酔おてて覚えてへんVol.8 ‐ 捨てマネキン
2週間ほど前、買い物に駅前まで向かって歩いている時の話。
通りがかったある一軒家のガレージ前に目立つようにマネキンが置かれていたのだ。その後ろのガレージのシャッターにはメモが貼られていた。
「欲しい方さし上げます ご自由にお持ちください。↓↓↓」
「珍しいな。捨てマネキンか」と思いながら通り過ぎた。ただ「捨てマネキン」という言葉が自分の中になさすぎて、しばらく反芻して「それ何やねーん」と自分にツッコミを入れた。次の信号を渡った。
しかもその捨てマネキンは4体もいたのだ。黒と赤のものが若干斜めの角度でビシっと並んでいた。それはもうクラフトワークみたいに。もはや捨てクラフトワークのマネキンなんじゃないかというくらいの堂々とした立ち姿だった。「いや、捨てクラフトワークってなんやねーん」と自分にツッコミを入れながら目的の銀行に到着した。
なんで元がブティックというわけでもなさそうな一軒家がマネキンを捨てたのだろう。この自粛期間中はみんな大掃除していたから、この機会に思い切って捨てようとしたのか。確かにマネキンはかさばるから、この4体捨てただけで、大掃除したような気分になるだろう。マネキンは服もかさばらせるからね。本来畳んで収納しておけば、服なんてそんなにかさばらへんのに。
そしてこれは誰が拾うのだろう。捨て犬ほど愛嬌がないから、たとえ雨でずぶ濡れになっていたとしても情は沸かないだろう。その分、世話は掛からなさそうだが。でも、そもそもマネキンは生き物ではないのだ。無機物で考えたほうがいい。
たまに軒先に捨て食器を置いていることはある。私もちょうどええ大皿が2つあったから持って帰らせてもらったこともある。ただ「ちょうどええマネキン」となると、それはサイズ感の話になってしまうのではないだろうか。でも自分にちょうどええM寸のマネキンがあっても仕方ないのだ、服をかさばらせてくれるだけだから。
銀行、100均、スーパーとひとしきり用事を済ませて、同じ道を通って帰る。あの一軒家が見えてきた。ガレージ前の捨てマネキンは黒の2体だけになっていた。この1時間半ほどの間に誰かが2体拾ってくれたのか。その人にとってなにがちょうどよくて2体も拾っていったのだろう。
とてつもなく切ない気分になった。Spotifyで『Autobahn』を聴きながら買い物をしていたので、もうあの4人組が揃っていることにこちらは情が沸いてしまっているのだ。捨て犬ほど愛嬌はないのに。濡れてもないのに。ただマネキンにとっては拾われてよかったのだと自分を納得させた。もらわれた先で精いっぱい服をかさばらせてほしい。
「あの2体、飼いノイ!になったということか」と思いながら通り過ぎた。しばらく反芻して「それ何やねーん」と自分にツッコミを入れながら帰った。
※昨日見に行ったら捨てマネキンはもう1体もいませんでした。
今日の1曲 “Coyote Mary's Trabeling Show” M.Ward
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