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酔おてて覚えてへんVol.7 ‐ 「幸いで死にそうです」

自分が関わっているプロジェクトに、メールで問い合わせが来て、対応方法のすり合わせのために内容がメンバーから転送された。

対応したメンバーが言うには「大学生とか若い人だと思います。文章が若いです…」とのこと。確かにビジネスメールとしての体裁はとられていない。そして言葉選びの端々にひときわ高い熱量を感じる。なんか希望に溢れている。

そのメールは次の言葉で締めくくられていた。

ぜひ見ていただけると幸いで死にそうです。
よろしくお願いします!

私の想定を遥かに跳躍する言葉の接続に戸惑い、しばらく反芻した。

「幸いで死にそうです」

言葉遣いがなっとらんかったり、軽々しく「死」を放つことに対する違和感はあるが、なんだかそこだけに留めることが出来なかった。何度も味わううちにむしろ豊かだと思ってしまった。

「幸せ」と「死」という対極にいるような概念を同居させてしまうイビツさがある。
この人は幸せの天井を破ってしまうと、その最上級は死に行きつくのかという無常さがある。

なのに意味合いとしては溢れんばかりにポジティブなのだ。

「幸いで死にそうです」

ビジネス用語で使われる「幸いです」は相手の行動を促す謙譲語である。「ご覧いただけますと幸いです」「30日までにお戻しいただけると幸いです」など、へりくだる姿勢をとりながら、自分の希望を伝えている。

ただそこに繋がる「死にそうです」はそんなへりくだりの姿勢をとって油断した相手にアッパーカットをかますだけに留まらず、最上級のエモーションを噴き上げながら個の世界に閉じこもっていくのだ。

この「謙譲語+個人的な感情表現」は食い合わせが悪い。

「16時に伺えれば泣けてきます」
「ヤバイくらいかしこまりました」

ちょっと情緒が心配になってきますよね。

「拝読しましたが、胸がいっぱいです」
あ、これはなんかいい気がしますね。献身的な編集者みたいです。ライターとの関係性が浮かび上がってきますね。とはいえこれもビジネスメールの関係性を超えています。

「申し訳ないが気分がいい」
……これは岡林ですね。謙譲語でもなくなっちゃった!

話が飛んでしまいました。ともかく自分の中にスコーンとクリーンヒットを放った見事な「緊張(ビジネスメールにおける謙譲語)」からの「緩和(個人的な感情)」表現だと思いました。そう思って再び枝雀の動画を見てしまいました。

この連絡をくれた若者はもちろんそんな作為はなく、外部の人とやり取りするには不適な表現かもしれません。でもたまらなく魅力的なワードだった。この緊張と緩和を自分の文章、レビューにうまく意図的に取り入れられるようになりたいな。そしたらもうライターとして、幸せで死にそうです。


今日の1曲 “Red Western Sky” Muzz


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