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猫のように生きたい。

ジンとウォッカという保護猫を2匹飼っているのだが、たまに猫の行動を観察して、その行動の意味を勝手に想像している。例えば、ウォッカは餌を食べたあとに必ず大きな声で鳴く。それは雄叫びと言ってもいいくらいの激しさで、まるでワールドカップの決勝でゴールを決めたときのような誇示だ。野生時代に獲物を取っていたときの名残りなのかもしれない。人間から与えられたカリカリを食べて「獲物を捕ってやったぞ!」と雄叫びをあげているんだと思うと、なかなか面白い。

また、猫はよく毛づくろいをするが、本当にしたくてしているというよりは、暇つぶしや精神を安定させるための儀式としてやっていることも多い。ジンはよく室内を駆け回っているのだが、コケそうになったあとに、その失敗をごまかすかのように毛づくろいをしているのも見たことがある。本当にごまかしているのかは分からないが、必死に気持ちを落ち着かせようとしているんだと思うと可愛く思える。

こう書くと、ちょっと猫をバカにしているように思えるかもしれないが、実は猫から学ぶことも多い。彼らは生きるために食べ物を求め、周りに危険がないか常に気にし、安全であれば休息している。これぞ生き物であり、とてもシンプルな生き方である。また、セルフケアもしっかりしている。身体が汚れればすぐになめとって身ぎれいにし、健康状態を維持している。野生では健康状態を維持することは生きるための最低条件だからであろう。彼らが優先するの常に自分自身だ。

ひるがえって人間はというと、社会を作ることで生き延びてきた生き物だからか、社会より自分を優先することがあまり良しとはされない。滅私奉公という言葉が生まれるくらい、社会への貢献を求められる。また、現代の人間社会は外敵がおらず、簡単に手に入る食べ物も多いので、普段は自分をあまりケアしなくても生きていける。そのため、セルフケアの優先度が下がっているように見える。特に若いと無理が効くので、健康を軽視しがちだ。本来は食べるために働いているのに、仕事のために食事をおろそかにしたり、健康を害したりと、いったい人間は何をしているのだろうと思う。自分を犠牲にしつづける社会は持続的だとは思えない。一人ひとりがもう少し猫のように自分を大事に、ワガママに生きてもいいのではないだろうか。自分自身が幸せであること。全てはそこからだ。

猫に学び、自分を大事にし、休みの日はひだまりの中でゴロゴロしよう。しかし、食べた後に雄叫びをあげることはあまりオススメしない。

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