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超短編小説【千鳥足のバレリーナ】

【千鳥足のバレリーナ】峯岸 よぞら


酔っぱらいのバレリーナがいた。

今度の公演の配役が決まる。
それは三か月後に迫っている。
白鳥育美は、昔から、「白鳥の湖」で
白鳥を演じたいと思っていた。
バレリーナなら全員やりたいと思う役。
オーディションは形式としてやっているが、
毎日の練習も監督が見ており、それも評価に繋がる。


育美は、そのストレスからレッスン前に、
コンビニでお酒を買い、飲むようになった。
最初は、缶酎ハイのアルコール度数の低いものだったが、
ワンカップの日本酒まで飲み始める。
そうすると緊張がほぐれ、いつも通り踊れるのだ。


二週間後。


彼女には、困ったことがあった。
何もしていないのに、汗が出て来る。
ピアノの音が、頭に響く。

アルコールによるものだろうか。

酔っぱらっていることが、
バレないように踊らなくてはならない。
彼女が右足を振り上げ、両手を動かす。
すると、かすかに手が震える。
両足を前と後ろに開いてジャンプをすると、
金槌で頭を叩いたかのように、
脳内に振動が響き渡る。
地面に着地した時に、ふらついてしまった。
呼吸がいつもより荒くなるが、
必死に落ち着かせる。


何とかレッスンを終え、ロッカーで着替えていた。
「育美さん、大丈夫ですか?」
同じ白鳥役を狙っているライバル、黒田裕子。
このことを知られてしまったら、最悪だと彼女は思った。

「大丈夫」
微笑みながら、返す。
「え!お酒?臭い!」
裕子が叫んだ。

「ちょっと何を言っているのよ」
「育美さん、お酒飲んでるんですか?
今日、動きが変だったのは、そのせい?」
「辞めてよ。そんな訳ないでしょ」
思わず声が大きくなる。

周りもざわつき始めた。

小声でこちらを見ながら、
何かを話している者たちもいる。
荷物を雑多に鞄に詰めて、
飛び出すように教室を出た。
もうお酒を飲むのを止めようと決心しながら。

しかし、その足取りはおぼつかず、
もつれそうになっていた。

一方、黒田裕子は、
帰り道に公園のベンチに腰を落とした。


「むかつく。いつもお酒を飲みながら踊っていたなんて」
このバレエ団に入ってから、
やりたい役を育美に取られ続けている。
そのため、先程の件がどうしても許せないのだ。

「私がどれだけ練習して来たことか…」
飲み終わった缶コーヒーを、
握りつぶしながら言った。


「お嬢さん」
振り返ると、黒いマントが浮いていた。
「え・・・」
裕子は、驚く。
マントが喋っていることも、
ひとりでに浮いていることもどちらにもだ。
しかも、黒色なので、恐怖さえも覚えた。
これが、白色やピンク色だったら、
違ったのだろうか。

「これが必要なんじゃ?」
差し出されたのは、プラスチックの容器だ。
昔のカメラフィルムが入っているような大きさと形だった。
不審に思いながら、受け取る。

「これは何ですか?」
隅々まで見ながら聞いた時には、
そのマントはいなくなっていた。
戸惑いながらも、中を開けると、
錠剤が入っている。
勿論容器には、何も書いていない。

しかし、何故か裕子は、
これが何なのか勘で分かってしまった。

瞬きを一つすると、瞳の色が変わった。

「今からでも間に合う」
立ち上がると、育美の自宅方面へ急いだ。


白鳥育美は、もうすぐ駅に着くところだった。

「待って」
育美が振り返ると、裕子がいた。

裕子はプラスチックの容器を差し出す。
「育美さんのことが心配なんです。
これ、震えが止まりますから」

裕子の意地悪で震えが悪化するような
危ない物かもしれない。

「ありがとう」
育美はとりあえず受け取っておく。
ここで断ったら、裕子に何をされるか分からない。
後で捨てればいい。そう考えたのだ。
受け取った育美を見ると、裕子の頬が自然と緩んだ。


次の日。

悩んだ結果、育美はその錠剤を呑んでみることにした。
あれから捨てるに捨てられなかったのだ。
すぐにその効果は出た。
育美は震えも止まり、踊りに集中出来るようになっていた。
心なしか、いつもより上手く踊れている気がする。
手を上下させると、本物の白鳥のように動かせるようになっている。
まるで骨が溶けてしまっているみたいだ。
スピーカーから流れるフルートの音色が、
優しく育美を包む。
それを見た監督が言う。

「今のところ、白鳥役は、育美で決まりそうね」


周りに聞こえるように言ったので、
全員育美に注目した。
「ありがとうございます」
彼女が笑顔で答えた。

普段から育美の踊りは、表現力が高く、
技術的にも上手い。
育美には適わない、と何人もの人が
バレリーナを辞めて行ったくらいだ。

それが一段とグレードアップしていたら、
もう右に出る者はいない。

裕子は、それが気に入らなかった。
何で?あのマントのやつ、育美の味方だったの?


「監督。育美さんは、お酒を飲んでレッスンに出ていますよ。良いんですか?」

裕子の発した言葉で、その場の空気が一転した。

「…どうなんですか?育美さん」
困惑しながら監督が問う。

「いえ、そんなことありません」
「嘘吐かないでよ!」
「変なこと言わないで」

監督が音楽を止め、静まり返った。
「裕子さん、言いがかりは良くないですよ」
怪訝な顔をしながら、監督が言う。
「言いがかりではないです。本当なんです」
「そんなことしていません」
とたんに裕子が走り、育美の前に立つ。
勢いよく胸倉を掴み、彼女の口に手を入れて、
思いっきり口を開けさせた。

いつの間にか手に握っていたあの容器。

「この錠剤が効いているんでしょう」
そう言いながら、錠剤を大量に流し込む。
その姿は、まるで悪魔だった。

「止めなさい!」
監督が裕子を抑えようとすると、彼女はそれを手でいなした。
その力がすさまじかったので、監督は突き飛ばされた。
他の生徒が、介抱する。


裕子の目つきは鋭くなっていた。

「これね、黒いマントを着た人がくれたの」
「ゲホ…ゲホッ」
育美が咳き込みながら、何とか裕子の手を振り払った。
錠剤を口から吐き出す。
苦しそうに悶えている。


「きゃー」
一人の生徒が指を差し、叫んだ。



指を差されたのは、育美だった。


「何これ!」
鏡を見ながら叫ぶ。
それが育美の最後の言葉だった。
みるみるうちに、足や体が溶けて行き、
代わりに動物の脚や体が生える。

それは白鳥だ。

『白鳥の湖』は、
悪魔が、女性を白鳥に替えてしまう話だ。

白鳥となった育美は、何か言いたげに
羽をばたつかせ、取り乱している。

裕子は嘲笑している。
他の皆は、放心状態だ。


パチンと糸が切れたように、
裕子がその場に倒れた。
彼女の体から、黒いマントが浮遊し、
どこかへ消えて行った。

それを見た白鳥は追いかけるように、出口から出て行く。
大きな羽を動かし、大空へ跳び立った。

数年後。

裕子は、自分の強い嫉妬から、
黒いマントを着た悪魔を
呼び寄せてしまったのだと、反省した。

周りを見ても妬むのではなく、
良い所を真似をして、
自分に取り入れようとする
姿勢に変えていった。


間もなく、『白鳥の湖』の本番が始まる。

緊張で心臓の音が大きく感じる。

裕子は、実力で手に入れた白鳥役を
演じることになった。


フルートの音色と共に、
彼女が脚を細かく動かし、
羽のように手を上下させる。
少し足がふらついてしまったが、
体幹で何とかカバーした。

何事もなかったかのように
目線を手先にやり、表情を作る。

スポッライトがそれを引き立たせている。

その額から、汗が止まらない。

睫毛に溜まった汗が、目に入り、
染みて来てしまった。

充血した目で、観客を見つめる。

滲んだ視界からでも、皆、
裕子に魅了されているのが分かった。


純白の衣装が、彼女の美しさを誇張する。

フルートやヴァイオリンの音色が、
盛大にホールに響く。
それに合わせ、大きく足を振り上げ、
本当の白鳥が華麗に舞っているように見せる。

舞台の端からステップを踏み、
大きく両足を開きながら、ジャンプした。
着地と共に、彼女の口の中で、
先程のお酒の味が充満した。

その様子を、舞台の袖から後輩が見ている。
                                     <終>

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