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『完全な人間を目指さなくても良い理由』を読んで

もし自分の子供が障害を持っていることがわかったら、私はどうするだろう?

そんな疑問から手に取った本が、白熱教室で有名なマイケル・サンデル先生の『完全な人間を目指さなくても良い理由』でした。

なぜ自分が障害を持つ子供を育てる可能性に対して、踏みとどまり考えてしまうのでしょうか。恐らくその理由は、その子供が将来ぶつかるであろう多くの壁が見えるからです。

例えば、その子供が耳が聞こえないのだとしたら、耳が聞こえる人のみの議論や集まりに気軽に参加することは出来なくなるでしょう。

その子供に足がないのなら、車椅子での生活を強いられて階段しかない道を通って近道することが出来なくなるでしょう。

障害を持つことで、私が子供に伝えたい人生の喜びを共有できない可能性があるというのは悲しいし、逆に障害が持つ子供が持つ特別な喜びを実体験できないというのも悲しい。

だから私は迷うんだと思います。

でも答えが出れば意外と解決策は簡単で、障害によって生じる壁がなくなれば解決するんだと思います。つまり、障害によって被る壁や不平等さが解消すれば良いと考えています。そして、私は技術がその架け橋になると期待しています。

もう既にその予兆は出ているように思います。技術が発展したことによって、日々多様な治療法が見つかっているし、VRなどのバーチャル世界を使って物理的な障壁をなくす可能性だって見えてきました。

そして LGBTQ を主導に多様性を尊重する動きも強まっています。

技術の進歩と世界の懐の広さがあれば、将来的には一抹の不安も抱えずに済むのかもしれません。

じゃあ、良い遺伝子はいらないってこと?

本の中で主に問題視されているのは、本来何かしらの病気を直すための治療法が、健常者にエンハンス目的で使用されている現状があります。

試験の成績を上げるために、アルツハイマー病の薬で記憶力を上げたり、ADHDの薬で集中力を上げたりする例が挙げられていました。

このような話題とよく一緒に挙げられるのが優生学ですが、私は議論する必要もないくらい、この考えは全くの見当違いだと考えています。

というのも、優生の定義があまりにも危ういからです。

特に今日のChatGPTからのAIブームがそれを顕著にしてくれました。インターネットから得られる情報であれば、誰でもアクセスできるし活用もできるような時代です。何が優れているのかどうかはその時代によって変化するものであり、今まで優れていないとされていたものが評価される事例なんてこの世には腐るほどあります。

そんな中で、よくもまあ特定の能力への盲信的な崇拝ができるなぁと呆れてしまいます。

まとめ

興味深い事例や問いが多くて面白かったです。ただ、2010年初版なので少し情報や前提が古いような気もしました。ぜひ今のAIブームを踏まえた上で、アップデートされたマイケル・サンデル先生の話を聞いてみたい!

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