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ミニマルな暮らしをする根底にある「常識を覆したい」という思い

持ち物を少なく、シンプルな暮らしをすることを推奨している私ですが、その根底にある気持ちは「常識を覆したい」という思いなんです。

常識にとらわれて自分の好きなことができないのは悲しいし、できれば多くの人にやりたいことを実現できる人生を歩んで欲しいじゃないですか。

そんな私の根本的な気持ちを書いていきます。

はみ出し者でも生きていきたい

私は高校を卒業して劇団に入りました。中学生のころから演劇をやっていて、「高校を出たら役者になる」と決めて疑いもしなかったんです。

でも当時、高校卒業後の進路といえば進学か就職。私の通っていた高校は実業高校で、進学する人はとても少なくほとんどの人が就職を選択していました。

その二択しか用意されていないことはわかっていたんです。

でも私はもう自分の中で決めていたので迷いはありませんでした。例え周囲に非常識だと言われても、私がそれを実現させたら常識になるじゃないのよ。というかんじでした。

だから進路指導も不要でした。

挫折後、常識の流れに乗るも乗り切れず

念願の劇団に入ったのも束の間、お金が続かないという現実に心が折れてしまいました。

そこで私の頭の中を「常識」という言葉がよぎります。

やはり常識に則ってきちんと正社員として働かねば生きていけないのだ。そう思ったんです。

初めて自分一人で就職活動をし、なんとか会社に就職しました。ところが、私のようなはみ出し者には会社員という生活が合わず、いつも窮屈さを感じていました。

自分にとっての常識を持っておく

もうどこかの誰かが考えた常識に自分を合わせるのは無理だ。そう感じた私は心の中に「自分にとっての常識」を秘めておくようにしました。

「自分にとっての常識」はあくまで「自分にとって」のものです。

私以外の人に押し付けてもダメだし、通用しなくても文句を言ってはいけない。

ただ心の中に持ち続けておこう。そう決めました。

常識は疑ってみよう

それと同時に、「常識は一度疑ってみよう」と思うようになりました。

刑事バリに疑ってみよう。

もしかしたら勝手に常識だと思い込んで自分で生きにくくしているだけかもしれないですからね。

スマホがないと生活できないという常識を疑ってみた

スマホを持つことは今や常識というか、生活必需品ともいえるかもしれません。

子どもから年配の方まで、もう持つのが普通。

私も何も疑わないままスマホで生きてきました。

そんなある日、あまりにもスマホに囚われて依存しているように感じた私は、ここで初めてスマホの存在を疑いました。

こいつ・・・本当に必需品なのか?と。

あるのが普通だと思っているけど、昔はなかったし。

なくても普通に生きてきたし。

そして思い切ってスマホからガラホに機種変更しました。

不便になったこともありますが、結果的には快適です。詳しくは他の記事や動画で紹介しているので、見ていただけたら嬉しいです。

田舎は車がないと生活できないという常識を疑ってみた

私の地元は田舎で車社会です。電車やバスは一時間に一本程度ですし、タクシー利用は贅沢だと敬遠されます。

車がないと外出もままならない。

でも私、そもそも車の運転が苦手なんです。免許はとったけど、車を買うつもりは一切ありませんでした。

雪道の運転は怖いし、自信もない。

だけど地方に住んでいたら車を持つことが常識で、高校を卒業する頃には「車何買うの?」なんて会話をするのが普通でした。まだ働いてもいないのに・・・ってかんじですよね。

私は車を買うつもりはなかったけど、地元に戻ってから営業の仕事をすることになってしまったので、致し方なく車を購入しました。それからは何も考えることなく車を持ち続けていました。

でもここの常識も疑ってみたんです。

なくても生活している人も普通にいるし、高校生の頃は誰も持っていなかったけどなんとかなったし。

実際手放してみて不便であるけど、別に生活できないほどではないです。ない方が運動量も増えるし、雪道の恐怖もないし。

むしろ快適。

たくさん食べるのが幸せという常識を疑ってみた

私は子どもの頃から小食。しかも好き嫌いもあります。というか、食に無頓着なんです。

毎日同じものでも全然いいし、ちょっとぐらい食事を抜いても平気。(健康面から考えて、一応ちゃんと食べてるけど)

だから料理も興味ないし、苦手です。

美味しいものをたくさん食べるのが幸せだと考える人からは不思議な目で見られますが、だって仕方ないじゃないですか。

でも、小食である私は自分のことをとても燃費の良い体質だと思っています。小食だからって動けないわけじゃないし、保育士時代もバリバリ動いてたし、今も一日1万歩以上歩いてます。

貧血もないし、風邪も滅多にひかないし。

小食でよかったと思うのは、少ない量でも満足できることの他に、災害時におなかいっぱい食べられなくても平気なことがあります。

実際震災時に停電して、あり合わせのものしか食べられなかったときも、私はそれで十分でした。我慢してるという感覚すらなかったです。

”少ない方がいい”という価値観でいると、幸せを感じるセンサーが敏感になるというか、ちょっとしたことでも幸せだと思えます。

常識にとらわれないためには常識を知ることも大切

常識を疑うことで見えてきたことはたくさんありますが、だからと言って非常識に振舞っても良いとは私は思いません。

常識を疑うためには、まずは「常識ではどうなっているのか」を知る必要があります。

私も一度世間の常識に自分を当てはめてみて、その上で違和感のあるものを疑っています。違和感がなければそのままにして過ごしていることも多々あると思うのです。

結局は何でもやってみる。何でも見てみる。自分で経験してみるしかないのだと思います。

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