「自分の情熱に従え」は間違ったアドバイス
あなたは何に情熱を注いでいますか?
人生に情熱を持っていますか?
仕事は情熱を持って取り組んでいますか?
趣味は情熱を持ってやっていますか?
その情熱をどのように生活に取り込んでいますか?
これらは、幸せや満足、自分の成長に密接に関連する重要な質問です。
私は「情熱に従え」や「好きを仕事に」という言葉の大ファンです。
情熱を見つけ、それを追求することが人生の主要な一側面だと思っています。
しかし、物事はそんなに単純ではありません。
今日から何も考えずに情熱だけを追い求めても、結果は悲惨なものとなる可能性があります。
そして、「デジタルミニマリスト」の著者、カル・ニューポート博士も「情熱に従え」というアイデアに対して一言ある人です。
今日は、そんな彼の著書やを紐解きながら、このアイデアの罠を見ていきます。
カル博士が面白いのは、世の中に広く流布しているものの考え方に対して、真っ向から疑問を呈し、論破していくところです。
そんな彼が、なぜ「情熱に従え」がでたらめなアドバイスなのかについて、丁寧に解説してくれています。
以下、私なりにかいつまんで要約し、対話形式でまとめました。
なぜ「情熱に従え」はでたらめなアドバイスなのか
Q:
「自分の情熱に従え」というアドバイスは、よく耳にします。なぜ、この言葉は魅力的に聞こえるのでしょうか?
また、なぜこれは悪いアドバイスなのでしょうか?
カル博士:
魅力的に聞こえるのは、シンプル、かつ大胆だからです。
このアドバイスは、「自分には天職があり、それを発見し、勇気を出してそれを追いかけさえれば、生活は素晴らしいものになる」という単純化された図式でできています。
つまり、「大胆な行動がすべてを変える」。
正しいからではなく、パワフルなストーリーだから愛されているのです。
問題は、情熱がこのように機能するという証拠があまりないことです。
「自分の情熱に従え」という言葉は、次の2つの仮説を前提としています。
あらかじめ情熱を持っている
その情熱を仕事に合わせれば、その仕事が楽しくなる
しかし、これらは誤った仮説です。
ほとんどの人は予め情熱を持っているわけではないのです。
また、職場の満足度に関する研究によると、「人々が仕事を好きになる理由は、単に生まれつきの興味に合致しているからという理由だけでなく、もっと複雑で微妙な理由があること」が分かっています。
Q:
カル博士は情熱に従うのではなく、情熱を”育てる”ことを提唱されていますね。
その違いは何でしょうか。
カル博士:
”従う”とは、あらかじめ情熱を発見し、それを仕事にすることを意味します。
その時点で終わりです。
反対に、「育てる」とは、自分の仕事に対する情熱を築くために努力することを意味します。
「育てる」は、発見したら終わりの一時的な行為と違って、継続的なプロセスなのです。
これは時間のかかるプロセスですが、その分、多くの見返りを得ることができます。
そのためには、職人のように仕事に取り組むことが必要です。
自分の能力を磨き、その価値を活かして、自分のライフスタイルに合った働き方をするのです。
Q:
調査の結果、情熱を貫く上で最も一般的な誤解は何でしたか?
カル博士:
困ったことに、私が「情熱を追いかけるな」と言うと、「仕事に情熱を注ぐという目標を追いかけるな」と言っていると勘違いして、怒る人がいたのです。
これは大きな誤解です。
私はこのようなことを言っているのではありません。
情熱は素晴らしいものです。
ただ、情熱が自然に存在し、発見されるのを待っているものだという根拠があまりないんです。
発展させるためには、努力と計画が必要なのです。
Q:
先日の講演で、「スティーブ・ジョブズのようにやれ、言う通りにするな」と仰っていましたね。
これは素晴らしいアドバイスだと思いました。
もう少し詳しく教えてください。
カル博士:
スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で、学生たちにこう言いました。
「好きなことを見つけなければならない、妥協してはならない」、と。
このスピーチが報道されたとき、多くの人が、ジョブズは「情熱に従え」と言ったと解釈しました。
しかし、彼の伝記を詳しく調べてみると、そうではないことがわかります。
彼は、主に東洋の神秘主義に「熱中」していた時期に、アップルコンピュータに偶然出会ったのです。
それは最初は情熱なんてものではさらさらなく、ただの1000ドルを手っ取り早く稼ぐための計画でした。
しかし、ジョブズはチャンスに対してオープンでした。
自分の計画が想像以上に大きなものだと感じると、ピボットを切り、コンピューターを売ることを軸にした会社づくりに多くのエネルギーを注いました。
情熱を育んだのです。従ったわけではありません。
人はしばしば、あるアイデアに興奮しても、情熱を抱いても、すぐに勢いを失い、やがてそのアイデアをやり遂げようという意欲を失ってしまうことがあります。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
どうすればこの問題を解決できるのでしょうか。
ここで問題なのは、本当の情熱がどのようなものであるかについて、私たちはほとんど理解していないことです。
あるアイデアに興奮するという感覚は、人を充実したキャリアに駆り立てるような深い情熱とは異なることが多いのです。
興奮は、常に訪れるものであり、去っていくものです。
本当の情熱は、長い時間をかけてその分野の職人になり、その価値を活かして本当に影響を与え、自律性と尊敬を獲得し、自分の職業の運命をコントロールできるようになったときに生まれるものなのです。
Q:
もし、自分の情熱が何なのかわからずに迷っている人がいたら、情熱を育むための正しい道筋をつけるために、まずどんなステップを踏むことをお勧めしますか?
カル博士:
ここで重要なのは、天職とか、あなたが発見するのを待っている特別な情熱は存在しないということです。
情熱は育てるものです。
それは、さまざまな分野で培われるものです。
だから、「私は自分の情熱が何なのかわからない」と不満を漏らす人たちは、言葉の意味をなしていないのです。
彼らの発言の真意は単に、「私は自分の情熱を育てる努力をしていない」ということです。
彼らがすべき唯一のことは、自分の力と時間を注ぐ対象を本当に少数のものに絞り込んで、情熱を育てるプロセスを今日からはじめることなのです。
最後までお読みいただきありがとうございました🙏
カル博士に興味を持った方は、ぜひ「デジタルミニマリスト」を読んでみてください♪
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