探究型の学びの表現を抽象化すると

じっくりと探究型の学びについて見てきました。
子どもたちが、いま日々の学びの中で、
私たち大人が学んできた流れとは異なる形で、
身につけていこうとしているアプローチです。

一方で、何度もお伝えする中で感じていると思いますが、
こうした方法を体系化していなかったとして、
誰もそれをやっていなかったわけではないことが、
皆さんも想像がつくと思います。

興味関心を持って、夢中になって自分のやりたいことに
取り組んでいた人たちは、
このような学び方、学び方と言うかアプローチを、
誰に教わるでもなく無意識に進めていたのだと思います。

そのような学び方ができることが、
今のような変化の激しい世の中において、
大いに役立つことに、社会全体が気づき始めている。
そして、そういった学びが通常のアプローチの一つとして、
子どもたちにもできるようになってほしい。
そういうシンプルなことです。

実はこの流れからすれば、社会がそのような状況であれば、
実はこのアプローチができるようになっていたいのは、
子どもたちではなく、むしろいま社会の真っただ中にいる
大人であることも、容易に想像できることだと思います。

言われた仕事をこなすだけでは、どうにもならない。
言われたことをこなすだけなら、人以外のリソースに替えられる。
言われたことをこなすというのは、受け身で学校で学んできて、
出された問題をこなすことで力をつけてきたやり方が、
そのまま身についていて、それが普通だということそのもの。

だから、大人が、探究型の学びで言われているような、
探究サイクルを意識した取り組みができ、
どんどんと問題を深掘りしたり、解決に向けて試行錯誤したり、
それを振り返りながら知識とスキルと、
そして別の場面で転移できるような理論や概念を獲得したり、
それによって応用力のある人材へと成長したり…

子どもに求めるものは、大人がなりたい姿であるということです。
であれば…話は早いですよね。
子どもたちと「共に」、学んでいくことができるのです。
興味関心を、様々なことに対して持って行くべきなのは、
子どもたちの前に、私たち大人であるということです。

世の中はシンプル。ありたい姿を、自分たちが、考えるべきなのです。

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