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ねえ、もうブスって言わないで


泣きながら起きてしまった。



他人のみた夢の話ほど どうでもいい話はないが、聞いてほしい。



2行にまとめると顔の美醜について言われた挙句、わたしが「醜」のカテゴリに分けられたことで不利益を被った夢だった。



さらに夢の中にまで出てきた相方に泣きつくと、それはそれは面倒くさそうな顔をされてしまったので、余計に悲しくなってしまった。
(相方が夢に出てくるとき、だいたいろくでもないポジションで出てくる)



さらに嫌だったのが登場人物が、わたしがこれほどまでに顔の美醜を執着するようになったきっかけをつくった人ばかりであった。



人生で初めてわたしがブスと言われたのは、小学校5年生の夏休み。しかもよりによって身内から。
しかしそれよりも前から自分が「醜」のカテゴリに分類されることは、周りの大人が醸し出す空気でなんとなく察していた。



中学1年の夏休み。これが人生で1番強烈に残るブスの記憶。
夜が深まっていく時間に、過呼吸になるくらい泣きながら家まで歩いたことを未だに覚えている。



同じ村に住む大人に言われたもんだから、帰って親に直訴した。
お母さんは「気にするな」と言った。お父さんはなにも言わなかった。



それが悲しかった。娘がこんな思いをしているのに怒ってもくれないということは、両親もわたしのことをブスだと思っているのだと思った。今になって思えば、田舎特有の付き合いだのしがらみだのがあったのだと理解はできる。



あれ。そもそもわたしにブスって言ったあいつも遠い親戚じゃなかったっけ?



まあそれはどうでもいいや。よくないけど。



記憶力が特別いいわけでもないわたしが、ブスと言われた記憶に関しては言った本人はもちろん、季節や時間帯、シチュエーションまで覚えているのは執念のほかないだろう。



気付けば10年以上、自分の顔に(悪い意味で)固執し続けている。



この10何年の間にいろんなことを経験して、自分を「お、かわいい」と思う瞬間もあった。



しかし自分でも気付かないこころの奥にはまだ、幼かった頃の自分が泣いていた。
それを今日の夢で実感した。



本当はかわいいと言われたかった。



自分をブスと洗脳し続けてきたわたしは、いろんなことを諦めてしまった。



今でも「メイクが好き!」「コスメが好き!」と自信を持っては言えない。



夜職時代、初対面にもかかわらず顔面に点数をつけ、ヤレるかヤれないかの偏差値を導き出している男性もいた。



そんな人たちからいただいたお金を数えながら「わたしはかわいい」と暗示をかけるようになった。自分のこころを守るために。



「わたしブスだから」に対して「そんなことないよ待ち」をしているわけではない。そんなに面倒な女ではない。いや、寝起きにこんなことを書いて発信してるくらいには面倒か。



いろいろと綴ってきたが、顔で判断される世界ばかりではないこともわかっている。わたしの長年のコンプレックスのひとつであるほくろが、タイで出会ったイケイケの中国人の女の子に羨ましがられるなんていう体験もした。



しかしこのほくろをすべて除去して、さらにそばかすまできれいに消すとなると20万円ほどかかることが最近判明した。しかも20万円と少なくとも3ヵ月を費やしても、完全にきれいに消せるとは限らないらしい。



ほくろ1個1万5000円。高いところで2万円。
おいおい、わたしの顔、宝石箱かなんかかい?



あー、どうか次の総理大臣殿。
人に「ブス」って言っちゃう人は問答無用で禁固刑にしませんか?
それと美容医療を保険適用にしてもらえませんか?無理ですか?
無理ならわたしが首相を目指しますがいいですか?



こころにくすぶるブスの火種を消すには、どうしたらいいのだろう。



とりあえず近いうちに、ブスの一言によって炭化してしまったこころが表面化したかのようなほくろとさよならしたいと思う。



20万円で昔のわたしが救え、これからのわたしが鏡を見るのがちょっと楽しみになるのだったら安いものである。




朝から自分のこころの闇と向き合ってしまい、めそめそしながらこの記事を書いていると、気の毒に思った相方がサンドイッチをつくってくれた。



お腹いっぱい。もうちょっと寝ようかな。



大丈夫、わたしはかわいいよ、と慣れた暗示を自分にかけながら。

お読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後の成長のための勉強と命の水(ビール)に充てたいと思います。