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『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』は苦手だった。でも、なんだか気になり結局最後まで見続けてしまった話。

2020年のコロナ禍の外出自粛生活で、現代のアニメーション作品を配信で見始めました。

今までアニメーションと言えば、「ディズニー&ピクサー」、「スタジオジブリ」そして、「ストップモーションアニメメーション」にしか興味がなかったんです。

ところが、『鬼滅の刃』があまりにも流行していて、マンションのエレベーター内でも子どもたちが面白さを語っていたので、
「流行しているモノを見てみるのも大切なのかも」と思い、Netflixで鑑賞してみました。

すると、その面白さにハマリ、あっという間に鑑賞し終わってしまいます。

「じゃあ他の話題作もきっとハマれるに違いない」と思い、『進撃の巨人』『約束のネバーランド』そして、『呪術回線』を見始めました。
皆さんと同様にまんまとハマリ、改めて日本のマンガの物語構築力の高さと、その物語をアニメーションとして映像化する表現力と演出力のクオリティに驚きました。

この4作品にハマって、すでに何度も見返しているので、
「他にもおすすめのアニメ作品はないか?」と、周囲の人に尋ねました。

その結果、複数の人があげた作品名が
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でした。

しかし、自分にとって『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、視聴するにはかなりのハードルの高さを感じました。

ヒット作なので名前だけは知っていましたが、正直に言えば絵の雰囲気から「苦手かもしれない」と決めつけてしまっていました。

絵が苦手と言う面では『進撃の巨人』もそうだったので、「ストーリーが面白ければ、受け入れることは可能なんじゃないか」とは思いました。

ただ、ストーリーの方も勝手に想像して「ヴァイオレットという美しい少女の恋愛物語なんだろうな。きっとモテモテなんだろうな。きゅんきゅん、キャピキャピしちゃうんだろうな」という妙な思い込みをしてたんです。

実は、こういう妄想が邪魔をして、この作品を鑑賞することを躊躇している人はけっこう多いのではないでしょうか?

実際に鑑賞してみると、鑑賞前の「きゅんきゃぴ」の想像とは全くちがいました。

戦争を描いた物語だったのです。

主人公のヴァイオレットは、戦争の加害者であり被害者です。

彼女は子供時代から「人間兵器」として育てられた少女なのです。

人間兵器ヴァイオレットは、感情を排除しており、命令に従い敵をなぎ倒すことに特化しています。
「一人で一個小隊分の戦闘力」を持つ戦争兵器として、異常な活躍をします。

彼女を兵器として使用してきたギルベルト少佐は、ヴァイオレットのおかげで戦果をあげるものの、少女を兵器として使用することに、心のどこかで罪の意識を感じます。

そして、決戦の日、ヴァイオレットとギルベルト少佐は命に関わる重傷を負ってしまいます。
ヴァイオレットが病院のベッドの上で目覚めると、戦争は終わっており、少佐の姿はどこにもなく、彼女の両腕もなくなっていました。

ここから第1話が始まります。

ヴァイオレットは、少佐の命令だけに従い、敵を殺傷する人生を歩んできました。
そんな彼女が、少佐のいない世の中で暮らしていかなければなりません。

ギルベルト少佐の親友で、自分も中佐として従軍していたホッジンズが、両腕に義手を付けた彼女を迎えにやってきます。
ホッジンズも、戦場で少女兵器の活躍を目撃し、心のどこかに罪の意識を感じていました。

ホッジンズが社長を務める郵便社でヴァイオレットは仕事を始めます。

ヴァイオレットは郵便社で手紙の代筆をする仕事に就きます。
義手でタイプライターをカタカタ打って、手紙を完成させる仕事です。

物語の中では代筆業の人のことを「自動手記人形(ドール)」と呼びます。

正直に言えば、「人形(ドール)」という呼び方じゃなければ、この作品は、もっと万人に受け入れられたんじゃないかと思います。

ドールの仕事に就けるのは女性だけなのですが、女性のことをドールと呼ぶのも、呼ばれるのも、自分だったら嫌だと感じました。
ドールたちが、依頼人のことを「旦那様」とか、「お嬢様」と呼ぶのもかなり苦手でした。

ただこういう設定は、物語の世界観に必要なものだと理解して、受け流して鑑賞することにしました。
どうしても無理だったら鑑賞を辞めればいいだけの話で、私の場合は「続けて見てみたい」という気持ちが勝ったのです。

ヴァイオレットは、代筆業をすることで、依頼者の伝えたい思いを言葉にして綴ることで、人間らしい感情を徐々に取り戻していくことになります。

「愛してる」

戦場で少佐が言っていた「最後の言葉」の意味が分からないヴァイオレット。

感情を取り戻していくと、徐々にその意味を理解していきます。

とても残酷な話です。
感情さえなければ、まさに兵器人形のままでいれば、命令とはいえ戦場で犯した自分の罪の深さを知ることもないのに、感情がなければ少佐の最後の言葉の意味が分からない。

戦争が終わったからといって、「人間らしい心」を取り戻すべきなのかどうか。

少佐に対する愛を理解したとき、彼女の心は大丈夫なのでしょうか。

可愛らしい少女ヴァイオレットの深い心の闇を覗き、戦争というものの恐ろしさを思い知らされる。そんな気がしたのです。

私は戦争を実際には体験していないから、戦時中に生きてきた人の「心の持ちよう」というのは想像するしかありません。
その前提で考える「戦争」とは、国がお互いに「正義」と主張するものをぶつけ合って、兵士に代理で殺傷させる「不毛で卑劣な殺戮」だと思っています。

ヴァイオレットは、戦争の加害者でもあり被害者でもある。

まさか、この可憐な少女に戦争というモノの真実を考えさせられるとは思ってもいませんでした。

苦手な部分がありつつも、最後まで見たいと思わせたのは、ヴァイオレットの「戦後の心の行方を見届けたい」という思いがあったからなのかもしれません。

結果的にアニメシリーズ、外伝、そして現在も公開中の映画まで、すべて鑑賞してしまいました。次回は映画についても書きたいです。

【追伸】

劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』について、書いた感想はこちらです↓




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