自殺のすゝめ

 〜まずはじめに断っておきますが、過激なタイトルとは裏腹に本稿はまったくもって自死を教唆したりする意図はありません。むしろその真逆で、私自身の体験をもとに、自殺未遂や自殺願望がいかに一時的な逃避手段であり、根本的な解決に至らないバカバカしいものであるかということを説いております。こうした文章を通してひとりでも多くの方に絶望を捨てていただくのが目的であります(希望は各々勝手に見つけてください)。ですので、そうしたことを念頭に置いて、大変拙い文章ではありますが私が何を伝えようとしているか正しく理解していただきながら読んでいただくことを切望いたします。また、衝動的にしたためた文章であるため、推敲ののち適宣編集される可能性があることもご留意ください。〜


 あまり記憶がないのだが、恐らく高校三年の夏前だかそのぐらい、平日の昼間だったと思う。私は自殺未遂をした。

 というのも大したものではなく、生来痛いことを含め身体的に苦痛なことが嫌いであった私が選んだのは飛び降りや飛び込み、リストカット及び首吊りなどの直接身体を傷付ける方法ではなく、どこからともなく仕入れてきた知識でもって実践した、自宅のトイレに酸性洗剤と塩素系洗剤およびタライ、そしてガムテープを持ち寄り、旧式の日本家屋を無理くりリフォームした密閉不可能な便所の小窓があるのにもかかわらずとりあえずトイレに籠もりドアをガムテープで目張りし、各洗剤をタライに混ぜて発生したガスを吸引する、といういかにも死ぬ気の無い方法であった。

 だが、自殺願望というのは恐ろしいもので、なんの前触れもなく急に降ってくる。朝飯からしばらく時間が経ったからそろそろ昼時で腹が空く頃だろう、ほら腹が鳴った、とかそういうのではなく、時も場所も関係なく降ってくるのである。勘の良い読者ならお気づきかもしれないが、私はその頃うつ病を患い通院および投薬治療を受けていた。うつ病というのもこれまた厄介なもので、一番症状の重いときには自殺願望など起きやしない。起き上がる余力も何か物事を考える余力もまったくなくなるのが一番重い状態であるからして。なので、そういう状態を脱して少し元気が出て色々物事を考えられるようになってからが一番危ない。自分の場合も、そうしたタイミングプラス高校生という多感な時期にそれが降りてきた。

 多少話が逸れたが、衝動が降りてきてからは早いもので、自宅に塩素系の洗剤しかないとわかるや否や、なけなしのこづかいをジャージのポケットに詰め込み最寄りのドラッグストアへ直行、迷うことなく緑のボトルのサンポールを片手にレジへ向かい購入、すぐさま帰宅し先程述べたような状況にいたる。衝動とはそういうものである。何かしらの衝動に駆られる、ということはよくあるがそれらの衝動は基本的にはどこか不道徳であったり現代の倫理に反するもので駆られるに留まり、しかし実際にそれを行動に移してしまうのが自殺衝動である。

 そしていざ死のうとして発生したガスを鼻から一息吸った瞬間なにを思ったか。

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