見出し画像

罪悪感という大いなる一人相撲

靭帯損傷してから11日。レンタル何にもしない人ならぬ、自宅で何もしない人になっている。

転倒してからしばらくは職場からの勧めでMRIを撮りに行ったり、ずっとやろうと思っていた部屋の片付けとかやっていたんだが、立ってないから足に負担かけてないと思っていたら、しゃがんでいる姿勢が足に負担かけていたのか靭帯損傷した箇所とは違う足の指の付け根が痛くなってきた。整形外科に行くと足を庇うことで負担がかかっているのと足裏のアーチが無いことで神経痛めてると。

最近まで私は自分が「したい」ことよりも「やらなきゃいけない」と思うことばかり優先していた。誰も頼んでないのに勝手に背負って「私がやらなくては!」ってなりながら、本当はやりたいことではないからブレーキとアクセスを同時に踏んでるような負荷がかかって「思うようにいかない!」とイライラしていた。しかも、本当はやりたいと思っていなかったから、なかなか取りかかれずにグズグズする。ほんましょーもない。

何もしないで休んでいると、私は割と何にもしないでボーッとできるタイプだと思っていたら意外と違って、なんか何もしないことに罪悪感みたいなものがあるんだなと感じた。私が憧れている水木しげる先生や石川浩司さんには罪悪感というものをまったく感じない。近いものを感じるのに自分はダメだと思ってしまうのはこのへんの違いなのかも知れない。

このザワザワは自分の感情や気づいてほしかった想いの源泉かも知れんと思い、何にもしないことをいいことに自分にどんな想いがあるのか内観することにした。


何となく風景入れたくなった。夏至の夜明け。

手帳のノート欄に浮かんでくるものをひたすら書いてみた。もし手帳を落として誰かに拾われたら恥ずかしさで爆死してまうようなことをたくさん書いた。

その中ですごく気になるものがあった。本当はここに書くのも居た堪れないけど書いてみると

「お金にならない私を許して当然のように愛してほしい」

「役に立たない私を許して当然のように愛してほしい」

はい。メンヘラです。メンヘラ構文です。本当はこんなもん人様に見せたくはないけど、もしかしたら同じような部分で悩んでる人の気持ちが軽くなるかも知れないと思って恥を偲んで書いたけど、あのさ、この「私を許して」って何なん? 許してもらう必要あるん? 許すとかいるん? ひどくない!? と自分に激しくつっこんだ。

私の根っこには相当深い罪悪感が潜んでるなと自覚した。思い当たることはある。自分ではわかってる。

私は小学2年生の時に交通事故にあった。当時青信号ダッシュというのが自分たちの周りで流行っていた。下校中にある短い信号が青になったら横断歩道の先に1番に到着した人が勝ちという小学生らしい遊びである。その横断歩道はいつもはみどりのおばさんがいた。お若い人は知らないかも知れないが、昭和には小学生の交通安全を守るみどりのおばさんなる人がいた。横断歩道に黄色い旗を持って信号を守るように立っているんである。

その日はみどりのおばさんが居なかった。「まだかな、みどりのおばさん」とみんなで待っていたがなかなか来ない。子どもが感じる待ち時間というのは大人と比べ物にならない。実際どのくらい待ったかはわからないが、自分たちに十分待ったし短い横断歩道だから大丈夫だろうと判断して、みどりのおばさんが居ないけど横断歩道を渡って帰ろうということになった。そしていつものように青信号ダッシュしようと青信号を待った。

そこで飛び出した私は軽トラに轢かれた。ランドセルがカバーしてくれて頭は打たなかったが、鼻に9針と左足に3針の傷が出来た。その頃から痛みに強かったのかはわからないが痛みは覚えてない。「青信号ダッシュしようぜー!」と青信号を待っているところで記憶が止まっている。

目を覚ますとたくさんの大人が強張った顔で私を見ていて、それが怖くて泣いた。痛かったかわからない。それから救急車で運ばれて2週間の入院と1か月の自宅安静となった。その頃から怪我に無頓着なのか、顔に傷ができても気にしてなくて、腫れた顔面を面白がってティッシュで三角形を使って「お化けだぞー!」と言っては母や祖母を嫌がらせて笑っていた。

交通事故後復帰したばかりの小2の私

そんな風に事故ってもとにかく明るい吉田だったが、その後暗転する。私の交通事故で入ってきた保険金を父が使い倒した上に多額の借金が出来ていたんである。前々から仲良し家族ではなかったが、家庭内に冷たい空気が流れていた。ある日私は母が親戚に「あの子のせいであの人(父)はおかしくなった」と言っているのを聞いてしまい、私は自分の心の扉をバタンと閉めたのを感じていた。

父の借金のいざこざは長かった。中学生の時にその件で母方の祖父母が来たこともあったし、私が高校生の時に母が突然神戸の実家に帰ったこともあった。いきなりすべての家事が私にのしかかってきたが、兄も父も手伝うどころか慣れない家事をうまくこなせない私に文句を言った。「お前は高校生にもなって味噌汁も作れないのか!」など。時期は中間試験の頃で成績はボロボロだった。中間テストが終わった頃に帰ってきた母に私の答案用紙を見せると、あまりの点数の低さに驚いていた。私が「家事で忙しかったから…」と伝えると、母は顔色ひとつ変えずに「何言ってるの? アンタの努力が足りないだけでしょ?」と言った。

さらに心の扉は閉まった音がした。辛かったが「あの子のせいで」と言われた言葉が残っていて、悲しみも涙も怒りも出すことは出来なかった。あと何かわからないけど子どもの頃から怒ったり泣いたりすると、茶化されたり笑われたり怒られることが多かったので、感情を出すのが本当に嫌だった。

中学生の私
保育士体験をした高校生の頃の私


それから父が知らん内に会社を辞めて退職金も使い果たしてたとか、従姉妹が自殺するとか、中学時代の親友が統合失調症になるとかが続いて、私の周りにいる人がどんどん不幸になる気がしていた。それは本当は自分とは関係ないのに、知らず知らずにうちに「私のせいだ!」という呪いのような自己暗示をかけてしまっていた。どっかで自分を罪人みたいに感じていて、「私は幸せになってはいけない! みんなを不幸にする!」みたいな罪悪感と、「私のどこが悪いねん! 私のせいにすんなや!」という怒りが同居してた。

事故ってもとにかく明るい吉田は、何にもなくてもとにかくメンヘラな吉田になっていた。

この何にもしない時期に、うすうす気づいていたその感情をしっかり味わっていた。本当は「何で私のせいなんだ!」「私のせいにすんな!」って怒りたかった。ひとりで家事やらせずに手伝ってほしかったし、「できなくて当たり前なのに怒るなんてひどい!」って言いたかった。「自分の娘の保険金使い込んでじゃねーよ!」って怒りたかった。 そして、そのもっと奥には「私を大切にしてほしかった」という願いがあった。私の気持ちを思いやってほしかった。私のことを何だと思ってるんだと怒りたかった。

何にもできなくなって、「ああ、もう、こんなこと思わなくていいんだ」と思った。背負ってしまった罪悪感をもう手放していいんだな。不思議なことに、私は無意識に人を怒らせて「私のことを何だと思ってるんだ!」と言われることが多かった。コレはもしかしたら、無視してきた私の中にある思いが見せてくれていただけなのかも知れないな。私が手放して、自分の気持ちを大切にしたら、もうそんなことも無くなるのかも知れない。

何と壮大な罪悪感という一人相撲だったんだろうか。アホらし過ぎて涙が出るわ。いや、嘘だ。やっと気づいてもらえた気持ちが嬉しくて涙が出るんだな。

何にもしないようでいて、今までずっと我慢して無視されていたような私の深い心の中の想いをひとつひとつ掬い上げて感じて抱きしめるいい機会なんだと思う。何にもできなくても私は許されていて、それでも大切にされていいんだと心底思っていい。そうしていった後の選択や未来は明るいに違いない。

幼稚園の頃の私は一人相撲どころか、ひとりでも果敢に相撲とりに立ち向かっていたよ。

サポートほしいです!  よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。