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扶養を外れると決めた時

安定して月10万円。

働くのは週4日、1日2〜4時間。

仕事内容は、自分が好きなこと。

お客様は、自分が尊敬している方や、話していて心地よい方ばかり。


開業して1年が経ち、目指していた働き方を実現し、立てていた売上目標を継続して達成できています。

仕事が安定してきたころから、

「私、長期的にはどうしていきたいんだろう?」

とぐるぐる考えるようになりました。

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「もう少し収入アップを目指した方がいいのかな?」と思うけれど、

明確な動機も戦略もなしに、扶養を外れる選択は取れませんでした。


そんな中、河野郁代さんのコーチングセッションに出会います。

河野さんは経験豊富な方で、話しているうちに、

意外な言葉が自分の中から出てきました。


「私、働き方は自分で作れるって、言いたいんです」

「私、軽やかに月30万円を稼がないと、言ってることに説得力がないです」


生活的には、夫が働いてきてくれるから、月10万円で満足している。

でも、月10万円では終われない。

だって私は、「働き方は、自分で作れる」って、自分が過去教えてきた子供達や、自分の息子に、伝えたいから。

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「働き方は、自分で作れる」


私は以前、2つの職場で働いていました。(アルバイトを除く)

会社員(店舗スタッフ)と、小学校教諭。

お世話になった職場でしたが、働き方という意味では、しんどさがありました。

小学校の先生をしていた時、目の前の子供たちには、「自分と同じような働き方はしてほしくない」と思っていました。


会社員・小学校教員だった経験から、私は

「どんなふうに働くのが幸せにつながるんだろう?」

「豊かに生きるってどういうこと?」

「子供も大人も、明るく未来を語れるようになるには?」

と、ずっと考えてきました。

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だからこそ今、個人事業主として、得意と好きを生かして、仕事をしています。自分のペースで働くこともできています。


1年前は、はっきり言語化できていなかったけれど、私は最初から、「働き方は、自分で作れる」と言える自分になりたかったんだな、と思います。


「どんな風にだって、生きていける」と言いたい


私は、自分の背中を子供に見せたい。

「どんな風にだって、生きていけるよ」って。

背中を見せたからと言って、同じように生きてほしいわけではありません。

ただ、「こういう選択肢もあるんだよ」って伝えたい。


「生き方も働き方も、自分で作っていける」と言うからには、
「扶養内」って枠を取り去る必要がある。

月10万円じゃ、一人では生きていけないから。


「仕事は自分で作れるし、働き方も自分で作れる。」

「月30万円は、軽やかに稼げるよ」って、言える自分でいたいのだ。


そうありたいのだ、本当は。

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「扶養内で働いている」ことは、心地良くて、扶養を外れたくない気持ちもあります。外れようとする時にかかる負荷も怖いです。

でも、気づいてしまった。

私の内側には、「やる」理由がある。

労働時間を長くする気はないので、今までよりずっと、頭を使う必要もある。時間単価を上げるということは、提供すべき価値も、責任も増える。

今できていないことを、こうして口に出すのは、できなかったときのことを考えると怖くもある。

でも、思っちゃったんだから、しょうがない。


気づいちゃったから、目は背けられない。


現時点での最終ゴールは、自分の息子に「働き方は自分で作れる」と堂々と言える自分になることです。

どれくらいの期間で実現できるだろう?実現したいんだろう?

何をいつ、どんな風に進めていこう?

やることが盛り沢山だ。わかってないこともたくさんだ。



キーボードを打ちながら、

隣の部屋で寝ている息子に目をやる。

ぷにぷにのほっぺが枕で押し潰されて、唇がプルンとしている。

いつの間にか背が伸びて、今では一丁前に大人と同じマットを使っている息子。


この子が高校を卒業するまで、あと14〜15年。

それまでに、私は何を経験して、何をこの子に伝えているんだろう。


お腹にかかったトーマスのタオルは、寝返りに巻き込まれたのか、くしゃくしゃになっている。全く目を覚ます気配がない。

そろそろ、声をかけようか。

「起きる時間だよ。幼稚園に行こう」

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※2023年10月追記 現在は、この記事を書いたときとはまた違う働き方をしております。でも、この時の私の感じたことはそのまま、残しておきます。


河野郁代さんのWebサイトはこちら




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