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キリトリセンの向こう

ご無沙汰しております!
最近金髪になりました。中窪です。
休学中の「暮らし」について記録しておこうかと思い、書いてみました。

いこれまでとちょーっとテイストは違いますが、同一人物が書いているんだなあと想って読んでいただければ幸いです!


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なんで、どこで、何してたの、どうだったの、なんだったの、なんで、なんで、なんで…。
お喋りのくせに、話すのがとても下手くそなわたしはその一つ一つに答えが詰まる。

見てきた風景も、交わした言葉も、嗅いでいた匂いも。そのすべてをそのまま伝えることが出来ない以上、わたしはその画角を選び、言葉を選び、聞いてくれたことに答えなければならない。
だけど咄嗟に口から出した言葉は、混ざりきらいない粉末コーヒーの上澄みのようにただ薄苦い。何もかもが、間違っているような気すらしてきてしまう。

語り得ぬものは、やはり沈黙しなければならないのか。








…なーんて、ちょっと気取って小難しいこと言ってみる。ほんとうは、怠惰でビビリなわたしが書くのを放置していた、というだけの話だ。
じぶんの即席の言葉が気に入らないのならば、時間をかけてでもめいっぱい考えて、画角を選び言葉を紡ぐしかない。
それも無理なら、黙るしか無い。
だから、不器用なわたしはわたしのやり方でその画角と言葉を選んで、この失敗だらけの愛おしい一年間をただここに記しておくことにする。
間違いだらけで、未熟で、ズッコケ気味で、個人的な生活の記憶のこと。

ここではスーパーが、夜の7時に閉まるという。

新生活の初日。自称シティガールには驚きだった閉店時間は、すぐに何も気にならなくなった。
こじんまりとしたその空間は、種類が少ない分、迷わなくていい。ちょっと引くほど分厚く切られた新鮮な鰹の刺身は、閉店30分前には半額になって、大きな柵ですらワンコインで買えてしまう。何たる贅沢。
それに、鰹だけじゃすまされない。
丸ごと一匹売られたサバやどんこに、カスベの切り身。
東京とは違う鮮魚コーナーにワクワクして、ニヤニヤする。これで何作れるかな、と考えてまたニヤニヤする。マスクがなかったら、わたしは小娘の不審者になるところだった。

鰹と野菜の入った袋を持って、ススキの生えた川沿いの道を歩く。
手探りではじめた仕事。2週間の引きこもり期間を経て、少しずつ人に会う機会が生まれるようになった。
それでも、東京から来た、なんて言って困らせたら、怒られたらどうしよう。。。ビクビクしながら人を尋ねれば、ニコニコと歓迎されるどころか「飯食ってくか?」と言われて、逆に恐縮してしまう。テレビやtwitterで見聞きしていたような過激な世界はそこにはなかった。

ある日には、サケ漁に混ぜてもらえる機会があった。
網にかかった三匹のなかの、一匹をを持たせてもらう。左手首がもげそうなほど、重たい頭と胴体をしならせる銀ピカの魚の力強さにキャアキャアと興奮するわたしたち若者を、漁師さんたちが見守っていた。
加工場に運ばれていくその三匹を見送るわたしの頭にあったのは、漁の前に見せてもらった昔の写真だ。
川を埋め尽くす、黒黒とした魚影の群れ。
そのイメージは、もともとは何十人というひとで引っ張るための大きな網にかかった三匹の記憶と、左手にかかった重さと共に今もあり続けている。

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お風呂上がり。
ボタンを押してすぐ、音が鳴った。
「石油が 不足しています」。

庭に出てタンクを取ってきて、玄関にしゃがみこんでせっせとポンプで石油を汲む。夜中も夜中、なんとも情けない光景である。石油汲んでもひとり。
シュ、シュ、と寒さで凍える右手を動かしながら、昼間の会話を思い出す。

「やっぱり東北は寒いんですねええ。。。。」
「なーに言ってんの!こっちは海沿いだからめっちゃあったかいよ。中通りと会津行ったら寒さ半端ないんだから。」


それでも寒さに負けて、温泉通いがはじまった。
車で5分。サウナに嵌ったわたしは、「整う」ための熱室でいつも同じ局を映しているテレビを眺めていた。
天気予報は、バラバラだ。それぞれの場所の、あしたの天気、最高気温と最低気温、空間線量を、お天気キャスターのひとが読み上げている。

温泉の往復のおかげか運転にも少し慣れて、休日に遊びに行くようになった。
偶然見つけた駄菓子屋でココアシガレットを買う。窓を開けて、口に咥えて、apple musicのプレイリストを欠けて、ハンドルを握る。
気分はグラン・トリノ。現実はボロ軽の小娘。
すれ違った、軽トラのおじさんに怪訝な目で見られた。

国道6号線を、北へと走らせる。
いつもの地点で黄色いたて看板を見て、開けていた窓を閉める。
入り口にある105円のままのスシローの看板は、この道を思い出す時に一番最初に浮かぶ、記憶イメージの断片だ。
銀色のバリケードと、その向こうに生えている雑草と、連なる家と、すれ違う車と、交通整理をしている警備員さんと思しき人と。
無数の景色のかけらのひとつまみさえ、わたしは覚えておくことができない。
再び窓を開けて、スピーカーの音量を上げる。
目的地の本屋さんに思いを馳せれば、すぐにそのことは忘れてしまった。

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初春

梅の花が咲き始めた頃、同い年の女の子2人が越してきた。
歓迎会しよう、と言ったその日。
知り合いのひとから、鱈を丸ごと一尾いただいてしまった。

「しんちまちの漁師さんから貰ったんだけど、食べきれないから。」

しんちまち。
初めて聞いた名前に、あとでググろ、と思いながら発泡スチロールを開けてみる。ナマズと見間違うほどに大きな鱈を前に、玄関で数十秒は立ち尽くしていたと思う。(ナマズの大きさはわからないけど)
Youtubeを見ながら悪戦苦闘の末、なんとか捌いて鱈鍋にしてやった。


そしてこの頃。
ふしめのじゅうねん、という言葉をあらゆる場所で目にしたり、耳にすることがとても増えた。
だからといって、どうということも無い自分に戸惑いながら、仕事をして、温泉行って、鰹食べて、自炊して、ふつうに過ごす日々。

ある日のスーパーからの帰り道、悶々としながら歩いていると、おーい、と呼び止められた。
いつもにっこりと挨拶を返してくれるそのひとに何度もお礼を伝えて、腕いっぱいに新玉ねぎを抱えて歩く。
カサカサ、と土だらけのビニール袋の音を立てて川沿いを歩く間、ほんの少しだけ、心臓に風が通ったような気がした。

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初夏

桜の季節が終わると、突然に視界が明るくなった。
山も、木も、道端の雑草も、それまでの茶色気味な姿が嘘のように、ものすごいスピードで鮮やかな緑に染まっていく
いつも長期休暇のある9月や2月にしか来ていなかったわたしは、この景色の変わり目をしらなかった。

ある日、仲良しの知人に声をかけられ、畑作業の手伝いに行く。汗ばむような暑さのなかで、縁側で一休みをしていると、近所のひとがやってきた。
色々と近況を聞いたり、聞かれたり。

「俺んとこはなあ、入れたけどイノシシとかにやられてたなあ。でも〇〇のとこの家は、まだ入れるわけじゃねえからなあ。」

何気ない会話の中で、何気なく話すそのひとを見れば、それまでに会ってきた人たちの一人ひとりの顔とか、言葉とかの記憶の数々がわーっとやってきた。

わからない、と思っていた、想像しようとしてもできなかった痛み。そのz軸がほんの少しだけ伸びた気がした瞬間、わかったような気になるな、とその痛みを振り払う。
私は、わかっていないことだけは、わかっていなきゃいけない。
ソクラテスすげえ、って思いながら、冷たい麦茶を飲み干した。

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インターンの期間を終えて、たくさんのひとに挨拶に回った後、わたしは9ヶ月住んだその場所を発って、南の島へ向かった。

一言でいえば、さんざんな夏だった。

南の島で、馬に引きずられたり、脱走されたり、人間に搾取されて3kg落ちたりした。カメラもワイヤレスイヤホンも水没した。冗談みたいなターコイズブルーの海と、満点の星だけはきれいだったけど。
(この期間のはなしは、また別に書くか、わたしに直接きいてほしい。)


ふたたびの秋

そして今。
東京に帰ってきて、1ヶ月以上が経った。
電車はすぐ来るし、スーパーはでかいし、大学の課題に追われて、とにかく「片付けていく」元の生活に戻った。
ただ一点を除いて。

テレビ、新聞のワード、LINETのネットニュース。あらゆる関連語句をみるたびに、タップするようになった。勇気がでなくてそのままにしていた、頂いた関連書籍をようやく読み始めた。
モヤモヤは、溜まっていくばかりだけれど。

何してたの、と聞かれる。
働いて、暮らしてたんだよ、と答える。


やっぱり桃が美味しいの?って尋ねられたら、美味しいんだろうけど、わたしが一番食べてたのはスーパーで売ってる分厚いカツオの刺し身だよ、と答える。


どんなに本を読んでみても、分からないことしかなくて、胸の膜がひきつる。
だけど、「行ってみたいな」って言われて嬉しい、と思うわたしがいる。
そのことだけは、確かで間違ってない、と、思う。


福島県双葉郡楢葉町。
21歳の9ヶ月を過ごした、この町に関する、わたしの記憶を書いただけのはなし。

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