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高広伯彦の「アルケミー・オブ・マーケティング」第1回:生成AIで作られたタレントは、広告業界に普及するのか?

博報堂、電通、Googleなどで広告やマーケティング、デジタル領域の事業を20年以上経験する高広伯彦さんが、デジタルマーケティングや広告領域における課題や注目の事例、今後の展望などを自由闊達(かったつ)に語る連載「高広伯彦の『アルケミー・オブ・マーケティング』」が始まります。

「アルケミー(alchemy) 」とは錬金術のこと。マーケティングの世界で「鉛を金に変える」ような、従来の方法とは異なる斬新な戦略やテクニックにより、顧客の心を動かし、購買行動を促すための心理学的メカニズムや消費者行動学に基づいた手法に焦点を当て、一見普通の製品やサービスが、強力なブランドストーリーやイメージングによって、消費者にとっての「宝物」に変わるプロセスを解き明かしていきます。

第1回は、大手飲料メーカーであると同時に日本の大手広告主でもある伊藤園が、「AIタレント」を起用して話題になったCMについてです。


伊藤園が「AIタレント」をCMに起用して話題に

日本の大手広告主でもある伊藤園が、「AIタレント」を使ったCMを放映して話題になっている。「お~いお茶 カテキン緑茶」CMで“起用”されたに出演している“女性”が、実在のものではなく、生成AIによって作られたヴァーチャル女優とでもいうべきもので、CM内ではその“人物”が仮想なものとは思えないほどのクオリティで“演じて”いる。

同AIタレントを提供したAI model株式会社によると、テレビCMにこうした AIタレントを利用するのは初の試みということだ。

AI model(AIモデル)を『お~いお茶 カテキン緑茶』TV-CMに提供。TV-CMとしては日本初 (AI model株式会社)

伊達杏子やシモーヌなど過去にも存在した「ヴァーチャル女優」

こうした“ヴァーチャルな”タレント・俳優と言えば、真っ先に思い出すのは、ホリプロが世に出した「伊達杏子 DK-96」だろう。1996年に“デビュー”をし、その後“アップデート”を繰り返し、韓国デビュー(1999年)やSecondLifeでのデビュー(2007年)を行った。また、妹にあたる「伊達薫」や伊達杏子の娘というバーチャルYouTuberである「伊達あやの」など、“初代”伊達杏子が時代を先取りしすぎて、当初の話題以降はほそぼそとした活動になった一方、その派生的なものは近年まで続いている。

この伊達杏子の場合、東京都福生市生まれだとかプロフィール上にリアリティをもたせるような「設定」がいくつか施されていた。もちろんそうした「設定」は架空のものである。しかしそれがあることで、聴衆はヴァーチャルな存在とリアルの狭間を認識しながら、興味深く見守っていたように思う。

次に思い出すのが、アンドリュー・ニコル監督による米国映画『S1m0ne(シモーヌ)』(2002年)である。

この映画のストーリーは以下のようなものだ。

主演女優に契約を破棄されてしまい映画が撮影中止に追い込まれたアル・パチーノ扮する映画監督ヴィクター・タランスキーが、ひょんなことから天才プログラマーと出会い、バーチャル女優作成プログラムを入手する。そのプログラムによって生み出されたリアルなバーチャル女優「シモーヌ」を“主演”させた映画は大ヒットを続ける。そしてインタビューの要請などが舞い込み続け、映画そのものではなくシモーヌばかり評価されていく。そのことに悩んだ監督は、シモーヌの死を偽装する……。

この映画の場合、「シモーヌ」はヴァーチャルな存在であるということは最後まで隠し続けられ、聴衆もそれが実在の女性だと疑うことがない。

この2つのヴァーチャル女優の違いは、前者はヴァーチャルであるということが前提で世に出されたこと、後者はそのことを隠して実在として描かれたこと、の違いがある。

「伊達杏子」の場合は今ほどにリアルなCGで描かれているものではなかったため、ひと目見て“ヴァーチャルな存在”と認識できる。一方で「シモーヌ」の場合はリアルな存在として認識される。この両者の違いはテクノロジーの進歩による表現の高度化の違いである。『S1m0ne』でその実在性が疑われないほどの技術として描かれたヴァーチャル女優の生成が、映画公開から20年経ってついに実現に至ったということだ。

「もう実物のタレントなんて要らなくなる」は成立するのか

しかし『S1m0ne』で描かれた「シモーヌ」はその存在を隠し続けられたが、今回の伊藤園のCMのヴァーチャル女優=AIタレントについては、「これはAIで作られました」とCM公開と同時に公表している。また、伊達杏子であったようなキャラクター設定は(裏では設定されているかもしれないが)公表されていない。

つまりはこのAIタレントを“育成”して今後も使って行こうとか、そういう考えではないのかもしれない。単発のCMの“話題”づくりのための“広告表現の素材”であって、“AIタレント”とは呼ばれているものの、実在の“タレント”が持っているであろう“資産”を活かすようなことを想定されている気はしない。

実在の“タレント”が持っている“資産”というのは、その有名性やイメージ、及びファンとのエンゲージメントなどである。だから名の売れたタレント、年齢性別問わず人気のタレントは広告契約費が高くなる傾向にある。

企業はそうしたタレントの持っている“資産”に“相乗り”する形で自社のもっている商品やブランドの認知やイメージを上げようとする。CMなどで“タレント”が起用されるのはそうした理由によるものだ。有名なタレントと無名なタレント、どちらにCMのほうが広告の注目率が高くなるか、それはもうわかりきったことだろう。

そうした点から考えると、よほどブランドイメージに合うタレントがいないという事態が生じない限り、企業が広告に“AIタレント”を積極的に使う理由はないと考える。伊藤園のこのCMの話題の中で、「もう実物のタレントなんて要らなくなるね」という声もネット上において聞かれるが、その理屈は成立しない。

伊藤園「おーいお茶」CMに生成したAIタレントを起用

一方で、マス広告やブランディングのためではないような広告、特にネットのディスプレイ広告や動画広告の場合、広告素材がターゲティングによって配信されることが今どきは主流なため、それぞれのターゲットにとって好意的に受け止められるような人物像を自動生成するという方向は、すでにいくつかの企業で動き出している。

しかしこうしたプロジェクトにおいても、著名人の「デジタルツイン」(=デジタル上に表現されたアバター的なもの)を活用するプランもあり、それは実物のタレントの“資産”(有名性etc)があるからこそ実現するものなのだから、結局は「実物のタレントなんて要らなくなる」という話にはならないのである。

マーケティングや広告に対する見方、思考を提供する場

新しい技術や表現が出てくると、どうしても「◯◯◯はなくなるね」という話になりがちであるが、実際にはそのような単純な話にはならない。

この連載では、世の中で話題のマーケティングや広告に対して「どう見るか?」「どう考えるか?」といった見方・思考を提供しつつ、回によっては、マーケティングに興味のある人々に対してアカデミックな概念・理論の紹介をしていくものとしていこうと考えている。
もし今後取り上げて欲しいテーマなどがあれば、X.com 他を通じてコメントを入れてみて欲しい。

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