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渡米準備(1/2): 進学先決定までの回顧録

年の功、などと言うには若造の私だが、とはいえ修士の時の留学経験があったことは、今回社会人をやりながら留学準備をする上で大分プラスに働いたなとは思う。すべきことがそれなりに見えていたからである。
まぁその時のその人の状況(仕事、学業、家族の状況…)やそれまでの経験によって必要なことは変わってくるので参考程度のものとして読んでもらえればと思いつつ、自分の経験を書いてみる。長くなるので進学先決定までと、直前のロジ周りの話とで分けることにする。

元々研究の世界に戻りたい、いつかPh.D.に行きたいという想いは修士終了時点からあったのだが、実際に今回社会学でPh.D.に行こうと決意したのは、実際に進学する23年の夏の1年と少し前、22年の春のことだった。多分、かなりギリギリのパターンだと思う。数年かけて準備する人も、というか、の方が、多いような気がする。ずっと気持ちはあったものの一歩を踏み出せずにいた私の背中を温かく力強い言葉で押してくださった先生方には感謝しかない (そう、私はどういう訳か卒業しても就職しても、母校に通うタイプの人間だった)。

そうして4月にはとりあえず、IELTSを受けた。イギリス留学時代のそれは期限切れだったし、しかし奨学金や大学へのアプリケーションで英語力証明は必要になるとわかっていたためである。TOEFLではなくてIELTSにしたのは、慣れている分対策をしなくても(する時間はなかった)スコアが出ると踏んだからである。ちなみに手書きで悪名高かったIELTSも今やPC受験が可能になっており、時代を感じた (個人的にライティングは圧倒的にPCの方が楽だった)。

5月には出す奨学金を定め、その書類準備の過程で逆算的に出願大学、やりたい研究テーマ明確化の作業に取り組んだ。奨学金の書類作成が恐ろしいほど労力を要することは経験から身にしみて分かっているので、仕事がそれなりにある今全部に出している時間は無く、出せても1個か2個だろうと思い、また早い時期に出すものの方がその準備過程でPersonal Statement / Research Proposalのドラフトが早く仕上がるのでよかろうと思い、(受かるかどうかは正直あまり考えず) とりあえずフルブライトに照準を定めた。(ちなみに意外と知られていない気がするが、アメリカのPh.D.は基本的に大学からファンディングが出るので、奨学金を特段取らなくとも進学は可能である。)
よってこの時点で出願大学リストも提出する必要があったのだが、Ph.D.なので自分がやりたいテーマが明確化しないと先生を探せない、イコール行きたい大学が決まらない。ので、とにかくこの5月は社会学の教科書的な本や関心のあるレイシズム・在日コリアンに関する研究者の本・論文を読み漁り、自分なりに整理することに時間を使ったと思う。
焦りはあったけれども、この読み漁り・整理し・やりたいことを明確化していくプロセス自体がとても楽しかったから、やはり自分はこれをやりたいんだなと再認識したりした。

6月、引き続きフルブライトの書類作り (確か5月中に簡潔な一次書類の提出があり、それがアクセプトされれば本格的な書類作成が6月中、という流れだった気がする) をしつつ、先生方及び上司に推薦状の依頼をした。そう、フルブライトは社会人の場合、職場の上司からも一通もらう必要があるのだ。仕事に全く関係のない、しかも博士課程に行きたい私はちょっと逡巡したものの正直にお話ししてみたところ、快諾して頂けたのだった。つくづく周りの方々に恵まれているなと、今振り返っても思う。

7-10月、地獄のGRE対策期間である。私は研究や大学教育は好きだが、いわゆるニッポンの受験勉強というものがあまり好きではないタイプだった。ので苦痛でしかないのだが、やるしかないので仕方なくMagooshというGREのcoursera的なサービスを短期契約して、10数年ぶりの受験勉強というものをした。いわゆる足切り (という言葉もよくないと思う….) にはならないであろうくらいの点数に最終仕上がったので、嫌いな割に善戦したと思う。でももう二度とやりたくない (やらない)。
またこの10月半ば頃、フルブライトから書類通過・面接の連絡があり、少し後に面接を受けた。受かるともあまり思っていないのであまり緊張はせず、とにかく自分はこういう問題意識を持っていて、だからこういう研究をやりたいのだと言いたいことを喋らせて頂けたので、まぁこれで落ちたらしょうがない、くらいに思っていた。

ので、12月にフルブライトからの内定通知メールをオフィスで見た時は、文字通り1分くらいスマホを片手に固まっていたと思う。信じられなかったが、でもどこか、研究をやりなさいと背中をまた押してもらえた気がして、これは、本当に頑張ろう、と思ったりしたのだった。
大学の書類は締め切りが各校異なるため11月から12月末まで順次提出していった (合間に海外出張も入ったので泣きそうだったが個人PCを持参してコソコソホテルの部屋でやっていた)。Ph.D.の出願はMasterとは違うから10校以上は出した方がいい (全落ちもありうる)、という話は各所で耳にしており、全くその通りだとは思いつつも自分の状況的にそのキャパシティが無かったため、結局6校くらいしか出せなかった。それでも2校からオファーを頂けたのは本当に幸運だったと思う。もし、これを読んでおられる読者の中にPh.D.受験を考えられている方がいたら、Ph.D.受験は本当にご縁 (その年そのテーマの学生を受け入れるキャパが大学側にあるか、学生のバランスはどうか、等) なので、この点は是非認識しておかれると良いかと思う。

2月頃までには各校の結果が判明し、大学ごとに先生方とお話したり、オリエンテーションに出たりしつつ、3月には進学先を決定した。

後半の記事で、進学先決定後のあれやこれやのロジ周りの話を書きたい。

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