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VOL. 13 「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」

#事実に基づいたフィクション  
#東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場 #60代の生き方 #やま #山下ユキヒサ

「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.13
(3245文字・8枚) 

🔷このシリーズの内容は、3つの構成となります。僕のお気に入りの「あの公園」(名称も場所も秘密)が一つの舞台。幼児から高齢者までが集まり、それぞれの過ごし方で楽しむ、小さいけれど素敵な公園です。そこで繰り広げられる出来事をベースに綴っています。
二つ目は、僕の職場である某認知症高齢者のグループホーム。その介護士が語る介護現場の話です。その語り手はシドとなります。
三つ目は、60代の僕の日常がときどき登場します。
詳細は同タイトルのVOl.1をお読みください。


『こどもの運動能力がぐんぐん伸びる公園 東京版』

遠山健太監修
《スポーツトレーナーでパークマイスターの遠山健太氏が、こどもの運動能力が伸びる公園での遊び方をレクチャー。こどもの運動能力を伸ばす遊具を備えた東京都内の101公園を厳選して紹介するのがこの本。》

遠山氏によると、
運動能力は遺伝ではなく「幼少期の経験」がカギだという。
人間はみな、生まれたときから多くの神経細胞を持っている。しかし、細胞同士のつながりや伝達回路は未発達のためうまく働かない。
運動にまつわる伝達回路は「動作を経験」することでつくられていく。また繰り返し経験することで発達が促進されるという。
この伝達回路が最も発達するのは幼児期〜小学校中学年の時期。
この時期にたくさんの動作を経験することが「運動が得意な子」に育つために大切なこと。

幼少期を過ぎて小学校中学年〜高学年になると「ゴールデンエイジ」と呼ばれる時期を迎える。
この時期は神経の発達がほぼ成人に近づき、やり方さえ教われば思った通りにプレーすることが出来る「即座の習得」が可能になるという。
一生に一度の黄金期だ。

運動が得意な子というのは言い換えれば、「自分の思い通りに動くことが出来る」ということ。
それには幼少期に多くの動きを経験し、動作の伝達回路をたくさん脳内につくってあげることが大切なのだ。
それが後の運動能力となり、将来どんなスポーツも楽しめる可能性へとつながっていく。
そして、運動能力は遺伝より環境で育まれることから、環境さえ与えればどんな子どもだって、運動が得意になる可能性があるというのだ。

自分の身体を思い通り動かせるのに必要な動作を「基本動作」という。
そして、子どもたちが遊びながら基本動作を身に付けるのに最適な場所が、公園だという。

さらに、最近、運動効果が注目されている。運動をすると頭が良くなるということを取り上げた雑誌、書籍やメディアが増えている。
運動こそが強い脳、賢い脳を作るという話。そこに必ず登場するのは「BDNF」の存在。

BDNFとはBrain-derived neurotrophic factorの略称。
日本語にすると、「脳由来神経栄養因子」と呼ばれるたんぱく質の一種。
そしてBDNFは運動刺激によっても増える。
運動と食べ物(※カマンベールチーズがいいらしい)で脳力アップを目指そうといもの。

日本の研究(2014年)では乳製品、豆類、海藻類を摂る伝統的な日本食が、特にアルツハイマー型認知症のリスク低下に有益である可能性は示されていた。

ほかに最近の研究では、アルツハイマー病モデルマウスでカマンベールチーズ(白カビ発酵)が脳のアミロイドβ(脳内に蓄積する老廃物)を減少させ、BDNFを増加して認知症予防効果を示す可能性もあるとのこと。

いつもの秘密の公園にやってきました。見出しのフォトはこの公園の砂場です。

子どもたちが砂場で遊んでいます。
その周りでママ友さん達が、子どもたちを見守っている。
赤、青、黄色の原色使いのスコップやバケツを使って遊ぶ子供たち。
他にはトラックのオモチャも。それらはみな、砂場での遊び用だ。

砂あそびは汚れるからとか衛生面が心配だとか親はつい敬遠しがち。
しかし、パークマイスターの遠山氏によれば、砂あそびはスコップなどの道具を操作する動きのトレーニングになるという。
また、しゃがんだ姿勢で遊ぶので股関節の柔軟性も養われる。
西洋式生活の現代では、股関節や足首の固い子どもが多い。股関節の柔軟性は「走る」「跳ぶ」の素地になるという。
子どもの時に和式トイレを使ったことがないと、しゃがむことが難しいかもしれない。
野外での様々な緊急事態、排泄だったり野生動物との遭遇のためにも、やはりしゃがめたほうがいい。

砂場で遊ぶ子どもたちを眺めていると、僕の幼稚園時代の、やはり砂場で遊んでいる記憶が蘇ってきた。
幼いこの時代、数えるほどの記憶しかない中で、砂場での鮮明な記憶が立ち上った。
それは幼い自分が初めて、自分以外の子どもを賢いと思ったエピソード。(※自分で自分のことを賢い子どもだと思い込んでいたわけではない。念の為。)

地方都市の、ある住宅街の一角。小さな幼稚園。園の隣には生活用水が流れ込む小さな川があった。園内には藤棚のある砂場。
50年以上前の遠い記憶。思い出せる限りの記憶。

ある男の子と二人で山をつくろうということになった。
名前も顔も覚えていない子。
仮にその子をS君としよう。二人は向かい合って、砂場にしゃがみ込んだ。小さな山はすぐに出来上がった。
ところがS君は、出来た山のてっぺんを手のひらでぐりぐりと、円を描くように潰し始めた。

それを見ていた僕は驚いた。せっかくつくったのに何で潰すんだ、と。
異議申し立てしたかどうかは覚えていない。ただ、うっすらとした記憶では黙って見ていたような気がする。

ただしばらくすると、S君の意図が分かってきた。彼は高い山づくりを目指していたのだ。
潰した後は、山の土台となる円の面積は少し広がる。
山の裾野が広がったその上にまた土を盛り、少し大きくなった山の頂上を、また手のひらでぐりぐり。そんな作業の中で山はどんどん成長していった。
作業を何度も繰り返すうち、山は高く大きくなる。S君の目的と手順を把握した僕は、あるアイディアを思いつく。

バケツに水を汲んできて、砂を濡らした。濡れた砂で押し固め、強い山造りに貢献した。僕は興奮していた。

とうとう最後には、小さな園児の肩ほどの高さにまでなった。それは大人の目から見ても「おっ」と思うぐらいの高さだ。その証拠に、先生たちも見に来て、「すごいね」と言われたような気がする。

共同作業者である僕は感動していた。そして誇らしくもあった。こんなでっかい山をつくった僕たち。こんなでっかい山をつくれる技術を知っていたS君。

僕はS君のことを「何て頭がいいんだ」と思った。
彼のぐりぐり技法がなければ、到底到達出来なかった高さの山。
それは生まれて初めて、他者を賢いと思った瞬間だった。

今までこのエピソードを忘れなかったのは、そのとき僕の心が大きく動いたからだろう。
ただ、今思い起こせば他愛のないことだったかもしれない。

しかし、この経験は僕の記憶に〈でっかい山〉として生き残った。
それは、ちょっとしたコツを知っていれば大きな結果を得られるということ。
ちょっとした小さな知識、コツやテクニックを知っていることが、人生を豊かにし、守り、成果を得るということ。
さらに、基礎や土台がしっかりさえしていれば、驚くほどの高さや大きさに到達できるということ。

そして一番の教訓は、自分以外の人間こそが、自分の知らないことを知っている。つまり、自分の持っている知識や知恵には限りがあるということだった。
幼いけれどそこに、大きな驚きがあったように思う。

忘れられない砂場でのエピソードだ。
それから園児たちの間でその技術が高く評価され、他の園児たちも高くでっかい山を目指した、とさ。

お陰で、普段はちょっと地味な砂場遊びは、ぼくもわたしもと、大人気となった。
一時期、園庭で走り回る子は激減し、みんな砂場にしゃがみ込んだ。

めでたし
めでたし。

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