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高専を作った話を聞きに行ったら30年前の話から始まった

徳島県神山町の大南信也さんの 「偶発性をデザインする」〜人口5000人の徳島県神山町はなぜ進化し続けるのか〜 という講演会に行った。
内容としてはかなり衝撃を受けたので、今回は1000文字に限らず書き残したい。
長くて、文字だらけで、多くの人は読みたがらないだろうけど、まあいい。


序章:神山まるごと高専とは

徳島県神山町と言えば、昨年からニュースに取り上げられている、「神山まるごと高専」という高専が新規開校したところである。知らない方はまずこの高専を知っていただきたい。

可能性にあふれた若者が、息をするように夢を語り、行動し、モノづくりをする。そのために多くのカリキュラムが組まれ、多くの専門家や実務家との交流が提供され、独自の教育が展開される。
正直言ってうらやましい。
わたしが学生時代を過ごした土地も学生中心の街で、ほぼ全員が寮生活か1人暮らし。青くさい夢や希望で行動し、それを笑う中途半端な大人はいなかった。そういう生活はとても良くて、思えばわたしの自由さや、おもしろさへの偏重はこの時培われたのかもしれない。
さらに、神山の場合は高専で、テクノロジー、デザイン、起業家精神を教育の柱としている。

そんな斬新でステキな学校がどうしてこんな過疎地にできるんだろう。
素朴な疑問と、「これは絶対に聞きに行かなくては」という妙な勘が働き、申し込んだ。
念のため補足するが、講演のタイトルの通り、別に「高専ができるまで」が主テーマではない。あくまで神山町の進化がテーマで、わたしの興味のきっかけが高専だっただけだ。

高専を作った話を聞きに行ったら30年前の話から始まった

びっくりした。
大南さんのお話はフェーズが0.0からはじまり、32年後の5.0でやっと高専ができた。
しかも、順を追って聞いてみると、0.0からどのフェーズを省略しても語ることができない、「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こす」バタフライエフェクトが実際に起こった過程を聞いているような、壮大な内容だった。

神山町における地域活性化のフェーズ(大南さんスライドより書き起こし)

  • 1991年 フェーズ0.0

    • 国際交流:アリス人形の里帰り、神山ウィークエンド

  • 1999年 フェーズ1.0

    • アート(芸術):アート・イン・レジデンス、ICTインフラ

  • 2008年 フェーズ2.0

    • ライフスタイル:ワーク・インレジデンス、移住者・起業家

  • 2010年 フェーズ3.0

    • 創造性ある人材:サテライトオフィス、コワーキングスペース

  • 2015年 フェーズ4.0

    • 官民連携:神山町地方創生戦略

  • 2023年 フェーズ5.0

    • 高等教育機関:神山まるごと高専

長い。非常に長い。
一朝一夕でできたものではないし、他の自治体が一朝一夕でマネできるものではない(と、マジでわかってくれ、自治体は、本当に)。

キーワードは「偶発」と「時間軸」

神山町は初めから起業家やITスタートアップ、大企業とコネクションがあったわけではない。

アーティスト、ワーク、クリエイター、サテライトオフィス、トレイニー、シェフ、ホース、スタートアップ…レジデンス事業の多面展開をすることで、神山町に短期滞在する人が増える。縁もゆかりもなかった人が、神山町との心理的距離がぐっと近くなる。その人たちが、知人に紹介する。その中の幾人かが移り住む。移住した人を訪ねてまた知人が神山町に行く。さらに…
多彩なレジデンスをデザインすることにより、多彩な人材が集まる「場」が醸成され、関係人口づくりにつながる。その中から様々な「偶発」がうまれ、お店ができ、宿ができ、歯医者ができ、サテライトオフィスができ、会社ができ、高専ができた。
ここまでの醸成がなければ、こうはならない。

地域創生をうたう事業があったとして、「関係人口づくり」から始まるケースが多いけど、それだと継続性がない、と大南さんはおっしゃった。

アート・イン・レジデンスの時に作られた「隠された図書館」というものがある。とあるコンセプトにより、この図書館が本当の意味で「完成」するのは50年後になるかもしれない。その時わたしは生きていないだろうね、と大南さんはおっしゃる。
そういう「時間軸」なんだと。

今結果を出すものではなく、何十年単位で続いていく、変わっていく取り組みをすること。
自分が想像して作るのではなく、創れる人が集まり、行動できる環境を作ること。
これからやりたいことは「ない」とおっしゃる大南さんは、また誰かの偶発で神山が発展することを期待してわくわくしていらっしゃるようで、そこだけ切り取ってみれば、他力本願ともいえる。でも実際は、究極のパトロンであり、最強のプラットフォーマーだと思う。
神山町が、これからどういうシナリオをたどるか、BAU(Business As Usual:何も手を打たない、成り行きの未来)を直視し、神山町の人と共有し、一緒にゆるやかに(時々ドラスティックに)変化し続けている。

30年かかってここまで。
そいういう時間軸なんだ。
そしてドラスティックに変化するかどうかは、人とのかかわりによっておこる偶発なんだ。
講演後にお話しさせていただき、30年も続けられたことがすごいですねと伝えると、「仕事じゃないから続いたんだよ」とおっしゃられた。
本業がありつつ、大南さんはNPOとして一連の活動をされていた。
仕事だったら、資金調達ができずに終わる、目標達成できなくてとん挫する、いやになって辞めてしまうというシナリオもあり得たわけだ。
ただ続ける、その時間軸の強さを感じた。

ないものねだりでコトは起こせない

神山町は小さな町で、ないものねだりをするとキリがなかったという。
「ないものを挙げてなげく人は困る」
これはビジネスをグロースさせるときも同じだと思う。
今あるものを使って、いかに0→1するか。そういう発想で取り組める人が必要だ。
ビジネスではこの発想ができる人材を求める、ということもできるが、地域課題の場合は、こういうマインドセットに少しづつ慣れてもらって、アレルギーを乗り越えて、「もしかしたらできるかも?」「これならじぶんにもできるかも?」という発想になるべく多くの人に感染してもらう必要があるんじゃないかと思う。

0→1のマインドセット、神山まるごと高専のキャッチコピー「モノをつくる力で、コトを起こす」にもつながっている。
ないものを嘆くんじゃなく、自分でつくるんだよ。
それって最高にワクワクする。

あなたの行動はムダではないよ

あなたが今の神山町のような町をつくろうとしたら、もしかしたらこの先20年30年かかるかもしれない。
だけど、行動を起こさない場合、BAUに身をゆだね、望まない未来を受け入れる(くせに文句だけ言う)ことになる。老害ってやつだ。
行動を起こしていれば、人とのつながりを大事にしていれば、もしかしたら5年10年で大きな変化に偶然出会うかもしれない。人と人の出会いは、しばしば、予想もできない化学反応を起こすものだ。
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こす」かもしれないのだ。

小さな想いで起こした行動が、広がっていって、いつか地域を、社会を動かすかもしれない。
「今、あなたがしている行動は、ムダではないよ」
そういうメッセージを、わたしは受け取った。
泣きそうなくらい、幸せなメッセージだった。

大南さん、貴重なお話をありがとうございました。

明日は、この講演を聞いて思った別サイドの感想を書きます。

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