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VOl.7「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」

#事実に基づいたフィクション   #東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場 #60代の生き方 #やま #山下ユキヒサ

「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.7

(2904文字・7枚)



この儀式は、個室が暗くなることで終わりを告げる。
部屋の電気が消されると、僕はかなりほっとする。


認知症は罪な奴である。


さて、
シドの職場であるグループホームについて説明しよう。
正式名称は「認知症対応型共同生活介護」という。

ここは認知症高齢者を対象にした少人数制の介護施設。

原則、要支援2から入居できる認知症高齢者グループホーム。

1ユニット9名までを1単位とした共同住宅で、家庭的な雰囲気の中でケアを受けながら生活できる。うちのホームは9名が生活している。

グループホームは介護保険で定められた「地域密着型サービス」に含まれる介護施設であるので、利用者はこれまで暮らしてきた土地から離れる必要はない。

逆に言えば、グループホームの入居には同じ市町村の住民票が必要になる。
つまり、入居希望者のお住いの地域と違う自治体の施設には入居することができない。
気に入ったら全国どこの施設でもというわけにはいかない。

グループホームの魅力と言えば、何より小規模で少人数制の家庭的な生活が良さであり売りだろう。
入居前まで暮らしていた生活に近い環境を提供する。

ホームでは、専門スタッフの支援を受けながら、入居者同士の交流がある。

お互いに笑い合う時もあるが、時には言い争いもある。
そりゃ、人間だもの。

そんな暮らしの中で、認知症の進行を少しでも緩やかにすることが目的のひとつ。

だからスタッフは見守りながら寄り添うけれど、何でも出来ることは利用者自身にやってもらう。

ホームはプライバシーを保てる個室があり、寝るときやひとりで過ごしたいときは自室でのんびりできる。

日常生活では職員と一緒に食事を作ったり、掃除をしたり、洗濯物を干したり取り込んだりを、お願いしている。

ただ、世界中でコロ助が悪さをし、蔓延しているこの時代。
もう、丸3年になる、か。

コロナ以前は、一緒に散歩に行き、毎日スタッフとスーパーに買い物にも出ていた。

それがもう長らく食材の買い出しは職員だけだ。
スーパーから戻ると、スタッフは食材を消毒する。

消毒できる食材は消毒用アルコールを噴霧し拭き取るのだ。それから冷蔵庫や食品庫にしまう。

外部のお客さんも定期的にお迎えしていた。
訪問してくださるボランティアの方々。
近くの子供たちと一緒になって歌ったり、共同で作品を創ることもあった。

大人のボランティアも大勢。音楽、古典芸能、人形劇と、以前は、そんな生活を楽しみ、刺激を受けた暮らしがあったのだ。
そんな暮らしも今は遠のいてしまった。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は, 2019年12月初旬に, 中国の武漢市で第1例目の感染者が報告されてから, わずか数カ月ほどの間にパンデミックと言われる世界的な流行となった。わが国においては, 2020年1月15日に最初の感染者が確認された後, 5月12日までに, 46都道府県において合計15,854人の感染者, 668人の死亡者が確認されている。
国立感染症研究所


家族の面会でさえ、制限せざるを得なくなっていった。
いつのことだったか明確な記憶ではない、2021年頃だったか。

TVで観たアメリカ発のニュースだ。
老人ホームに入居している母親と、コロナ禍でなかなか面会ができない娘。

母親に会いたい、しかし面会は禁止されている。
会いたい思いが募り、とうとうその娘さんは、母親が入居している老人ホームの職員となる。

そして母親との再会を果たしたというニュースだった。
うれしそうに働く娘さんの笑顔が、映像で流れていた。
今でもその笑顔を覚えている。

我がホームも。
コロナ禍で失われた時間がある。
暮らしの中の楽しみが、刺激がいかに大切か、利用者を見ていて分かる。

それぞれの認知症の様相が明らかに変化している。
皆さんの日常生活に身近で触れているスタッフはそう感じている。





12月24日。
イブである。
夜勤明けの公園。

午前10時を過ぎた日差しが、公園に差し込んでいた。
僕はベンチの人で。
穏やかな光に包まれていた。

高知で約5年ぶり大雪警報 高知市内では観測史上1位となる14センチの積雪観測

ホームのTVで、朝から繰り返し流れていたニュースを目にしていた。

高知駅前の龍馬像が白い雪をかぶり凍えている。

みんな大丈夫かな、と心配になった。

中学・高校と高知県のとある私立学校で寮生活を送った。
高知県とはそれまで縁もゆかりもない土地だった。

入学がきっかけで初めて四国に渡った。
そして県外生として全寮生活に飛び込んだ。

あの谷間の構内にも、周りの海や山にも仲間と過ごした思い出が詰まっている。
卒業してから高知は第二の故郷になった。

2019年の12月に恩師に会うため高知に行った。コロナ直前だ。
それから足止めを喰らい、やっと約3年ぶりになる昨年の22年10月に高知に行った。

恩師、旧友や後輩に会い、語らい、食べ、観光地を巡り楽しい時を過ごして帰ってきた。
3ヶ月前に見た龍馬像が今は凍えている。
ネットの情報で停電のことも知った。

積雪や倒木などの影響で高知県内約5800戸で停電しています。山間部で積雪量が多くなっていますが、四国電力送配電は「除雪が進み次第、順次復旧作業に取りかかる」としています。

同期生のライングループには、12月23日朝から、仲間が住む地域の様子、雪景色の映像が続々と送られてきていた。

同期の男からは16秒の動画が上がってきていた。前回の高知滞在でも、この旧友Fには世話になった。

「まいった」
「何な、こりゃ」

朝起きてみると自宅前は一面の雪景色。玄関前からの映像だ。
撮りながら驚き、呆れたような声が漏れていた。


12月24日
9:11分のメッセージ。

「ヒヤイ、ひやい、カチンコチン」

「ひやい」とは土佐弁で寒いという意味。この土佐弁。僕が入学して初めて覚えた土佐の言葉だった。
※「ひやい=冷い」

穏やかなイブの朝。
ダウンを着たままちょっと走れば汗ばむだろう。
そんな日差しだった。

そんな温もりをまとい、彼らから送られてきたスマホの映像に、目を落としていた。

ふるさとは雪景色の中、凍りついている。
この日差しを高知に、仲間に届けたいと思った。

僕は呑気にも一本の動画を上げた。

メッセージには
「大雪でそれどころではないかもしれんが、Merry Christmas 上野駅の🌲です。」と。

送った動画は11月に上野駅で撮ったクリスマスツリーだった。
えっ、もうツリー?と少し驚いて撮っていたものだった。

ちょっとでも元気になってもらおうと、ささやかな思いからだ。

しかし、ひやい中で停電で過ごしているかもしれない仲間たちにとっては、やはり「呑気な」としか伝わらないかもしれないな、そう思い直した。

そして追加のメッセージを上げた。

「皆様❗️
まだまだのお年頃ですが、同時にそろそろのお年頃でもあります。
大雪。
転倒注意でお願い🤲致します。」


VOl.8に続きます。
ではまた。

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