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Saki Sntorelli博士インタビュー(Part2/2)


Massachusetts大学マインドフルネスセンターで、Jon Kabat Zinn博士とともにマインドフルネスストレス低減法(MBSR)に長きに渡り関わってきたSaki Sntorelli博士への、Amir Imani氏によるインタビュー(Part2/2)です。
(Part1/2はこちらより)
※なお、下記はInternational Mindfulness Center Japan担当者が概訳したものであり、内容の詳細に不正確な部分があり得ることをあらかじめご了解の上、ご覧ください。

Amir:心の複雑さは、マインドフルネス講師としてのご自身の仕事にどのように影響をあたえていますか?例えば、軽く心が落ち込んでいる時など。完全に回復させることが必要でしょうか?もしくは、軽い気分の落ち込みは、自分自身の実践や教える取り組みを通じて解消されますか?

Saki:そうですね、時と場合によりますね。その気分の落ち込みや不安がとても強いときは、他の人と仕事をすることが難しくなります。また一方では、誰でも気分の落ち込み、悲しさ、不安、不確実さ、不安定さといったものを感じるものなので、気分の落ち込みを感じる時は教えるべきではない、というよりは、その不安や気分の落ち込み、不確実さにどう対処するか、そのことをあなたが知っていることが大事だと思います。
もし、自分の中のそのような状況や条件との関係を構築したとしたら、それが、心の知恵とよばれるものを発達させることになることがよくあります。自分自身の苦しみが、実は、自分やともに取り組む人を新しい道へ導く可能性を持っています。つまり、そのような苦しさというのは、あなたやあなたが教えることにとって、大きな役に立つものであるかもしれません。なぜなら、その事によってあなたは他者に対してより敏感になり、そのような状況や条件下での自分自身への対処が、他者にどう対処するかということをあなたに教えてくれるからです。
ですから、あなたは完全には治してしまう必要はありません。もしそうしなければならないとしたら、私達は何もやらないということになるでしょう。私達は、だれでも正常に歩けないのですから。

Amir:「痛みを持ちつづけましょう。それは、あなたが教える際に役に立ちます」といっていいでしょうか?

Saki:(笑って)「持ち続けよう」とは言いませんが、「もし持っているなら、それと一緒にあるようにしなさい」と言うでしょう。

Amir:著書”Healing Thyself”の中で、ギリシャ神話の傷ついた治癒者であるChironの例を挙げているのですが、彼は、自らの苦しみの故に、自分の患者とより結びつくことができます。

Saki:はい、まさにそのとおりです。これらの傷は、私達が他の人と接するときに本当に役に立ちます。これは、まさに私が以前言っていたことです。みずからのうちに共感が引き起こされる、優しさが引き起こされる、他者を理解する気持ちが湧いてくる、ということです。

Amir:Saki博士、私自身が、MBSRの講師養成トレーニングを受けていたと昔のことを思い出しました。MBSRの講師養成プログラムに参加する条件として、まず参加者になる必要がある、ということでした。そのとき、35人のいわゆる患者さんが自分の痛みや悩みについて話すのを聞いても、私は何も感じず、複雑な気持ちになりました。みんなが話している痛みを、私はなぜ感じないのだろうか?
そして、私はこのことをクラスの講師に話しました。彼女は、自分自身に心を開いた時にそのことがわかると教えてくれました。つまり、まず自分自身の傷から始めて、その後に他の人に心を開いていく、そういうことだと理解しました。

Saki:現実として、特にヘルスケアの専門家としては、自分自身をクライアントから切り離して考えるようにと私達は教えられてきました。なぜなら、それによってよりよくクライアントに接することができるという考えがあるからです。私の経験では、これは全くの逆です。もし、クライアントが体験していることのわずかなものでも自分の中に見つけることができるならば、より良く彼らの助けになることができます。
同じ内容ではないかもしれませんが、こういうことです。ある人がガンを患っていて、自分はそうではないかもしれません。しかし、私は何か他のことで苦しんだことありますか?はい、あります。私は依存症では無いかもしれません。しかし、依存の体験がありますか?はい、あります。それはどのようなものでしょうか?それは、自分の体、心、精神にどのような影響をあたえますか?そのことについて、自分で知っていることはなんですか?気づきは自分に何を教えてくれるでしょうか?
そして、その苦しみのところに行き、あなたが先程言ったように、「知らない」という状況を良しとすることくらいはできるでしょう。私は「どうやって最初の手がかりを掴むか」といったようなことを思うかもしれません。これが、まさにHafizが詩の中で言っていることです。2歩目、3歩目、4歩目のステップを知っている必要はありません。ただ、今ここにあって、最初の一歩を踏み出すリスクを取るだけでいいのです。私達の関係性が発展することにより、2歩目が見えてくるでしょう。

Amir:ストレスをもたらすくらいの過度な敏感さを持っているとすると、もしマインドフルネスの練習が過度な敏感さもたらすのであれば、練習の長さや回数を減らすべきでしょうか?練習を適切な量行うという意味で良いバランスを見つけるにはどうしたらよいでしょうか?

Saki:これらは全て重要な質問です。私が思うに、いくつかの方法で、マインドフルネスの練習は、私達の敏感さを増すことは事実で、そのことはクラスで起きることと同じようなことです。例えば、コースの最初の方で、「始める前より悪くなりました。このコースに参加することで気分が良くなると思っていたのですが、悪い方向に言っています」という人もいます。
それは、注意や気づきが高まることによって自らの内外の状況に対してより敏感になるという事実について述べているのです。起きていることによく気づくようになるので、不満を口にすることが度々あります。しかし、それについて何かを行う力はまだありません。これは、一般的な学びの一過程だと私には思えます。まず、混乱が起きます。そして、彼らの気づきが既存のシステムを動揺させます。これは、過去の私と、感じている今の私があるからです。その違いが、摩擦や不快感を引き起こすのです。
その時、どのように適切な投薬量を知るかという点で、先生としてのスキルが本当に大事になります。少なすぎず、多すぎず。多すぎると圧倒してしまいます。少なすぎると、変化が起きません。再統合される前に一旦解体される段階があるという意味で、それらは、錬金術のようなものです。
マインドフルネスを教え、学ぶ人として、あなたが言ったように、私達は、どのようにバランスのとれた量を見極めかという同じプロセスに関わります。これは、自分自身をよりよく理解していくことと関係しています。そして、先生と一緒に取り組むことが可能であるならば、先生がどのくらいの量が適当かの理解を助けてくれるので、それも役に立つでしょう。
自分を傷つけないよう、自分を押しのけないように気をつける必要があります。同時に、自分の練習を深く見つめ、それらが愛とやさしさにより動機づけられているかを知る必要があります。もし、押しのけようという気持ちが強いなら、力を緩める必要があります。
私達は、しばしば練習を手段として利用してしまう傾向にあります。なぜなら、何かを得たいと思うからです。そして、練習をすることに努力が必要である一方で、上手な努力の仕方とでも言えるものもあります。それは、物事をありのままに受け入れるか、それを押しのけようと力を入れるか、その程度が関わっています。
そして、練習を手段として見做すということに心当たりがあるなら、あなたは自分自身にこういうことを問いかける必要があります。
そんなに強く押しのけようとしているのは誰なのか?ブレークスルーを起こそうとしているのは誰なのか、いったい何に対して?何がやる気の源なのだろうか?
それらは必ずしも心地の良いものではありませんが、意味のある質問であり、私達が自分自身や人生をありのままに受け入れることの助けになります。
さて、そろそろ最後の質問になりそうですね、Amir。

Amir:これは私達にとって良い質問だと思います。最後に一番よいものをとっておきました。
恋に落ちる、とはどういうことでしょうか。

Saki:ええ、最後に一番いい質問が来ましたね!
そのことは、人類が地上に現れて以来、問い続けられてきました。そして、それは、私達の文化の中でとても特別に表現されてきました。通常、ロマンティックで、中毒性のあるもの、普通は私達が欲するものとして描かれます。それ自体、美しさ、価値、機能を持ち、とても素晴らしいものです。長くは続きませんけれども。少なくとも、特定の見え方としては継続しません。そして、常に他のところに探しに行くものというものではありません。それは一種の依存です。
私が思うに、愛はその中に多くの痛みを含んでいます。「恋に落ちている」と言うことができるということは、だれか他の人を自分に優先させるということを意味します。もしくは、他者へのいたわりが自分自身へのそれより大きくなることです。そしてある意味、死を表しています。その死とは単に隠喩としてのものではありません。なぜなら、そのことはいわゆる自己という概念が縮小することに関わっているからです。他者の喜びと痛みが自己の痛みと喜びよりも重要になります。
そして、そのことは、自我がゆっくりと解体されていくことを意味します。自我と他者の間のある種の分離は消滅します。そうして、私達は恋に落ちていることを知ります。なぜなら、ある意味で、私達は小さくなるように見えながら大きくなるからです。そして、そのことは受け取ることよりも与えることを始めるようになることを意味します。
これは終わりにふさわしいように感じられます。

Amir:これはスタートとしてもとても素晴らしいですね。自分の傷に初めてふれるということは、それがどれだけ心地よいものではなく痛みを伴うものだとしても、私達にとって恋に落ちるようなものです。そして、その瞬間、私達は以前より大きくなります。

Saki:そうですね、なぜなら、私達がすでにどれだけ大きいのか、に気づき始めるからです。(意味不明瞭)愛はただ生じ、知覚されます。

Amir:愛の増大(rising in love)、と言い表すのはどうですか?

Saki:はい、そう言おうと思っていました。

Amir:今日は私達の気づきを高めてくれてありがとうございます。20年前に、あなたから親切にしていただいたことから今日という日が迎えられました。そして、私達が、求められなくても親切さを忘れないことはとても驚くべきことです。ありがとうございました。

Saki:ありがとうございました。この旅を一緒に続けていきましょう。

(終わり)

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マインドフルネスオンラインStudy Group始まります。

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国内外の講師をゲストに実施する、オンラインのスタディグループです。
マインドフルネスはで体験から学ぶことを重視されており、このスタディグループにおいても、概念的な学びよりも、瞑想実践を通じた体験的な学びを中心としています。講師がこれまでマインドフルネスを学び、伝えてきたこと、講師の専門分野でのマインドフルネスの活用、瞑想の実践などを通じ、より深くマインドフルネスを学ぶ機会とします。

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