明太子スパゲティを食べながら
昼過ぎで仕事が終わった帰り道。
「お腹空いたー」って思いながら「冷蔵庫に明太子あったな」と思い浮かべたら、急に昔の恋人がたらこスパゲティを作ってくれたことを思い出した。
初めてお付き合いした人で、いろいろな初めてを知った人。初めて家に泊まりに行った時に私の為にたらこスパゲティを作ってくれた。ワンルームのアパートに小さなコンロがひとつ。台所も小さいから、きっとふだんはあまり料理はしなかったんだろうけど「食べて美味しかったから」と言って、サラダまで作ってご馳走してくれた。
何となく、その時に食べたシンプルなたらこスパゲティ(うちにあるのは明太子だが)を作って食べてみようと思った。
ボールに明太子を一房。大きめにバターを切って、レモンは1/4の大きさに切って絞りやすいように切り目を入れて、パスタが茹で上がったらボールに入れて混ぜる。そういえば刻み海苔も乗せてくれてたなと思って海苔を切ってかけてみた。
当時は初めてのお泊まりに舞い上がってあんまり味は覚えてなかったし、私の為に作ってくれたことが嬉しくて味はわからなかった気がする。自分で作って食べてみて「自分が食べて美味しかったものを食べさせてあげたい」と思ってくれたのが改めて嬉しいなぁと思った。
明太子スパゲティを食べながら、そういえば誕生日にアラーキーの「愛しのチロ」をプレゼントしてくれたなぁと思い出した。
当時の私はビックミニや一眼レフで写真を撮っていて、特にアラーキーが好きだった。アラーキーの「センチメンタルな旅 冬の旅」と、奥さんの陽子さんを撮った「陽子」が好きで、好きすぎてアラーキーが陽子さんと住んでいた東京の三ノ輪へカメラを持ってブラブラ歩きに行ったことがある。
そんな話もしてたからだと思うけど、「いろいろ悩んだけど」って言いながら「愛しのチロ」を手渡してくれて、その中にある「猫がこんな顔してるの見たことないからコレがいいと思った」と言った。
その人がくれた「愛しのチロ」は、今も本棚にある。
だからといって、今もまだその人のことが好きな訳ではなくて、いい写真集だし、私が何を喜ぶのかを悩んで選んでくれた気持ちやあの人からもらったという思い出には何にも罪はないから持っている。
当時の私はたぶん気づいてなかったけど、めちゃくちゃいい人だった。私が自分の感情を出さなかったり我慢しがちなのをわかって、わざと怒らせるようなことも言ったりしてたんだなぁと、今になってわかった。いろんな初めても、かなり優しくしてくれたと思う。
そんなことを明太子スパゲティを食べながら思い出していた。
しかし何で最近、そんな昔の恋愛の話ばかり思い出すんだろう。
思い出す度に、私が抱えていた男性に対するよくないイメージや不信感が溶けてなくなっていく。自分が思っていたよりずっとしあわせな思い出ばかりで、好きになった人たちも誠実で、何やかんや私は大切にされていた。わかってないのは私だった。
こんな風にぜんぶいい思い出みたいになっていって、私が気づいてなかっただけだったなぁってなって、コレは一体どうなっているのかなぁ。私、死ぬのかな。
もし仮に死んでも、よかった思い出だけ持って、この世から居なくなれそう。私には子どもや旦那さんが居ないから、守りたいものはないし、残せるものはないし、もういつ死んでもいいのかもしれない。
誰かと一緒に生きるってことをやってみたかった気もするけど、「そういうものだから」とか、「寂しいから」とか、「老後の為」とか、目的の手段みたいにはしたくない。
ロマンチックすぎるのかも知れないけど、心からお互いがそう思えることがあるなら、たぶんそうなるんだろうし、そればっかりは縁とタイミングだからわからない。
わからないけど、今を生きてるなら、1日1日を楽しく、好きなことや好きな人を大切にして、喜んで、なるべく笑っていたいな。私の人生オモロいなーって思いながら笑っていたい。
今まで気づけなかった昔の恋人の思い出を思い出して明太子スパゲティを食べながら、そう味わっていた。
サポートほしいです! よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。