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制約の中で花開く才能-Nathalie-

 コロナ感染が拡大する中、 キャビンアテンダントのナタリーはマスク着用や消毒対応をしつつ、中国をはじめ各国へのフライトに搭乗していたが、3月末頃からいよいよ休業となり、トーゴの実家へと戻っていた。「ママは私が夜遅くまで出かけても、1日の終わりに話をしたいとからと待ってくれているの」と以前言っていたので、戻ってきたことをお母さんは喜んでるでしょうときいたら、うん、でも私のこれからの仕事の心配はしているわと返ってきた。

 トーゴでも日々感染者数は拡大し、マーケットが閉鎖されたり、夜間の外出が警察によって厳格に取り締まられ始めたりと、他の国と同様、深刻な事態がすすんでいる。以前訪れたあの賑やかなマーケットは、オーダーメイドのドレスを請け負うテイラーの彼女は、美しい工芸品を扱う彼は、串焼きとバナナの炒め物を出すあのレストランは、布を染めて縫製するあの工房は、ベージュの少しずつ形の異なる制服を着た子供達は、今、どうしているのだろうと思いをめぐらせていた。

 そんな中、ナタリーから3枚の絵の写真がぽんぽんぽんと送られてきた。「みてみて、描いてみたの」と。どれも風景を描いたもので、一枚はまっすぐに伸びた土の道の両脇を、赤土を思わせるようなオレンジ色が広がる風景。もう一枚は絵本に出てきそうな森の静かな湖畔に、大きな月がのぼり反射している様子。そしてオレンジの夕焼けの中に並ぶ黒いビルのシルエットと暗い水面。

 いつもお洒落でスタイリッシュなナタリーからは意外に感じられるほど、素朴で静かで、そして温かみを感じるタッチだった。話し上手でよく笑う彼女が、人ではなく自然を描いていることも私には意外で、彼女の中に広がる世界を垣間見たように感じた。絵だけ見せられたら、ナタリーの絵とはつゆとも気づかないだろうと思う。

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 外から風が気持ちよく流れ込んできそうな大きな窓の前の白いテーブルの上に、ナタリーは布と絵の具を広げて絵を描いていた。白とネイビーのストライプのサロペットから健康的でつややかな足をすらりと出して、ボリュームのあるゴールドの髪を潔くターバンでまとめている姿は、やっぱりスタイリッシュだった。隣の椅子に座っておしゃべりしながら、彼女がのびのびと描く様子を見ていられたらきっと楽しいだろうなと思った。

 絵を描くんだね、知らなかったというと「自然の風景が私には描きやすいみたい。毎日家にいるから、描いてみるにはいい時間だと思ったの」

 黒地や白地にカラフルな絵の具が弾けるように塗られたものなど、その後送られてくる絵はだんだんと抽象画が多くなってきた。「よく分からないけれど、こういう曖昧なもののほうがスムーズに描けるみたい。自分のスタイルを見つけてきたかもしれない」

 彼女はいろいろなことを言葉にするのが上手な人だと思う。一緒にロメの町をまわったとき、なぜ私にこの場所を見せたいか、この体験を一緒にしたいか、この人に会わせたいか、自分自身がどのように彼らのことを好きなのかを軽やかに明るく分かりやすく説明してくれた。私が理解できない現地の人との会話も、絶妙なタイミングと分量で背景の説明なども加えながら訳してくれ、彼らとその空間に一緒にいるのが心地良いようにしてくれた。

 その彼女も、こうした曖昧なものを内に持っているのだということ、そしてその曖昧なものが、行動が制約された環境で、絵を描くという行動によってどんどん伸びやかに放出されてきているのだなと感じる。
 私も絵を描くのが好きだが、抽象画はほとんど描かない。特にここ最近は、アフリカの「人」の絵ばかりを描いている。自分が会って感動した人々や生活の様子を伝えたい、という目的がある。描くうちに没頭して頭も心もいっしょくたにはなっていくけれど、描き初めはいつも頭で描いているような気がする。ナタリーの絵からはあまりそうしたことを感じない。彼女の絵は、どんどん素直に奔放になっていて、そしてその奔放さとカラフルな色彩は、一周回ってとても彼女らしいように感じる。

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 コロナ禍のトーゴを思う時、私は無意識にただ悲観していた。体幹のしっかりとした、目が合うと例外なく微笑みを返してくれたトーゴの人々が、今はうなだれて縮こまって家の中にこもっているのではないかという想像を巡らせていた。危機は確実にあり、決して楽観視できる状況ではないのは事実だが、それでも私がうかつにも、一括りに人々の様子をネガティブなイメージに押し込もうとしていたこと、そしてそれは決して真実ではないことを、ナタリーは無邪気に教えてくれたように思う。言葉ではなく、絵で。

 世界的にも自宅自粛から経済活動へシフトする動きが始まっているが、これまで当たり前だったことが制約されざるを得ない状況は確実にある。ただ、過去軸でみたこの”制約”の中でも、新しいことを始めたり、新しい自分を見出したり、新たな活動にチャレンジして誰かの気づきや変化につなげることも可能なのだという、「光」をナタリーから感じた。

 そしてこの「光」を伝えていくことも、MINERAL BOXの重要な役割のひとつではないかという感覚を持ち始めている。おそらく、今後私たちが切れ目なく迎えるであろう変化の節目ごとにおいて、どちらかというとネガティブな情報やものの見方の方が早く広く伝わりやすいことが考えられる中、それでも人々のつながりから見える「光」を見失わず伝え、さらにつないでいくこと。それを、今この時期に始めたMINERAL BOXだからこそ、やっていきたいと思う。

Thank you, Nathalie.

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