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今村夏子『あひる』を読んだ。


今村夏子という人の『あひる』という本を読んだ。普段あまり本を読まない私だが、最近ハマっているトリプルファイヤーの吉田さんに影響を受け、久々に本を読むことにしたからだ。
久々に書店に行き、膨大な本の中で『あひる』を選んだのは昔オードリーのラジオで言及されていたからである。内容が面白そうで気になっていたことと、何より本が薄くて文字が大きかったことが決め手だった。長らく本を読んでいないリハビリにはちょうど良いか。などと思って軽い気持ちで手に取り、1時間ほどで読み終わった。圧倒的に読みやすい文章とは裏腹に、読後感は不思議な感覚だった。現代に渦巻く些細だが巨大な家庭の問題の片鱗を見た、という感じだろうか。優しい語り口調から感じる不安や恐怖は、この小説が並大抵のものではないと読書初心者の私でさえ感じることができた。めちゃくちゃ面白かったが、不気味な小説だと感じた。

拙いけれどもこれから感想を書こうと思う。一応ネタバレ注意です。 

 あらすじ
『あひる』の語り手である「わたし」は両親と三人暮らしで、弟は何年か前に結婚して家を出て行っている。『あひる』は定年した父親がのりたまという名前のアヒルを友人からもらったところから始まる。家の横のニワトリ小屋で飼い始めたアヒルは近所の子供達から大人気になり、弟が出て行ってから静かだった「わたし」の家には多くの小学生が訪れ賑やかになっていく。会話のなかった食卓は子供たちの話で盛り上がるようになった。両親は孫のように小学生たちを可愛がり、もてなすようになる。両親はどんどん子供を甘やかすようになり、子供達はどんどん集まり、「わたし」の家は子供達の溜まり場になっていく。

・二羽目のアヒル


 あらすじだけ見ると家族と近所の子供たちの温かい交流の物語のように思えるが、読み進んでいくうちにこの家族のおかしさが気になってくる。両親は近所の子供達が家に訪れてくれるのが嬉しくてたまらないらしく、子供たちを呼び込んでくれるアヒルに依存している。両親はアヒルが病気になったときに、動物病院に連れて行くと言ってアヒルを連れてくるまでどこかへ行く。しかし二週間後に帰ってきたのは元とは違う痩せたアヒルであった。よく観察していた「わたし」は、アヒルを買い替えたのだと気づいている。両親はそのことを「わたし」や子供たちには言わない。名前もそのままだ。なぜそのような行動をしたのか。家にアヒルがいなくなった二週間の間、子供達は来なくなってしまい、賑やかだった家庭はまた静かになってしまった、そのことを両親は寂しく感じたのである。両親にとってアヒルののりたまは子供を呼び寄せるものでしかなかったのだ。
 両親の気持ちはわかる、わかるんだけどなんとなくやらせない感覚に襲われる。ここまで読んでいてもう気がついたら『あひる』の世界に入り込んでいた。この小説、じんわりと背筋に来る嫌〜な感じを描くのがとても上手い。この両親、買い替えたアヒルの写真を撮って元の飼い主に送ったりしている。「いや、それはちげーだろ!」とツッコミたいところだが、自分が「わたし」だった時、それを両親に言えるだろうか、今や家に集まる子供たちは両親の生きがいなのである。私だったら言えないと思う。生きていて、同じような場面は多いと思う。そういったことに置き換えて、気がついたら読んだら自分も何かずるいことに加担してしまう。そんなように感じてモヤモヤした。あー面白い。こういう嫌〜な感じを表現している作品大好きです。

・増長する子供達

またモヤモヤするのが甘やかすにつれて増長していく子供達。最初は庭のアヒル小屋だけだった溜まり場も、一人の子に家の中で宿題することを許してから子供たちのテリトリーは客間に広がっていく。客間で好みのお菓子は食べ散らかし、嫌いなお菓子は食べないでアヒル小屋に捨ててしまう。無邪気な子供達は「わたし」の家を侵食していく。家族の生活はだんだん子供中心に変わっていく。まるで自分の子供がしたことのように散らかしたゴミを片付ける場面や、終いには家で誕生パーティをすると言って嬉々として豪華な料理の準備をする両親の場面はこの小説の不気味さに拍車をかけている。子供達が両親の買い与えたテレビゲームに集まるようになってからは、アヒルは買い替えなくなった。この両親は狂っているとさえ感じた。深夜に訪れる子供も、読んでる側からしたら恐ろしくてたまらない。何か得体の知れないものに触れている感じだ。子供がどういう姿で客間に集まって何をしているかはあまり描かれないが、深夜に突然一人で訪れたり、終盤でどうやら弟の漫画を盗んで売り飛ばしていたらしいということがわかったり、髪が赤くて不良っぽいことが描かれている。それでも子供達のために尽くす親は読んでる側からすると不気味でしかない。ではなぜここまで両親はここまでして子供達に尽くすのか?それは一度得た充足感などを手放せないからだと私は感じた。つまりは寂しいのだ。アヒルがいない二週間に耐えられなくなってしまったのだ。

・「わたし」

この小説の語り手「わたし」は医療系の資格取得のために勉強をしていて、作品の中では勉強している場面が多い。しかし作品の中で少なくとも2回試験に落ちているし、いつも子供達の騒音に気を取られている。勉強するために行った喫茶店で店員に声をかけられるほど居眠りをする。この要素から両親が子供達に執着するのは「わたし」が不甲斐ないからなのではないかとさえ思えてくる。弟は結婚している年齢なのだ。姉もまあまあな年齢であるはず、、自分も大学6年生だからわかる、親は不甲斐ない子供を持つと寂しいのだと思う。両親が子供の誕生日パーティのためカレーを作っているのに「わたし」はふりかけご飯を食べている。この場面がとても気にかかり、モヤモヤした。アヒルの名前が「のりたま」だっていうのもなんだかねぇ、、凄く印象的な場面だった。なんだかこの「わたし」が自分と重なってしまい、この小説が他人事のように思えなくなってしまった。それがこの小説に惹かれた一番の理由なのかも知れない。情けないけども。

めちゃくちゃ散らかってしまったけども『あひる』は普遍的な家族の問題を淡々と描いた小説だ。めちゃくちゃ読みやすいし面白いのでおススメです。読んでみてください。

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