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俺たち一生野球部。~1年生編~

 この物語はノンフィクション物語。一部コンプライアンス的な問題も含まれるかもしれないので登場人物、地名、校名等は一部変えて掲載させて頂きます。

~筋書~
 超田舎の中学から高校野球部に入部した僕。家庭やチームメイト、監督など様々な問題がでてきます。けして強豪校ではない高校が注目校になるが事件発生。1人の野球部が巻き起こす、問題児でムードメーカーの僕も1年生をまとめることができるのか。1年生ならではの苦悩や現実を見つめながら成長する物語。

1、最恐の監督・最高の仲間との出会い

 「おはようございます!新入部員の野田です!A中学校出身、内野手希望です!今日からよろしくおねがいしますっ!!」


 3月某日、まだ高校の入学式が行われる前に野球部入部者は春休みから、練習に参加する。近隣の強豪中学校のキャプテンやエースや4番など計13人の新入部員の中、田舎の弱小校でキャプテンでもなくエースでも4番でもない俺が、なぜかトップバッターで自己紹介をさせられた。少し緊張気味で挨拶を済ませたら、


「はい、声が小さい。やりなおし」
「はい、おもしろくない。やりなおし」


 声が小さいのはわかる。おもしろくない?声の大きさには自信をもっていたのだがそれ以上におもしろさにも自信をもっていた。そもそもおもしろいこと言う場と思っていなかったが、なぜ1番に俺だったか少し察しがついた。
 4歳上の兄が同じ高校の卒業生だから今の3年生は知っている人も多く、同じ中学から入部している上級生が今年入る野田中の奴おもろいよって情報を回していたからだ。なので、さらに大きな声で挨拶しなおしてやった。

 「おはようございます!!!!新入部員の野田です!!!!A中学校出身!!!!!内野手希望!!!!中学野球を引退してから毎晩、布団の中でエロ本片手に右手首の強化に励みました!!!!!右手首と体力に自信ありです!!!!!よろしくおねがいします!!!!!」

 15歳の発想は下ネタぐらいしかないが、上級生も笑いのツボは同じである。ウケた。しかし、次の新入部員からはボケるやつはいなかった。
 「いや、ボケたの俺だけかい!!!」
 と心の中で叫んだ。

 挨拶もそこそこに監督が早速練習メニューを発表し、練習が始まった。この監督こそ中学校の野球部では知らない奴はいないほどの最恐監督だった。
 気を抜いたりミスすると怒号が響き渡り交代宣言。バツとして永遠とランニングタイムの始まりだ。当然ながら新入部員は練習に参加と言ってもボール拾いなどの雑用とランニングぐらいしか参加させてもらえないのだが、中学を卒業したばかりの少年には恐怖でしかなかった。

 下級生は上級生が練習を終えるまでもちろん終われない。なので最後に片付けをして着替えるのが1年生。1日目の練習だけで監督の怖いうわさ話で盛り上がる。しかし、やはり野球が好きな奴が集まったんだから野球の話ですぐに盛り上がる。同じ中学からの入部者は俺一人だがすぐに打ち解けたのは共通の“野球が好き”ということがあるだろう。
 超田舎なの地元中学校では、人数が少ないので男子は強制野球部だった。なので、野球が好きで部活をしているやつのほうが少ない。そんな中でのこの出会いは最高の仲間だ。

 4月になり、最恐監督の転任が発表された。上級生は一緒にやってきた思い出もあるだろうし3年生にとっては最後の夏に監督が代わるのに不安を抱いていた先輩もいた。しかし、申し訳ないが1年生は数日のみでなんの思い入れもないので喜ぶものしかいなかった。


2、新人監督と文武両道

 すぐに新しい監督がきた。25歳と若い監督だ。同県の強豪校出身の先生だった。年が近い分打ち解けるのに時間はかからなかった。特に3年生にはのこり数カ月しかない野球部生活について今までのやり方を優先する方針だった。しかし、今までとの違いはすぐに出た。練習の量だ。とにかく練習が長い。今までなかった朝練が始まり、昼休みは筋トレ、放課後も全体練習を21時くらいまでしてからの自主練。先輩が帰るまで帰れない1年生は23時とかになる。朝練も考えると睡眠時間が足りない。

 そして、一番の問題は以前の最恐監督は野球を頑張っていたら怒る監督ではなかったのだが、新監督が言い放った言葉に部員は驚愕した。

「野球だけをしていてもダメだ。勉学にも励み、野球にも励む。文武両道だ。授業中に寝てるような奴は試合で使わない。テストで赤点とるような奴も試合で使わない。」

部員の80%は絶句していた。
そのとおり部員のほとんどがテストの成績は学年で最下位争いをするような奴ばかりだったのだ。

 

3、睡眠時間4時間と職務質問

 そういう俺は勉強はできたので成績は気にならなかった。しかし、問題は授業中に寝てはいけないと言うことだ。
 練習が終わるのが23時。1年生の俺はそこから自転車で帰宅(2年生になるとバイク通学)するのだ。
 そして、超田舎から通っている俺は自転車で帰るのに2時間かかる。と言うことは帰り着くのは1時前後。そんな時間に学生服着た奴が自転車でウロウロしている。そりゃ警察も怪しいと思うわな。んで、お決まりのこんな時間に何してる?

俺「野球の練習が終わって今帰ってる」
警察「こんな時間まで練習?本当に野球部か?」
俺「野球カバン持ってて、坊主頭で他に部活ある?」
警察「まぁいい。どこまで帰る?」
俺「A村まで」
警察「A村??そんなとこまで自転車でか?」
俺「じゃぁ乗せて帰ってもらえませんか?」
警察「それはできん。まっすぐ帰れよ」
俺「山道しかないのに寄るとこもないですよ」
警察「そりゃそうだ。あはははは」

 警察ものんきなもんだ。こんなやりとりを毎週のようにする。そんな田舎から自転車で通っている奴なんかいないからな。ひどいときには週2で職質。なれてくると「またお前か。気を付けてかえれよ」で終わるようになっていた。

 そりゃ俺だってバスで通いたいけど、バスに乗ると朝練は間に合わないし、練習終わりにバスはない。親に送ってもらいたいけど、片親で無理。

 1時に帰ってご飯を食べて風呂に入って寝るのは2時ぐらい。朝は7時から朝練なので5時半起床で6時にでる。行きはなんと1時間で着くのだ。なぜか?超田舎だから超山奥。山の上だから行きはずっと下り坂なのだ。と言うことは帰りはずっと登坂なのだが。

 そんな睡眠時間で超ハードな野球部の練習についていくために授業中に寝るなはまさに地獄だった。担任が野球部の部長だからすぐにバレる。考えているふりをしながら寝るのはかなりうまくなっていた。


4、親の涙とチームメイトの涙

 そんな睡眠時間と地獄の練習を重ねていた俺より先に音を上げたのはおかんだった。朝は俺より早く起きて弁当の準備(金だけ渡される時もあるが)、夜は俺が帰ったらご飯と洗濯。朝から夜まで働いているおかん。

おかん「ゆっくり寝る暇もない。もう限界。野球部やめてちょうだい」
俺「そうか。わかった。じゃもうすぐ1年生大会があるからそれがおわったらやめる」

 そう。入学してすぐ新入生だけでの大会が毎年あるのだ。それに向けた練習もしている最中で、レギュラーで出場できるのも決まっていた。だからその大会までと約束したのだ。
 チームメイトに言うか悩んだが、1年生の責任者をしていた俺からは言えなかった。言えば雰囲気が悪くなる気がしたからだ。

 大会の抽選があった。

 1回戦 B高校。前年度甲子園出場校。知名度があがり地元だけではなく中学で名のしれた奴が多く入部。勝てばC高校。元々あった2校が合併した新設高。私立で県外から有望選手が多く入部。
 なんと2校が優勝候補。新聞でも俺たちA高校の評価は低かった。先輩にもドンマイと言われるしまつ。

1回戦。予想とは裏腹に俺たちA高校がコールド勝ちした。新聞でもダントツの注目校となった。C高校にも勝てる気しかしなかった。

 しかし、結果はなんと不戦敗。チームメイトの喫煙発覚で出場停止。俺の高校野球人生はあっけなく終わった。3年生の夏の大会の出場停止はなんとか免れたのが幸いだった。


 おかんとの、1年生大会が終わったら辞めると約束していたことを1年生のチームメイトに報告した。

俺「隠していてすまん。そういう約束してたから俺辞めるわ」


 「いや待てよ。お前が辞めるなら俺も辞める」
 「俺も。お前が居るからみんな辞めなくて楽しくやってるんじゃん」
 「なんとかならんの?」


俺「いやさすがに厳しいと思う。2年生になればバイクやからだいぶ楽なんやろうけどなぁ」

 「俺たちも一緒にお願いしに行こうぜ」
 「それでもダメなら俺の親に弁当とか洗濯頼んでみる」

 俺はもう涙が止まらなかった。こいつらともっと野球がしたい。不戦敗で負けたまま終わりたくない。チームメイトも一緒に泣いた忘れない日だった。

 1年生全員では無理だったが何人かと俺はおかんの前に座った。

俺「おかん。約束はしたけどやっぱりもう少し野球がしたい。夜のご飯は自分で準備するし洗濯もする。夜は寝てていいから。だから野球をやらせてください。お願いします」

チームメイト「おばちゃん。頼むよ。お願いします」

 後にも先にも親に土下座してお願いしたのはその1回きりだった。みんなもかなり説得してくれておかんはしぶしぶ了解してくれた。そして、やるからには最後まで続けることを約束させられた。
 本当にいいチームメイトに恵まれたと思う。


5、新チームとホームラン

 練習も再開し、3年生の最後の大会はあっけなく負けてしまった。凄いと思っていた先輩が負けて涙する姿はグッとくるものがあったが新チームになる楽しみもあった。

 3年が引退し、新チームになってすぐ監督に左打ちを勧められた。足も速く、器用だったこともあり勧めてきたのだ。戸惑いもあったが監督に絶大な信頼をおいていた俺は承諾し、すぐに左打ちの練習に励んだ。

 それからしばらくし、秋に2年生対1年生の紅白戦。相手は2年生エース。俺の初めての左打席の試合だった。
 その初球。思い切り振りぬいた打球は右中間に向かった。全力疾走の俺をセカンドを守っていた先輩が止める。あれ?捕られたかな?いい当たりだったのに。
 しかし、違った。なんとホームランだったのだ。体も決して大きくない俺が人生で初めてのホームランを打ってしまったのだ。これには監督も驚いていたが、一番驚いたのは自分だった。左打ちを勧めてくれた監督には感謝しかない。より一層信頼が増した。そこからは、セカンドのレギュラーとしの出場も増えていった。


6、2年生VS 1年生

 冬の練習は基礎練やランニングがメインとなる。地味な練習ばかりでものすごくキツい。そんななか、ある日監督が出張の為、ランニングの一環としてなぜかサッカーの試合をすることとなった。きっとキャプテンの思いつきだろうが。しかも、2年対1年ですると言うのだ。
 一つ問題があるとすれば俺たち1年生と2年生はあまり仲が良くなかった。と言うのも、1年生で試合に出る奴が多く、2年生に対してなめていたのだ。野球は俺たちの方が上手い。下手なのに威張ってんじゃね~よと。
 まさに生意気な後輩にサッカーで勝負を挑んできたのだ。
 試合はドロドロ。先輩はお構いなしにタックルやファールを仕掛けてくる。1年生も黙っちゃいない。やられたらやり返す。ほぼラグビーだった。

 ゲームは途中で終わり、キャプテンがみんなを集める。

「お前らいいかげんにしろよ!」

 悪者はもちろん俺ら1年生だ。先輩に歯向かうなんてご法度。まだ薄っすらそんな時代だった。言われてもしょうがないぐらい生意気な1年生だった自覚はあるがやられっぱなしではいられなかったのだ。
 そして、お決まりの代表して俺が謝るシステムの発動だ。

「生意気な態度してすいませんでした。以後気をつけます」

 謝る気なんてさらさらないが手前の言葉でいざこざは終了。その日以降も微妙な雰囲気の時もあったが1年生は気にしていなかった。

7、地獄の100本ノックと涙の別れ

 冬練も終わりに近づく2月後半から地獄の100本ノックがはじまった。そしてなぜか受けるメンバーは内野手全員ではなく限られたメンバーの時が多かった。もちろん俺もその中にいた。 

 仮卒した3年生もノックをしにくる。監督もコーチもノックする。ノックを受けない部員がバッティング練習をしている姿を横目に永遠とノックを受け続ける。
 体力のない奴は途中から声を出す元気すらなくなるし、ボールに向かって歩くだけのノックでもなんでもない状態に陥る。

 守備にも体力にも自信をもっていた俺はノックする先輩やコーチをひたすらあおる。ノックする方も実はメチャメチャきついのだ。

 意地になったノッカーも絶対取れないようなボールは打ってくるし、完全に意地の張り合いだ。これで守備がうまくなるかは疑問だったが、それはは問題ではなかった。

 毎日のような100本ノックも春になると終わりを迎える。3月終了式。いよいよ新1年生も入部してくる楽しみと試合ができる楽しみがワクワクさせる。そんな春休み1年生にとって悪い報告が舞い込んだ。

 監督の移動が決まったのだ。

 1年生は皆監督の事が大好きだった。厳しい一面もあったが頼れるお兄さん的存在で野球以外の事でも相談にのってもらっていたやつもいるほどだった。そんな監督が代わるのは想像以上にショックが大きかったのだ。


~2年生編へ続く~


俺たち一生野球部。~2年生編~

〜2年生編あらすじ〜
 新しい監督は甲子園出場経験のある指導者。練習内容の変化。3年生引退後の新チームは最強&最高のチーム。いよいよ最後の夏が始まる前に大事件。チームはバラバラに。野球部は継続できるのか。





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1人で開業して、ずっと独身生活を送ってきたので全て1人でできると思っていました。しかし、従業員、嫁に支えられ、今では子供にも支えられている気がします。1人の力には限りがある。1人でも応援してくれる人がいればずっと頑張れるんだと自覚しました。よかったらサポートしてもらえませんか。