ネムネム島漂着日記#3
昔、盛岡にあるcartaという喫茶店に行った。
丸くてかわいいサンドイッチのある店だった。
ひとりで喫茶店に入ったことなんてないし、いまでも入れないけれど、cartaだけはひとりで入れた。
二階にCyg art galleryがある頃のことだ。
絵を見たあとに一階のcartaに寄って、持っていった日記帳に感想を書きながら、注文の品を待つ。
紅茶か何か頼んでいただろうか。
おいしかったけれど、記憶が遠すぎて定かではない。でも、おいしかったことはバッチリ覚えている。
窓際の席のときは、ときどき窓の外を眺めたり、カウンター席のときはぼーっとしたりした。
ひとりで過ごすのが心地いいお店だった。
ほっとする時間だったなあ。
あのお店が好きだった。
わたしのほかにも好きだった人たちがいるだろう。いいところだった。
アザラシになった今は海産物ばっかり食べている。
いや、海産物とは言わないかもしれないが、ほかの単語を忘れてしまった。こういうの何て言うんだっけ…海鮮?いや、観光地みたいになっちゃうな…
これからず~~~~っと人間として暮らすんだと思っていた。30歳を過ぎると、ずっと同じ会社で働いている人は、なんとなーく先のことがわかってくるらしい。この会社なら自分は将来こうなるだろうな~みたいな。
だけどやっぱり、先のことなんてわからない。
頭のいい人は予測できることもあるだろうけど。
だけどものすごい頭のいい人だって、まさか自分が何か人間以外のものになるなんて考えたこともないだろう。
そういえば昔、「生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれるたびに、「かいわれだいこん」と答えていた。
たいがい「ええっ」って言われるけど。
ときどき母が作ってくれるちらし寿司の一番上にのっていて、いいアクセントになっている。しかも見た目もなんだかかわいい。だから、ちらし寿司の一番上のかいわれだいこんが好きだった。
そして、なんかわからないけど、かいわれだいこんとして育てられたい。
誰にも言ったことはなかったけど。
相手が納得できるような答えを言うより、よくわかんねえなと思われたほうが楽だ。だってみんな違う世界線というか理屈で生きているから、よくわかんねえなって思うほうが通常運転だろう。
それなのに根が真面目だからか、アホだからか、どうでもいいことほど相手がわかるまで真剣に伝えようとしてしまう。
コミュニケーションって難しい。
誰がどのくらい何の話をしたいのかがわからなくって、答えるのも一苦労だ。
ちなみにわたしは自分の話ばっかりして、他人の時間を気にしない人が苦手である。
アルバイトのとき時間が来たので帰りてえのに、全然興味のない家電の話を30分くらいされるとか。休憩入りたいのにトイレで興味のない美容室の話をされて、全然ご飯食べに行けないとか。
あ、興味のない話をされるのが嫌だったのかな。
そしてあはは、とか言ってるから相手にも興味がないことが伝わらないのかもな。それはそれでわるかったわ。自分が。すみません。
その一方で、他人の時間を気にしすぎる人といるのも安心できなくてちょっと嫌だ。なんか同じくらい気を遣わなきゃいけないのかなって思うと疲れてしまう。
ほどよくその辺を失敗して、多くなったり少なくなったりする人がいい。気楽だ。あ、今日は多いのね、あら、今日は少ないのね、オッケーってしながら、自分も話すことが多くなったり少なくなったりしたい。
何を言っているかわからないと思うが、人間だったころの自分の世界線はこんな感じだった。
ふえ~~~~~~~~
何も考えたくないよ~~~~~~~~
アザラシになってもこんなこと考えて憂鬱になる~~~~~~~~
ちょっと取り乱した。
人といることで得られる楽しさと、ひとりで過ごせる気楽さと。
ちょうどいい感じで生活できたらよかったな。
もし元の世界に戻れるなら、ちょうどいい感じで暮らしたい。
そして唯一ひとりで入れる喫茶店だったCartaがまたお店を新しく始めているといいなあ。
そうしたら何かちょっと嫌なことがあってもリフレッシュできそう。
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