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捉え方を変えると、楽しくなる①

これはわたしの価値観のおはなし。
何を大切にするかは人それぞれなので、
わたしが大切だと思うことを、大切だと思わない人は当たり前にいる。
その人の大切に思うことを尊重したいと思っている。

わたしが家庭を営んでいくのに大切にしたいこと。
家族のそれぞれが、それぞれの場所で頑張っているので、
家庭を、帰ってきてほっと安心できる場所にしたいと思っている。

自分の時間が欲しいと思い続けてやっていたことが、自分を苦しめていたなんて

二番目の子が1歳になろうとして、
仕事に復帰する日が近づいた頃、
いかに自分の時間を作り出すか、が
わたしの一番の関心ごとになった時期があった。
ふたりの世話をしながら、家事を進めて、
そして自分のやりたいことをやるんだと意気込んでいた。

「ワーママ三種の神器」と言われる家電を揃えた。
いかに効率良く家事をやるか。
子どもが起きている時間には「家事」が捗らないので、
子どもたちがいない間にできることは済ませようと思った。

子どもが一人の時には、
何がどうなって生活が成り立っているかを
ちゃんと知っておくのは大切だと思っていたのに。

コロナウイルスの流行もあって、
赤ちゃんだったむすめを買い物に連れ出すのが嫌で、
買い物は週末、夫がいる日にしかしなくなった。
一人でサッと済ませて帰ってくる。

「自分の時間」のために、
時間効率を意識するようになったので、
子どもたちを急かしたりもした。
子どもたちを急かす声ってだんだん怖い声になってくる。

「きょうも子どもたちを怒っちゃった」
それで苦しくなっていたのだ。

自分のためと思ってやっていることで自分を苦しくさせている。

先述のわたしのおしゃべり相手のよしこさんが、
「あなたの子はサラリーマンじゃないよ。
お家は、会社みたいに時間通りに動く場所じゃないよ。」
というようなことを言われて、ハッとしたのだ。

わたしは家庭を、家族が外でそれぞれに頑張って、
のんびりしたり、ほっとする場所にしたいと思っているのに、
きちりきちりと窮屈な場所にしていた。

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