裕があるのなら、チャリティーや恵まれない子供にお金を寄付する、というのもいいと思います。

街角募金は素性が定かでないものもあるので避けた方が無難ですが、しかるべき団体を通して、きちんとしたセキュリティーのオンラインで寄付すればいいだけの話です。

これなら、相手はお返しができないですし(自動送信のお礼メールは来ますが)、匿名で寄付することもできるので、完璧に「クリスマス精神」の捧げものです。

「ちゃんと感謝もされず、寄付したことを認識すらされないなんて嫌だ」と言う人は、根本的に動機が間違っています。

聖書にはこうもあります。
『喜んで与える人を神は愛して下さいます。』(コリントの信徒への手紙2、9: 7)

ミニマリズムは、「自分のために小銭をため込むこと」ではないはずです。

自分のことや生活のことばかりにとらわれるのではなく、思い煩いや物質的なことへの執着を捨てることによって、他人のために何ができるかを考えてみてはどうでしょうか。