マントルばばぁ【日記】

友人Yと広島へ旅行に行った。


エネルギーが有り余っていた僕らは夜になるたびに薬研堀に繰り出した。
ここは良い。
雑然としていて。
それから、汚くて、臭くて、うるさくて、怖くて、ゲロが落ちていて。
そして、不思議と居心地が良くて。

なんだろう、この居心地の良さは。


あぁと気づく。
これは、欲望に忠実だからだ。

この街にいる誰一人欲望を隠そうとしない。
飲みたい人もヤりたい人も稼ぎたい人も、
それぞれが自分の抱える欲望に対して恥ずかしげもなく真剣に向き合っている。


そして、僕らも例外ではない。


今夜の僕らの目的は、


マントルばばぁだ。





「広島にはマントルばばぁがいるらしい」

と僕に教えてきたのはYだった。

Yは風俗狂いだ。
すすきの、歌舞伎町、吉原で様々な風俗を渡り歩いている。
そして、この広島に来た目的も勿論、風俗だった。


Yは続ける。
「マントルばばぁがいるのは薬研堀だ。
歓楽街を少し抜けた路地や駐車場に、普通の格好をしたばばぁがいる。
これがその出没地点が記された地図だ」


そう云ってYはスマホを僕に見せる。


「夜になると、このマークがついた場所にばばぁが現れる、はずだ。
はず、と加えたのは、ばばぁは毎日出没するわけでもなく、また、その出没地点はコロコロ変わるらしいからだ。参考にしたwebページも2年前の情報で止まっている。
とにかく、このばばぁに話しかけると、女の子を紹介してくれるらしい。
女の子はマンションの一室で待機している。
マンションで行うトルコ風呂、それを縮めてマントルだ。そこから先、マンションに着いてからの事は、云うまでもないだろう」


んーと僕は唸る。流石の情報収集能力だ。


「さて、我々はこれから薬研堀に繰り出す。
ばばぁを見つけだすまでは付き合ってほしい。そこからは任せる。
共にばばぁの世話になってもいいし、飲み屋で飲んで待っていてもいい」


Yは当たり前のように僕を誘うが、残念ながら僕は風俗に興味がない。
お好み焼きでも食らいながら待つことにしよう。
そう伝えるとYは
「そうか。残念だが仕方あるまい。では行こうか」


薬研堀へ向かうとまず広場にたどり着く。
この広場の手前と奥とでは、余りにも漂う空気が違う。
これは、彼岸だ…、と思う。


Yは臆することなく、広場のベンチに座り地図を確認する。
「地図によるとこの広場にもいるらしいが、見た限り今日はいないようだ。進むぞ」


ネオンが立ち並ぶ通りを延々と進む。左右から、ヤラシイ格好のお姉ちゃんやスーツの男が次々話しかけてくる。
Yはそれらをニヤニヤ眺めながら、無言で進んでいく。僕も必死に食らいつく。


いきなりYが立ち止まった。
「…ここを、左だ。」


Yの声に若干の自信のなさを感じる。
見ると、今までと打って変わって暗い道が続いている。
もはや歓楽街ではない。並んでいるのは民家だった。
しかし、Yはすぐに左へ進み始めた。
さすが、歴戦の猛者だ。肝が座っている。


「この先に三叉路がある」


Yはそれしか云わなかったが、意味するところは明らかだった。
僕らは無言で、三叉路を目指す。


遠くに人影が二つ見えた。
街灯も少なく顔はまだ見えない。


「あれか。あれなのか」
Yの声が明らかにワクワクしている。


「ここからは少し離れて歩こう。君にもばばぁの触手がかかったら迷惑であろう。しかし、俺も全く怖くないと云えば嘘になる。しばらくは見守っていてほしい」


僕は頷く。
僕らはまた無言になって進んでいく。
眼前のYが人影に近づいていく。


かすかに声が聞こえる。
Yか、と思ったが違う。

これは、ばばぁの談笑だ。


声に気づいたYが立ち止まって、僕の方を振り向いた。
ニヤッと笑っている。
ゾッとした。
次の瞬間、Yは前に向き直り、ズンズンと歩き始めた。


そして、ついに
Yの影とばばぁの影とが横一列に並んだ。
ばばぁたちが談笑をやめ、Yの方を向く。
それまでよく見えなかった、ばばぁの顔が見えた。
普通のばばぁだった。
何の変哲もない、どこにでもいる普通のばばぁだった。


「おにいちゃん、遊んでいくかい?」


まるで挨拶をするような気軽さでばばぁが話しかけてきた。
それに対してYは元気よく


「はい!!」と答えた。

そこから先の会話は僕には聞こえなかった。
交渉を終えたYは、僕に小さく
「じゃあ後で」とだけ残して、
ばばぁと共に三叉路の奥へと消えていった。


以下は戦いを終えたYが飲み屋で語った事である。



「あれは交渉などではなかった。ばばぁの提案を飲むか飲まないかというそれだけだった。60分20000円。決して高いわけじゃない。個人的にネックだったのは女の子を選ぶことができなかったことだ。普通はパネルを見ながら、指名ができるだろう?マントルでは、ばばぁに言われた部屋に行って、そこにいる女の子をそのまま受け入れるしかなかった。
だけど、俺はその条件を飲んだよ。
ここで逃げたりしたものなら、暗い通りの奥深くまで、付き合ってもらった君に合わせる顔がない、と思ったから。それに、正直、不安よりも期待の方が大きかったのもある。
そこから先は夢のようだった。
さっきこの店に駆けつけた時の俺の表情が感想の全てだが、友人である君の後学のため、一言だけ加えておこう。

満ち足りた時間であった。

幸い明日の晩も我々はなんの予定もない。明日は君も行ってみると良い。」




遠慮しておいた。

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