本音のほんねにみる企画
ちょうどいい機会
実家にいると家族のだれかが「お茶のもうか~」という。
「うんいいね~」といって、たいていみんな賛成する。ちょうど飲みたかったんだ、というときもあるし、その提案に乗りたいな、とゼロ地点にいた心が飲みたい地点までかんたんに動くこともある。
機会があれば
実家にいないと日本茶をのむ機会が減ってしまう。
いつでもお湯のたっぷりはいった指でお湯がでるポットがないせいかもしれないし、誰も、お茶のもうか~、と言わないからかもしれない。
いつしか、ペットボトルでも温かいお茶がのめるようになって、初めて、あ、ほんとうは温かいお茶がのみたかったんだな、という気持ちに気がついたこともある。
機会があれば、ということに、まだ気がついてもいない本音のところにある希望。
小さな小さなその希望を叶えることが出来るのが、企画のいいところ、で、好きなところ。
あたえる希望とあたえられる希望
お茶をのもうというときに「なんだか難しい顔してるからお茶でも淹れてあげようかな」という「してあげたい小さな希望」もあれば、「お茶を淹れてくれるならぜひのみたい」という「してもらいたい小さな希望」もある。
二つともある暮らしが、やっぱり、いいなあ。
きょうは、企画がぼんやり降臨しかかっていて、夜中なのに脳がぱっちり起きている。早寝するつもりだったのに。
でもほんとうは、髪をブローするのがめんどうで起きているだけのような気もするし、明日のひさしぶりに自由な時間にわくわくが止まらないだけかもしれません。
本音だと思っていたことのその奥に、もっと本音があったりするのでややこしい。
写真)人も空気も木も太陽ものびのびして見えたある日のニュージーランドの公園。走りたいし、ゴロンとしたいし、木に登りたいし、こういうところに住みたいし。小さな希望はとまらない。
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