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イケメン病 入院手記 #3 手術へ

minifilmの高橋です。少し時間が空いてしまいましたが、イケメン病入院手記、ついにパート3は手術です。

いざ、手術

自動ドアを通り、いよいよ手術室へと入った。手術室は、映画で見る姿と全く同じでビックリした。「映画って再現性高いんだ! 映画ってすごい!」という驚きがあり、逆に、「映画の世界みたいだけど全部本物なんだよな。現実ってすごい!」みたいな驚きもあった。
手術台はかなり小さいただの「台」だった。ええー、現代医療における手術台ってこんなもんなのかぁ、めちゃくちゃ質素じゃんと思いながらも、台を進化させようにも無理だよな(強いて言うなら寝転ぶだけで心拍数とか全部計れるようなものかな)、なんて考えていた。その小さな台にあお向けに寝転がる。僕はかなり細身なほうだが(だから気胸になった)、その自分でさえ、ギリギリなサイズ感しかない。
「緊張しますか?」
医師の一人にそう聞かれた。
「あぁ、それはそうですね。どうしても⋯⋯」
「そうですよね。これからは何をするにも事前にお声掛けしますので」
「分かりました」
「では、まずは数値を見るためのものを色々付けていきますね。」
手術着を脱がされパンツ一丁になる。そして、胸や指に装置が手際良く装着されていった。左手側に2人、右手側に1人の医者がいて、3人体制で作業を進めているようだった。
事前予告システムはありがたいんだか、ありがたくないんだかよく分からない。例えば「じゃ、お腹チクッとしますからね」と言われたら、お腹に全神経を集中させてしまう。でも「それじゃだめだ。お腹のことは考えるな、考えるな、気をそらせ⋯⋯」みたいになる。何が言いたいかっていうと、予告されると逆に集中しちゃうから、むしろ言わないでいきなりブスっとしてくれたほうが良いということはないですかね? ということだ。
自分の頭上には、円形の大きいライトがある。映画でよく見るようなやつだ。ああ⋯⋯ついに手術されてしまう、と急に恐怖が襲ってきた。足元を通した先の壁に、アナログ時計が見えた。13:40くらいだった。その横には赤い字で書かれたデジタル時計があって、16:00くらいを示していた。なんで2時間ちょっとのズレがあるんだろうと思ったけれど、この手術は2時間くらいと言っていたから、だとしたら、手術の終了予定時刻でも表示させているのかなぁ、と思った(後に調べてみたら、麻酔と手術の時間をデジタルで示す「オペタイマー」というものらしい)。
装着作業が終わり、医師の一人に「それではお背中のほうから麻酔を入れますので体勢を変えますね」と伝えられた。

手術台の照明器具

人生初の全身麻酔

お医者さんに手伝ってもらいながら右手側に寝返りをし、横向きの姿勢になった。ここが一番不安な点だった。背中からの麻酔。まだ全身麻酔をしていないから、どう考えても背中への痛みとの勝負になると分かっていた。なんで全身麻酔した後にやってくれないんだろう。ただ、正面側よりも、背中側の方が嬉しかった。正面のほうが自分の身体は敏感な気がする。お腹を殴られるよりも、背中の方がマシな気がしませんか? そんな理由で、前面と後面の二択で言えばマシな方を引いたと思っている。体勢の変更を指示され、お腹の中の胎児のような、丸まった姿勢を取った。
「お背中ひんやりしますね~」
のんびりとした口調で、ジョン・レノンが話しかけてきた。背中を濡れたもので拭かれる。
「それでは、麻酔のほう入れますね」
いよいよだ⋯⋯。正直、ここが一番緊張していた。どうなるんだ⋯⋯。どのくらいの痛みが来るんだ。一体どうなってしまうんだ。これさえ乗り越えればあとは全身麻酔で手術してもらうだけ⋯⋯。なるべく、ポイントとのことを考えて気を紛らわせようと思った。頭の中で音楽でもかけようと、大好きな『On the Nature of Daylight』を脳内で流した。多分1000回はこの曲を聞いているから、かなりリアルに脳内で再現できる。⋯⋯。うーん。悲しすぎるな。あまりに悲壮感漂いすぎて合わない。じゃあ他に良い曲なにかあるかな、と考えていた時だった。
「今、針入っていますが、痛みなど大丈夫ですか?」
え!? え? え? 針、入ってるの? 正直、何の感覚もなかった。背中にある感覚は、さっき拭かれたときのひんやり感だけだ。信じられなかった。文字通り、何も感じない。針を入れていると言われなければ、入っているなんて夢にも思わない。僕は正直に「何も感じないです」と答えた。針入ってるドッキリでした! テッテレー、みたいなことが今にも起こりそうなくらい、本当に何も感じない。これは自分にとって嬉しい誤算だった。もっと痛みを伴うものと覚悟していた。ただ、それと同時に「すべての針こうしろよ」という思いが湧き上がってきた。無痛で針を入れる技術あるんだったら全部そうすればいいのに⋯⋯。
針をさらに奥に入れるためか、背中をグイっと押されたその瞬間、体内——左胸あたりにピリッと痛みが来た。予想外の場所の痛みに、身体がビクッと動いてしまった。痛みとしては大したことはなかったのだが、背中じゃなくて体内に痛みが来たので「そっち!?」みたいな驚きで身体が反応してしまった。
「ダイジョブですか?」
正面にいるお医者さんは、手を握りながらそう聞いてきた。
「大丈夫です。驚いただけです」
そりゃあ、いきなり身体がビクッとしたら医者も大丈夫かと心配になるだろう。
「手、冷たいですけど⋯⋯」
「僕、末端冷え性だと思うんですよね」
実際、人生を通していつでも自分の手は冷えていた。ゴム手袋を通して、医者の体温が伝わってくる。痛みに弱いなどと思われて手を握られるなんて、この歳にもなって子どもみたいで嫌だなぁなんて思っていた。痛みに弱い自分が情けなかった。
10年前に気胸になったとき、胸に直接注射をし、全身麻酔をした。そのときに「痛みがあればもう少し入れるから教えてくれ」と言われ、痛みが続く限りそれを訴えた。まだ痛いです、まだ痛いですと伝えているうちに「まだ痛むか。痛みに弱いんだねぇ」と言われた。それ以来、自分に痛みがあるときいつもこのことを思い出す。痛みに強い人になりたいと願って。
痛みの感覚は、幼少期にどれだけ周りの人が怪我に対して反応したかによって決まるみたいな論文を読んだ覚えがある。怪我をしたときに「大丈夫!?  痛いよね?」と大げさにリアクションを取られる幼児と、そこまでリアクションをされない幼児とで実験したらしい。つまり「あ、これってとても痛いことなんだ」という学びがどれだけあるかによって、痛みへの敏感さが変わるかを研究したそうだ。結果は、周りの反応が大きいほど幼児は痛みを学ぶ、というものだった。小さい頃の記憶なんてほとんどないけれど、第一子だったこともあって、もしかしたら自分はそのように育てられていたのかもしれない。だから今、痛みに対して敏感なのかも。
けれど、実際問題、痛みはあるんだからしょうがないじゃないかと自分に言い聞かせた。自分の感覚は自分にしか分からないんだから、比較したって仕方がないことだ。痛みに強かろうが弱かろうが、痛いものは痛い。
この手を握っているお医者さんは「こいつ痛みに弱いな」なんて考えてないだろう。純粋に、患者のためを思う善意で、人を救いたい一心で、このような行動に出てくれたはずだから感謝するべきだ。ただ「お気遣いありがとうございます」なんて言うのもなんか、違うよなぁなんて考え、とりあえずお顔だけでも⋯⋯と思ってゆっくりと目を動かして確認すると、そこにはおめめちゃんの顔があった。おめめちゃん! あなただったのね。海外から日本に舞い降りし救世主。彼女は僕を励ますために来たのだ。ありがたや、ありがたや。

ちょっと美化されてるけどこんな感じの方だった


「寒いわけではないですか? 暖かくしますか?」
手が冷えていることを、おめめちゃんはとても心配している様子だった。
「はい。平気です」
そういえば、名札があるかもしれない、名前を確認しよう、と思った。名前を覚えておけば「退院時にぜひ書いてね」と言われていた患者様アンケートみたいなやつにお礼を書けるなと思ったからだ。目を動かし、おめめちゃんの名札を探した。中東系だろうからカタカナの名前が書かれているんだろうな。興味深い。はたして、おめめちゃんはバッチリ名札を付けていた。「陳」と書かれていた。
「陳!? チェンさんなの!?」
僕はそう叫んでしまうかと思ったくらい驚いた。飲み物を飲んでいる途中であれば全部噴き出していただろうし、ひな壇芸人だったらすっ転び芸をしていたことだろう。まったく、この手術室は何度でも驚かせてくるぜ。おめめちゃんは、おめめパッチリ、綺麗な明るい茶色い瞳、まつげクルンちょな中東系の見た目にも関わらず、お名前は中国系という大変グローバルな方だった。まあ、マスクしていて目元情報しかないから間違っただけかもしれないけれど、目元だけで考えたら、アジア系だなんて絶対に想像もしない。中東の女性は外出時ターバンを巻く。そのときには唯一目元が見えるわけだが、おめめちゃんの目は、まさにそれでしかない。なのにお名前は陳で、しかも日本で医者をやっている。情報量が多すぎてついていけない。
その後も、背中は無痛だったけれど、胸にチクリチクリと痛みが来る瞬間があった。でも大きな痛みというよりは、中から圧迫されているような、ズンと来る痛みだった。神経に直接麻酔を入れるとかなんとかって言ってた気がするから、その関係で胸(の神経)に痛みが来てるのかなぁなんて考えてた。しばらく上手くいかなかったらしく、「ちょっとやり直しますね」みたいな小声の会話が聞こえた。でも、自分にとっては何よりもおめめちゃんの衝撃が大きくて、「いやでも中東系中国人の可能性もある」とか「きっとフルネームは、陳・グランデール・アミーラ・凛凛みたいな感じなんだろう」とか「聞き間違えただけで本当はネイティブ日本語だったか? いやでも、今のところこの人の仕事は僕に名前を聞いて手を握ってくるだけだから、海外から来た研修医で現場経験を積んでいる途中という立場だとしたら納得の仕事内容なのかもしれない」なんてくだらないことを考えていた。そのおかげで、気付いたら背中からの麻酔の処理は終わっていて、あお向けの大勢に戻された。そのときに、おめめちゃんの手は離れた。
「お背中の麻酔は無事終了いたしました。痛みなど大丈夫ですか?」
はい、大丈夫です。それより陳さんあなたは何者なんですか? と聞きたい気持ちを抑え、大丈夫だという部分だけ声に出した。時計は14時を指していた。割と時間掛かったなぁ。
ふと、上から酸素マスクみたいなのがやってきた。まだ、感染予防用の普通のマスクは着けているから、マスクを外して酸素マスクをつけろってことなのかなぁ、と思っていたら、くらっと来た。うわ、めまいだ。緊張しすぎてるのかな。
「これから麻酔入りますね」
⋯⋯。ん? 麻酔? え、これもう麻酔すんの? じゃあ、もしかして今のめまいの感覚って⋯⋯うわ、ダメだ、意識が遠のいてくる⋯⋯。でも、酸素マスクはまだ自分と距離があった。完全に装着しているわけではなかったし、なんならまだ普通のマスクをしている状態だ。マジかよ、この距離感で、しかもマスクを通して麻酔食らうの? 人間って弱いな、麻酔ってすごいな。気を失うときのような感覚がぐわりと襲ってきた。酔うような気持ち悪さもある。本能的なのか、挑戦心なのかは分からないけれど、麻酔に抵抗している自分がいた。なんとか目を開けようと、意識を保とうと必死だったけれど、だんだんぼんやりとしてきた。3人の医者がこちらを見ているのが分かる。あ⋯⋯多分おめめちゃんともう会わないだろうから最後にお礼と、出身地の謎を質問すれば良かった⋯⋯そもそもジョン・レノンにも挨拶できないし、このまま終わってしまうぜ⋯⋯。

白黒の映像が流れた。
誰か人がいた気がする。
誰かの腕が、自分を支えているような——

「⋯⋯はしさん。高橋さん、聞こえますか。終わりましたよー」
遠くから声が聞こえる。でも、目を開けようとしても上手く動かない。まだ意識がはっきりしていなかった。

麻酔のマスクとはそれなりの距離があったにも関わらず、完全に喰らった

手術終了

なんとなく意識が帰ってきはじめたのは、病室に戻ってきてからだった。それまで看護師さんの声や父の声は聞こえていたけれど、内容は追えなかった。口を動かそうにも困難で、発声すらできず、生きた心地がしない体験だった。全身麻酔のあの感覚は、死ぬときの感覚にかなり近いんだろうなと思った。しばらくして——といってもどれくらいの時間なのかすら全く分からないけど——感覚も思考力もだいぶ戻ってきた。手術は無事に成功したと聞き、安心した。けれど、まだ朦朧とした感覚は残っていて、あまり細かいことは覚えていない。自分が自分であるような感覚がなく、身体と心が切り離されているような気持ち悪さがあった。
気付いたら父は帰っていたし、そのあともしばらくはぼんやりとした時間を過ごしていた。
全ての感覚が正常に戻ったのは、夜になってからだった。

(※プライバシーに配慮し、登場人物は全て仮名となっております)


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