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新しい自分が起動する、転職のステージ 後編

#転職 #介護 #特養 #夜勤
#初投稿 #6分で読める 約2700文字
#2

         *

「そう、そうなんですよ。41才の転職は確かに大きな決意と決断が必要でした。家族もいましたからね」

         *

「でもね、テツコさん。自分を、人生をリセットしたい衝動みたいなものが、そのときあったような気がします」

「今までいた世界から飛び出して、全く新しい世界へ飛び込む。それはなんて言ったらいいですかね。例えば、誰の足跡もついていない新雪を歩くような、小学生のとき笛の合図を競って1番でプールに飛び込むような気持ちよさ。それの100倍強い快感みたいなものですかね」
(いや、ややこしい、たとえ!)

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「全くのゼロからスタートするのって勇気はいりましたけど、なんかね、やってやろうじゃないか、って気持ちも心のどこかにあったんですよね」        

「そして、そんなふうに考えている自分を面白がっている自分もいたんです。やれっやれっ、なんてね(笑)けしかけるような自分がね」

         *

「こんなこと家族にも話してなかったですけど、テツコさんには話しちゃいました。今日はnote初投稿しただけの私を、テツコの部屋へ呼んでいただきましてありがとうございました。これ一生の思い出になります」

「ところでテツコさん今日もドレスとてもお似合いですね」

「いやいや、ほんと、お世辞なんかじゃないですよー ハハハッ」

《はい、テツコの部屋のくだりは妄想です、テヘッ^_^    はい、後編を始めさせていただきます》


話をもらうまで、介護の仕事は考えたこともなかった。
自分なんかができるのかと思った。
ただ全く知らない世界に飛び込むのは、人生をリセットするようでなんだか面白そうだ。そんな気持ちも心のどこかにあった。

全く何も知らないで飛び込むのも失礼だと思い、ヘルパー2級講座(当時)を自主的に受けた。千葉から池袋まで講座に通った。講座の最後の実習先の選定では、わけを話して就職先にしてもらった。
介護保険制度が施行された2000年4月に入職した。自分は年上かもしれないが、同僚となる若い職員さんたちは皆さん先輩だ、そんなつもりで接した。

初めて接する認知症高齢者。
トイレ介助やおむつ交換。尿失禁や便失禁。毎日がおしっことうんちとの闘いだった。においには1週間ほどで慣れた。なんたって生活がかかっていた。くさいなんて言ってはいられない。だいたい自分だって毎日同じもの出してんだから。

やがて、介護の仕事は高齢者(利用者)の日常生活を支えている。そんな当たり前のことが腹落ちすると、排泄介護にも抵抗はなくなっていた。出るものが出ないと本当に命にかかわるのだ。
2ヶ月が過ぎた頃、日勤帯(昼間)の仕事に夜勤が組み込まれる。
先輩に付いて夜勤のOJTを3回ほど経験すると、デビューが決まった。夜勤のひとり立ち。夜勤デビューだ。

夜勤は最初とても気の重い仕事だった。経験もなく介護技術も未熟な自分にはとてつもない介護量に思えた。
フロアを走り回った。無駄な動きが多いので余計に疲れる。
また、利用者が日中見せる顔は、夜とは違うことがあるということも知った。
普段は穏やかな高齢者が夜間に豹変することもあった。
ただ夜勤の数をこなすうち、それなりに慣れ、自信もついた。
利用者の夜、その睡眠を守るぞという使命感も芽生えていた。

介護の仕事はチームプレイだということも身をもって知った。
勤務する施設では、1階から3階までが特養フロア。夜勤は1フロア27名前後の利用者の夜を、フロア責任者1名が責任を持つのだ。
他に夜勤フリーという職員が1名、各フロアを回りヘルプする。加えて、緊急対応のために看護師のオンコール体制があり、緊急時には宿直者が救急車を呼ぶ。こうして当日の夜勤職員はひとつとなり助け合うのだ。

平和な夜ばかりではない。
あるとき私が夜勤の日、夜中にちがうフロアで体調不良の利用者がでた。状況はすぐに夜勤者に伝えられた。
自分のフロアを守るのも大変なのに、職員は助け合い、ひとつになった。
20代の女性職員たちの無駄のない動きと的確な判断と素早い連携。
41才の新人は、年下の先輩女性職員から指示をもらい、緊張しながらぎこちなく動いた。

他の女性職員はテキパキ。利用者への適切な対応。
看護師への連絡。状況によっては宿直者を起こして、救急車を呼ばなくてはならない。

そんな光景を目の当たりにして感動していた。
利用者の命を守るために、ひとつになり見事に働く若手ベテラン職員。

(あんたたち若いのにプロだわー)

同じ立場でそこで働いているのに、心がふるえた。

美しいとも思った。

誰かを守るために、とにかく動く。

夜が明け、朝が来た。

利用者は大事にはいたらなかった。

仕事を終えた職員は次の職員へ、支援や介護というバトンをわたすと家路につく。
くたくただけど、やり切った充実感がある。

介護のバトンは24時間、365日。
職員から職員へ、
途切れなくつながっていく。

自分が望む次のステージが転職なら、それもいいと思う。
でも、そのときは気をつけて、でも楽しんで。新しい仕事の中では、きっと新しい自分が起動するはずだから。

「不安の中にこそ未来があるから」

誰かが歌った唄には、そんな歌詞があったっけ。


《長い後書き》
入職してから21年目を迎えました。同じ社会福祉法人内で仕事は続いています。部署はいろいろ異動しましたが。
辞めたいと思ったことは1度や2度、3度や4度ではありません。でした。

しかし、まだ、私はここに、います。

実際、転職しようと大きく2度動いたことがありました。
しかし、私は変わらず、ここにいます。
ここは必要が満たされた職場でした。最初の願い通り、わが家の経済が支えられました。ありがたいことです。
加えて
私にふさわしい職場であったのかもしれません。だから、本気で転職しようと思って動きましたが、結局ギリギリのところで転職には至りませんでした。

人は人生で欲しいものを求めるけれど、欲しいものが与えられるのではなく、その人に「ふさわしい」ものが与えられるそうです。

家族4人の生活も守られてきました。
東京への不安いっぱいの大移動から何とか20年間暮らしてきました。
ありがたいことです。
あのときの不安の中に、今のわが家の未来があったんですね。

これで子育ても終了。
これからは親の生き方を見せる、本当の意味で、親の背中を見せることが大切なのかな、と考えています。
親が生き生きと楽しんで、健康で、逞しく、心豊かに、お金にも余裕で(うーん、苦しい〜)社会にもなんらかの貢献ができる、そんな自分でありたいと思ってます。
ながながとありがとうございました。




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