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写真をtake/makeする

みなさんは、SNSなどで誰かの写真を見るとき、どのように見ますか?

私は、目に留まった写真はゆっくり見て、情景を感じたり、

その写真の撮り手の、その時の心情なども想像します。

例えるなら、そのお写真を自由に歩かせていただくような感じ。

*

さて、今回の表題の「写真をtake/make」するについて。

Could I take your photos, please?

Could I make your photos, please?

いきなり英語でごめんなさい。

どちらも文法的に全く同じです。

ですが、ニュアンスと響きが若干違ってきます。

*

ご存知の方がほとんどだと思いますが、

写真を撮るではほぼ take が使われます。

でも、海外の、特にポートレートを撮る方は make を好んで使います。

理由は make だと 作品を創るという意味合いが大きいからです。

takeだと撮る、同じ意味なんですけど、ニュアンス的に make より

若干強さが言葉に入ります。

一方的さが take にはニュアンス的に加わります。

特にポートレートと前途しましたが、私の友人ポートレート専門じゃない

写真家もやはり make を使います。

それは彼にとって、写真は作品で作品を創る、残すと意味合いがあるから

だと思います。

正直あまり英語を使わない方なら、どっちでもいいでしょうが、

私は写真が好きで、写真も英語で使う方が多いので

細かいニュアンスの違いとか、日本語の写真で勝手に気にします。

*


ふと最近、日本語で私の写真は英語に自然に訳すると

take だったり make だなって

思ったんですね。

私の写真は日常スナップがほとんどです。

もっというと、自分に関する事が多い気がします。

もちろん、photo walkで行った事のない町も撮りますが

その時、行った事のないその場所の情景や物などに惹かれて撮る心理は

どこか、私の無意識の記憶の奥に結びついてる気がします。

言葉や何かで証明はできない何かが。

*

ちょっと話は長くなりましたが、結論をいうと私は自分の写真を

make のみの写真にしていきたいと。

もちろんただ、日常を撮る=take でも全然構いません。

でも私は「日常を残す= make」 が一番日本語にしっくりくる。

それに、自分の日常を大切に、大好きなフィルムで

写真に収めてる気がして。

私は日常スナップを撮るのが好きなので、

10年後、20年後、友達や誰か私の写真を見てくれる人へ

もしかしたら未来の私の家族へ今の私の写真を残したい。

make = 写真を残す

っていうのが、日本語/英語を同時に使う私にとって一番自然な日本語訳。

そして、私の写真には、映えやひねりがない事を自分で一番分かっている。

やはり英語でtakeの写真のような、いい意味での強さやパンチはない。

私が見たモノ、感じた写真に写るかも分からない、

その時の情景、自分の心情を残していきたい。

=makeしていけたらと思います。

最後に、冒頭でも述べた、私の写真を見て下さった方に、

私の写真を自由に歩いて頂けたら嬉しいです。

そういう撮り手になりたいと。



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