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レポート第16回レタスマインドフルネスワークショップ8

(続きです)

「【質問】その自分の心というのは、見ようとして見えるものなんでしょうか」

見ようとして見えたら、それはミスリードです。
コツコツ積み重ねていって、「見えてしまった」時とは、衝撃度が違います。
(大友講師が経験したエピソード。詳細略)
……そのときに、自らの弱さを認めたくなくて荒々しく行動していたことを、初めてそのままに認めることができました。
すると、そういう自分が死ぬんです。
それまでの「自分」が死ぬんだから、恐くて仕方がない。でも、見るべきときに否応なく「見えてしまった」。
「自分は弱い人間だった」そんなことは、自分以外の人には皆分かっていたことですが。

こういう体験は瞑想をしない普通の人でもあるでしょうが、瞑想の時のように自分に突きつけられるのでないと余力で覆い隠せてしまう。
「見えてしまった」時に、そこから逃げずにきちんと向き合うために普段から必要なのが、慈悲、善行、そして決意だと思います。

瞑想を始めてみたけど、うまくいかない。それでいいです。
せっかく始めたからうまくやろうという努力は、良いことだし大切です。
でも不条理でうまくいかないこともあって、それは変にまとめようとしないでそのままにしておく。よくないんだけれど、それでいいです。

瞑想をして、身の回りの現象が円滑になり合理的に行動できるようになるというのは、スーパーマンになることじゃないです。
瞑想できている人でも、画びょうを踏む。
でも「誰だー、ここに画びょう置いたのは!!」と怒鳴ったりしない。
ただ痛みがあって、画びょうを抜いて、手当てをする。それが円滑で合理的な対処です。
瞑想が進むと、何かすごいことが起きるって妄想しちゃうんですけどね。

(瞑想実践)

これから寒くなるので、風邪に気をつけてください。
瞑想していれば風邪ひかない…なんてことはなくて、風邪もひくし、寝込みます。
でも熱出して寝ている時は瞑想のすごいチャンスです。どう苦しいのか、何が体の苦しみを増幅しているのか観察してみてください。
良寛さんが「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候(災難に遭うタイミングでは災難に遭い、死ぬべきときには死ぬのが良い。じたばたせずにその現象にそのまま出会うことが、余計な苦しみを避けるうまいやり方だ)」と言っています。
風邪をひいた方がいいって言ってるんじゃないんですよ。
人間なら病気をしたり、不調になったりすることは避けられないことです。

不調になったときの観察のポイントは、受の観察です。
感受には苦受・楽受・不苦不楽受がありますが、不調の時には普段目が行かない不苦不楽受のありがたさが分かります。それはすごく大事なことです。

瞑想をやっていくと、超人になるとかすごい能力が出るんじゃなくて、きちんと普通にできるようになる。
ずるいことや悪いことをしなくても、普通にやっていけると分かるのが、瞑想の利点だと私は思っています。
精一杯、無理なくやっていきましょう。

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(この項終わり)