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レポート第16回レタスマインドフルネスワークショップ6

(続きです)

気づきがある生活って、あるじゃないですか。
30分の瞑想をしていて29分59秒妄想していても、最後の瞬間「あ、妄想していた」があれば、それは気づいている生活ってことです。
気づけば、流されるままじゃなくて選べる。
ただ、気付いた後に何を選ぶかという問題はありますけどね。
気づいて、(よし、ここは安全に)と一台待てるか、気づいても(でも関係ねえや、俺は早く行きたいんだよ)と割り込むか。欲望に流されたら、やっぱり水みたいに生きていることになります。

気づきがある生活を始めた私たちは、武蔵が杭を打ち石を運んで水路を作ったように、自分を運ぶ「道」を考えて作っていきます。
その道がどんなものかは、人によってやり方も目的地も様々でしょう。
その道を作るために、荒れ地を耕すんですよ。収穫があるまでね。

さっき言った、いろんな自分の中の要素を見て、気に入らないものがあっても腐らず、包括して見てゆく。
そしていろんなやり方で自分を耕していく。
一人でやるんじゃなくて、いろんな会に行って、いろんな人にあって「みんなそうだよ」とか、アドバイスをもらいながら工夫してやっていくと良いですね。
あまり「修行だ!」と思いつめるのではなくて、ゲームとして楽しんで続けていく工夫をするのも大切です。
ここにいる人たちは皆「始めてしまった人たち」なんで、どうしても最後までいってほしいし、暗くならずに途中の道も楽しんでいってほしいんです。

では何かご質問がありましたら。

「【質問】瞑想が30分しかできないんです」
「しか」!(笑)
30分「しか」できないっていう言葉にもう、何か判断がくっついてますよね。分かるかな?
他の何かと比べちゃってるからこう考えるんだと気づいてほしいです。
15分瞑想している人よりもできている、というと「慢」になってしまうから、30分瞑想できる私は恵まれていてうれしいと考えることができる。
2時間瞑想している人を見て、妬んだりコンプレックスを感じるのではなく、頑張ってくださいと応援したり、どうしたらできるのか学ばせてくださいと考えることもできる。
もちろん「くやしい」という気持ちが自分にあることは、そのままに認めてね。

(続きます)