写真をtake/makeする
みなさんは、SNSなどで誰かの写真を見るとき、どのように見ますか?
私は、目に留まった写真はゆっくり見て、情景を感じたり、
その写真の撮り手の、その時の心情なども想像します。
例えるなら、そのお写真を自由に歩かせていただくような感じ。
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さて、今回の表題の「写真をtake/make」するについて。
Could I take your photos, please?
Could I make your photos, please?
いきなり英語でごめんなさい。
どちらも文法的に全く同じです。
ですが、ニュアンスと響きが若干違ってきます。
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ご存知の方がほとんどだと思いますが、
写真を撮るではほぼ take が使われます。
でも、海外の、特にポートレートを撮る方は make を好んで使います。
理由は make だと 作品を創るという意味合いが大きいからです。
takeだと撮る、同じ意味なんですけど、ニュアンス的に make より
若干強さが言葉に入ります。
一方的さが take にはニュアンス的に加わります。
特にポートレートと前途しましたが、私の友人ポートレート専門じゃない
写真家もやはり make を使います。
それは彼にとって、写真は作品で作品を創る、残すと意味合いがあるから
だと思います。
正直あまり英語を使わない方なら、どっちでもいいでしょうが、
私は写真が好きで、写真も英語で使う方が多いので
細かいニュアンスの違いとか、日本語の写真で勝手に気にします。
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ふと最近、日本語で私の写真は英語に自然に訳すると
take だったり make だなって
思ったんですね。
私の写真は日常スナップがほとんどです。
もっというと、自分に関する事が多い気がします。
もちろん、photo walkで行った事のない町も撮りますが
その時、行った事のないその場所の情景や物などに惹かれて撮る心理は
どこか、私の無意識の記憶の奥に結びついてる気がします。
言葉や何かで証明はできない何かが。
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ちょっと話は長くなりましたが、結論をいうと私は自分の写真を
make のみの写真にしていきたいと。
もちろんただ、日常を撮る=take でも全然構いません。
でも私は「日常を残す= make」 が一番日本語にしっくりくる。
それに、自分の日常を大切に、大好きなフィルムで
写真に収めてる気がして。
私は日常スナップを撮るのが好きなので、
10年後、20年後、友達や誰か私の写真を見てくれる人へ
もしかしたら未来の私の家族へ今の私の写真を残したい。
make = 写真を残す
っていうのが、日本語/英語を同時に使う私にとって一番自然な日本語訳。
そして、私の写真には、映えやひねりがない事を自分で一番分かっている。
やはり英語でtakeの写真のような、いい意味での強さやパンチはない。
私が見たモノ、感じた写真に写るかも分からない、
その時の情景、自分の心情を残していきたい。
=makeしていけたらと思います。
最後に、冒頭でも述べた、私の写真を見て下さった方に、
私の写真を自由に歩いて頂けたら嬉しいです。
そういう撮り手になりたいと。
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