ニュージーランド隔離生活0日目〜その1〜
訳あって2020年3月末にニュージーランドから日本へ帰国して早9ヶ月、12月15日に日本からニュージーランドへ戻れることになったのでその過程とニュージーランド帰国後の隔離生活の様子を記していこうと思う。
日本へ帰国した経緯
自分は元々ニュージーランドで働きながら生活をしていた。ビザは、日本人パートナーにサポートしてもらう形で下りるパートナーシップビザというもので、就労もできるものだ。
それがこのコロナ渦になってタイミングの悪いことに、日本にいる96歳の祖母の癌がかなり進行してしまった。主治医から余命半年から1年弱ほどだろうと言われた旨の連絡が年の初めに父親からあったので、とりあえず6月頃には帰る予定で動いていた。しかし、3月頃になって世界中でパンデミックが始まってしまい、比較的遅くに初の感染者が出てそこまで爆発的に感染が広がっていなかったニュージーランドも、早い段階でロックダウンすることを決定した。それが確か3月19日かなんかだった。
その次の週からロックダウンが始まるとのことだったが、まだ先の状況などひとつも見えていなかった。なので、最悪国境が相互的に閉じてしまうということも考えられたため、帰国を前倒しにして3月24日に日本へ向けて出発することにした。
日本に帰国してからの生活についてはここでは割愛するが、とにかく友人などに助けられながらサヴァイブすることができた。感謝しかない。
ニュージーランド帰国の準備
ニュージーランドは段階的に国境を開いていたので、自分のビザの条件で受け入れが開始されたのは9月に入ってからであった。それまでは自国民と市民権や永住権を保持している者からの受け入れしかしておらず、就労ビザや留学ビザなどの受け入れはだいぶ後になった。
ニュージーランドに帰国する上でまずやらなければならなかったのが、帰国の目的の申請であった。自分の場合上記の理由で日本へ一時帰国している上、ニュージーランドにパートナーがいて契約中の家もあることなどの旨をオンラインの専用フォームで申請する。待つこと半月ほど、この申請はとりあえず通った。
次にやらなければならなかったのが、このコロナ渦のために新たにできたSpecial Purpose Visitor Visaというビザの申請で、必要事項を記入したフォームに加えて必要な書類(自分の場合パートナーシップビザを申請するときに必要なもの、十分な資金の証明その他諸々)をオンライン上で提出することであった。こちらは10月の半ばに申請して下りたのが11月の半ばであったので、最初の申請よりは時間がかかった。
これでようやくニュージーランドへ帰国する資格ができた。ここからまた更にやらなければならないことがいくつかあるのだが、一番面倒だったのが航空券と隔離開始日の調整だ。
ニュージーランドは2020年12月現在、すべての帰国者に対して数少ない例外を除いて2週間の隔離を行うことを必須としている。この隔離は政府などが準備したホテルで行われるのだが、帰国者の数の変動に応じて部屋が埋まってしまっている日などもある。そうした状況に応じて帰国者の管理をスムーズに行うために、専用のウェブサイトから隔離施設予約のためのバウチャーを申請することができるようになっている。このサイト内のカレンダーからまず帰国する日の候補を選択するのだが、自分が申請した時点では空いている日が2021年の2月までほぼ無く、年内に選択できる日が無い(そこまで隔離のためのホテルが埋まってしまっているということ)。なんとか早く帰国したかったので、しばらくページのリロードを繰り返していたら、ようやっと12月に空きができた。おそらく誰かがキャンセルしたのだろう。すかさず選択する。その次は、その日にニュージーランドはオークランドへ到着する航空便があるかどうかを探して、予約しなければならない。探してみると、運良くいくつか便が見つかった。それもすぐに予約して、先程のウェブサイトの帰国便の情報欄に便名と予約番号を入力する。そうしてようやく隔離施設の予約が完了する。
ここまで済んでようやくニュージーランドへ帰国する準備が整う。自分は何事もなく無事日本を出発することができたが、航空会社によっては出発の数日前にPCR検査を受けて陰性証明書を提出することが義務付けられている場合などもあるので、そこで仮にも陽性だった場合などは更に予定が狂う。
出発
成田空港の国際線ターミナルは、自分が帰国したとき同様におそらく普段の1割も人手がなかったように感じた。いくつかの飲食店とコンビニなどを除いて土産物屋、アパレルショップ、電気屋などはほぼ全て閉まっていた。
出国の手続きは、多少いつもより時間がかかったものの自分は必要な書類をすべて揃えていたので、とりあえずは問題もなくスムーズに進んだ。オークランドを経由してフィジーへ帰国する人たちなんかは自分よりも時間がかかっていたりもした。チェックインしてから出国するまでの流れはいつもとほぼ変わらなかったが、飛行機に乗った途端に非常時だということを改めて実感した。クルーは全員防護服にゴーグルに手袋、両隣の席は例外なしに絶対空いている。スカスカの飛行機内ではおそらく国を出る日本人なんかほとんどおらず、とりあえず韓国語で話しかけられてオドオドするというおそらく普段とは違う対応も非日常を感じさせた。
映画"Joker"を最後10分残して乗り継ぎ地のソウル、仁川国際空港に到着する。こちらもいつもよりおそらく格段に人手が少ないが、到着してからの乗り継ぎの流れは普段と変わらない。成田との違いといえば、こちらは閉まっている店のほうが少なかったということだろうか。靴下が自分でもわかるぐらい臭かったのでセブンイレブンで購入して履き替える。コーヒーなどを飲みながら時間を潰しているうちに次の便の時間になった。こちらも機内は最初の便みたいな状況だ。長いフライトだったので、皆3列のシートを丸々使って横になって寝ていたりした。これも普段ではなかなかできないことだろう。いつも出発してすぐ渡されるアライバルカードもコロナ仕様になっていて、健康に関するチェックが増えている(直近での具合、PCR検査の有無など)。夕食を食べながら"Joker"の残り10分を見て、特にすることもないので自分も寝ることにした。普段よりはよく休めたように思う。そうこうしているうちにオークランドへ到着する。
帰国後〜ホテルへのチェックインまでの流れは、次の記事へ続く。かしこ。
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