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【心理学】道を知ることと歩くことは違う

こんにちは!
メンタルブロック解除人の大和です!


僕の好きな映画に、『マトリックス』
と言う映画があります。

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そのマトリックスの中で好きな言葉に、


「道を知っていることと、
その道を実際に歩くことは違う」


と言う言葉があります。

これはこの映画の主人公のネオが、
預言者から


「貴方は救世主では無い」


と言われた後に、預言者の言葉に反して、
徐々に救世主として覚醒し始めた時に、
仲間であり先輩のモーフィアスから
言われた言葉です。


確かにそうだなぁと、しみじみ
共感できる言葉だと思います。


例えば、料理のレシピを知っていても、
実際に料理を作ってみると
思ったようにできないことが多かったり、
英語の教科書を一生懸命読んでみても、
実際に外国人に英語で話してみると、
全然通用しなかったり、相手の話が
理解できない何てことがあります。


僕の学んだ、実践心理学NLPにおいても、
このマトリックスの名言に似た考えが
ありまして、

地図は現実では無い

と言う言葉があります。


地図は道のりを知る為の
便利な道具ですが、
それはその道の全てを
物語る訳ではないと言うことです。

例えばある山の地図を持って、
その山を登ろうとするとします。

夏に緑の多いのどかな山を
ハイキングに行ってみますと、
その山には様々な珍しい鳥達が
綺麗な声で鳴いていたり、
小川が流れていてせせらぎが聞こえて来たり、
時折風が吹き抜けて木々の葉が
ざわめいたりすることがありますが、
そう言った自然の細かな動きは
地図を見ても分かりません。


地図ではそうした動的な情報をそのまま
再現することができませんし、
道のり以外の大して重要で無い情報は
地図から抜き取られてしまっています。

これは地図の作成時に起こる、
省略」と言う編集です。

また、実際に山を登ってみますと、
道にかなり凹凸・段差があったり、
斜面も角度が急な所があれば、
なだらかな所があったりします。

しかし、地図ではそう言った
立体的な情報を再現できません。

等高線と言う表現はありますが、
それでも山のおおよその高さと形が
分かる程度です。

これは、実際の山の情報を
平坦な紙面に置き換えるからなのですが、
立体的な情報を無理に平面的な情報に
置き換えなければならないので、
そこに情報の「歪曲」が入るんですね。


また、山登りの得意な人が登れば、
他の人に対して、

「全体的になだらかで、
少し拍子抜けする位だけど、
その分ゆっくり自然の景色を楽しめる、
ピクニックには丁度いい山だよ」

と言うかも知れませんし、


山登りが苦手なビギナーが登れば、

「登り始めはいいけど、勾配の落差が
激しくて、足元も余り整備されてない、
厳しい山だよ。木が多すぎて開けた所も
余りないし、森の中はジメジメしてるから、
ピクニックには向かないな」

と言うかも知れません。

これはどう言うことかと言うと、
登った人がそれぞれ山に対して感じたことが
違うことを示していて、この感じ方の違いに
よって情報の歪曲が生まれている
と言うことです。


それから、山は側面によってはなだらかだったり、
急で険しかったりと顔色が全く異なることが
よくあります。


でも各側面による険しさの違いは
中々地図には記載されていませんし、
観光向けのパンフレットなら
穏やかな所しかピックアップされていない
こともあります。


そうすると、ある側面では非常に険しい山で
あるにも関わらず、一部の側面しか見ずに

「この山は全体としてゆるやかである」

と判断してしまうことにもなりかねません。

これは一部の情報を全体のものとして
取り扱う「一般化」と言う編集です。

つまり、僕等はいくらその道を知ろうとしても、
情報自体が「省略」・「歪曲」・「一般化
と言う編集を受けてしまうので、
中々その道を実際に分かると言うことは
できないと言うことです。

これが、「地図は現実ではない」と言うことです。


でも、省略・歪曲・一般化が悪いと言う訳では無く、
不要な情報が無いからこそ地図は見やすいし、
平面だからこそ折り畳んで持ち運びができると言う
利点があります。


各情報に対しては、各編集の利点と欠点の
両者を踏まえた上で、最終的には自分で
判断していくと言う姿勢が大事かと思います。

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